ソムニの果実
「ここがその宿屋なのかベル?」
その宿屋には『黒い兄弟』の看板が掛かっていた、それに黒い兄弟の文言と鉱夫の絵が描かれている。
まず三人はその宿屋の周囲の聞き込みを始めたが直ぐに壁にぶつかった、宿の近くでは目撃者がいたが宿から離れると彼らに関する情報が完全に消えてしまったのだ。
三人は途方にくれたがとりあえず宿屋で昼食を取ることにした、『黒い兄弟』に戻り一階の居酒屋に入る。
客が少なく空いていたので部屋の奥の大きなテーブルをさっそく占拠した。
「彼らも用心しているようですね殿下」
「そのようだな、奴らはもう普通の宿屋には泊まらんだろう、場所も大きく動かすはずだ」
ベルもアゼルも無言で頷きそれを肯定した。
そこに飯屋の少年の給仕が注文を取りに来る。
「日替わり定食で」
ベルは真っ先に日替わり定食を注文した、他の二人もなんとなくそれに引きずられ日替わり定食を注文してしまう。
「日替わり定食三人前注文入りましたー」
少年の給仕が厨房に注文を叫ぶ。
「ベルはいつも日替わり定食だが食べたいものは他に無いのか?」
「何が出てくるか楽しみじゃないか?」
「貴女は好き嫌いがないのですね?」
アゼルが若干呆れ気味にベルに突っ込むが。
「無いけど?」
「羨ましいですね、貴女もそう思いませんかエリザベス?」
アゼルはエリザを指で軽くくすぐった。
『ウキッィ』
ベルは何となく馬鹿にされている様な気がしたのでアゼルとエリザベスを睨みつけた。
その微妙な沈黙を破るかの様にベルが話し始めた。
「ねえ、あいつら何が目的なんだろう?」
「わからんな、魔剣の買い戻しを狙っているのか?」
「その場合は向こうから接触があるでしょうね、ならばコッキーは人質でしょうか?」
「そうだな人質ならば納得できる、だが彼女が神隠し帰りと発覚している可能性はあると思うか?アゼルよ」
「殿下とベルサーレ嬢は神隠しから帰って力を自覚し始めるまでどのくらい時間がかかりました?」
「僕は二週間ぐらいかな、その前から少しずつ変な事が起きはじめる」
「俺もそんなところだ、今までひたすら抑えていたのだ、いろいろ力を試すこともできなかった、今でもベルの方が力の使い方は慣れている」
「なら彼女はまだ力を本格的に発揮していない可能性がありますね」
「コッキーは演奏の後で力を使えなくなったけど、もし魔術師が近くにいる時に力を使ったら直ぐにバレる」
ルディはベルの僅かな表情の変化を見逃すまいと観察していた、そんなルディの凝視に気がついてベルは少し驚き僅かに頬が赤くなった。
それにはかまわずルディはアゼルに質問した。
「うむ、ばれたらどうなるのだ?」
「本物の神隠し帰りです、幽界から生きて帰った者ならばとてつもない価値があります、魔剣とは比較になりません」
「でも神隠し帰りとなると奴らの手に余ると思うけど?自力で脱出できるよ」
ベルが当然の疑問を投げかける、もしコッキーがベルと同等の力を振えるならば彼女を閉じ込めておくのは困難になるだろう。
「確かにそうですね、まだ力の制御ができないか、もしくは神隠し帰りが総て争い事に向いているとは限らないかです」
「うむ、いずれにしろ奴らには何かしらの理由でハイネから去れない理由があるようだな」
再びベルとアゼルはそれを無言で肯定した。
ふとルディの気配が改まりベルに向き直った、ベルもその雰囲気の変化を感じ取る。
「ベル、コッキーの事をどう思っているんだ?」
「えっ!?友達だよ、短い付き合いだけどいろいろあったから」
「心配か?」
「心配だけど焦ってもしょうが無い、できる事をやるしか無いよ」
ルディはベルのどこか掴みどころの無いドライで人や物に執着しない性格が嫌いではないが、彼女の内面が掴めないのが悩みだった、外面は単純で判りやすいがそこから一歩踏み込もうとすると途端に掴みどころが無くなるのだ。
コッキーが魔剣を奪い失踪した時もベルは驚きはしたが大きく取り乱す事もなく冷静に行動した、それは悪い事ではないがそれに不安も感じていたのだ。
「ねえ奴らコッキーをどうやって操っているのかな?コッキーはふらふらしてここから出ていったらしい」
「そうだったな、アゼルよどうやって操っていると思う?」
「精霊憑きと呼ばれる魔術で人を操る事は可能だと昨日お話したと思います」
「精霊憑きっていまいち良くわからないんだけど?」
「これは精霊に術の対象を支配させる魔術です、知能の高い精霊ならば複雑な事をさせる事ができますね、欠点は術が途切れたら支配も終わります、そして術者の近くでしか効果がありません精霊力が及ぶ範囲だけなのです」
「なら魔術以外に方法はあるの?」
「そうですね薬物を使った方法がありますが、これも複雑な事をさせる事はできません」
「薬物?」
ベルの表情が急に何かを思い出した様に変わる。
「どうした?」
「アゼルちょっと来て!!」
「なんですか?」
ベルは椅子から立ち上がると強引にアゼルを引っ張りに階段に引きずって行こうとした。
「もしかして上に何かあるのですね?」
ベルは店の主人に声をかけると、アゼルと階段を急いで昇り二階に向かった、その後からルディが慌てて追いかけてくる。
臭いは薄れていたが僅かに廊下に臭いが漂っている、だがアゼルには弱くて感知できないようだ、だがルディはそれを敏感に嗅ぎ取った。
「少し甘ったるい臭いがするな、これの事かベル?」
「そう」
例の部屋は空気の入れ替えの為に扉が解放されている、その部屋に入るとまだはっきりと臭いが残っている、壁や家具に染み付いているのだろう。
「これなら私にもわかります、これはソムニの果実から採れる樹液を特殊な方法で加工した触媒の臭いに似ていますね」
「何に使うものだ?」
「召喚術を中心に多くの魔術で使われるありふれた触媒です、ソムニの果実は医薬品の原料にも使われます、あと麻薬の原料にもなるので厳しく管理している国もありますよ」
「コッキーはその薬で操られていた?」
「機会を見つけ魔剣を奪い逃げるなどそんな複雑な事をさせる事はできません」
「何か未知の方法があると考えるべきでしょう、テレーゼは禁忌が通じない土地です、非道な実験や研究がまかり通る土地ですから」
その時の事だった、階段の下から給仕の少年がルディ達を呼ぶ声が響いてきた。
「お客さん料理が出来ましたー!!」
隠れ宿の二階の部屋に残ったのは、ピッポとテヘペロとコッキーの三人だけになった、コッキーは意思のない人形の様にベッドに腰掛けている。
テヘペロはそんな彼女を少し気味悪く思いながらも観察していた。
「これはまだ良く理解できないわね、催眠術とは違うのよね?」
「今は小娘を支配している死霊が命令を待ち受ける状態にしているのです、小娘自身は浅い睡眠状態でしてな」
「だからピッポの言うことを聞くのね、たしかこの娘の母親の死霊だったわね?」
「小娘自身が母親の言いつけに従いたいようですから、抵抗の意思が弱いのです、非常に上手くいきました、これから古い命令を取り消し新しい命令を与えて行きます」
「そこであの薬を奴らに飲ませるのね?確実に効くの?」
「たぶん大丈夫です・・・」
「たぶん?」
ピッポはめずらしく困惑した表情を浮かべている。
「テヘペロさん、いままで幽界帰りに投与した事なんて無いんですよ?試験したくてもそのような者が居ませんでした」
「ですが魔術師や狂戦士には大きな効果がありました、薬が効いている間は幽界への通路から精霊力を取り込む事ができなくなったのです」
「やっぱりね、狂戦士の治療薬と聞いた時からそんな所だろうと思っていたけどね」
「はっきり言ってこれだけが頼りです、ただ材料の関係で製造が困難な事と副作用が酷く治療薬になっていませんでした、今どこまで研究が進んでいるかは知りませんがね、イヒヒ」
「私も試す価値は認めるわ、でもやってみないとわからないわね」
「これから施す術の特徴は、幾つかの条件を満たした時に死霊が主導権を奪い与えた命令を実行させるのです、死霊にはある程度の知性があるので状況判断しながら複雑な事ができるのですよ。
そしてこの術を見抜くには死霊術や召喚術や錬金術に長けた者がしかるべき手段で調べないと不可能でしてな、これは召喚術の仕組みの研究から始まった術なので唯の死霊術師では仕組みを理解できないでしょう」
ピッポはそこで何かを言おうとしたが躊躇してから意を決して話し始めた。
「テヘペロさん私はあの黒い髪の娘に標的を絞ろうと思いますぞ」
「それでいいの?」
「二人同時に無力化し確保するのは困難だと思いまして、一人でも十分過ぎる見返りがありますぞ?」
「この娘はあの黒い髪の娘と親しい様でして部屋も同室でした機会もそれだけ多くなるでしょう」
ピッポはコッキーの頭のてっぺんを手の平で軽く叩きながらそう言い放った、だがコッキーの表情はあいかわらず死んだように無表情だった。
「わかったわ他の皆んなにもそれとなく言っておくわね、あいつらのヤバさはわかっているから納得するわよ」
「ではそろそろ始めましょう、テヘペロさんも準備を始めてください」