隠れ宿
三人はハイネの炭鉱街の南側にある宿屋を虱潰しにしながら徐々に北に捜索範囲を広げて行った、最初の一時間は何の成果も無かった、更に北側の捜索を始めてそろそろ一時間経とうとした頃だろうか。
ベルが訪ねた宿屋『黒い兄弟』の主人にコッキーと女魔術師の特徴について尋ねた処で主人の態度が変わった。
「そいつらだと思うがしばらく前に慌てて出ていったぞ」
「なんだって?どのくらい前?」
「そうだな三十分ぐらい前かな?」
三十分あればかなり遠くまで行ってしまうとベルは判断した。
「女の子もいたの?」
「ああ小柄なかわいい娘だったな、だが体が悪いようだったふらふらしていたぞ」
「女魔術師もいたんだね?」
「あれはいい女だったな、おっと!!お嬢ちゃんに言う事じゃないな、あと小柄な親父の魔術師と他に男が二人いた、ここに泊まってたのは女の娘と魔術師二人だけだ」
ベルはそこで考え込み始めた、主人はかまわず慌ただしく出ていった客の悪口を言い始める。
「キャンセル料はもらったが、部屋に変な臭いが立ち込めていたし、食器まで壊して出て行きやがったよ」
主人はそれに怒りを感じているようだ。
「変な臭いってなに?」
「パンを焼いたような、お菓子を焼いた様な甘ったるい臭いだ」
「そうなんだ・・ねえ宿泊名簿を見せて、お願い!!」
ベルは上目使いでウインクしておねだりしてみせた、ベルは色仕掛けのつもりだったが、残念ながら宿の主人には可愛くて面白いだけだったが。
それでも機嫌が良くなった主人は笑いながら宿泊名簿をベルに見せてくれた。
「文字が読めるのかい?奴らのとこしか見せねえからな」
女魔術師達は二部屋契約していて、片方の部屋に女魔術師とコッキーらしき娘が宿泊し、もう片方に小柄な中年の魔術師が宿泊したらしい。
だが名簿に書き込まれた名前はコッキーでは無い、コッキー=フローテンと正直に書き込まれているとは期待してなかったが。
男の魔術師はピッポ=バナージ、女魔術師の名前はテヘペロ=パンナコッタと記入されていた、これも偽名なのか本名なのかは定かではなかった。
「ピッポはアイツの事だな、確かそんな名前だった、ならこの娘はコッキーだ」
「どうした?」
宿の主人はベルの独り言を聞きとがめた。
「ごめん独り言・・・」
これで彼らが何らかの理由でハイネに留まっていた事、コッキーがまだ生きている事が判明したのだ、だが残念ながら一歩遅かった。
「やっぱり見張られていたんだな」
「ねえ、その変な臭いだけど確認させて」
「今窓を開けて空気を入れかえているところだぞ?」
「僕は鼻が利くから大丈夫だよ!おねがい!!」
ベルはまた先程と同じ様な上目使いでおねだりする、宿の主人は笑いをこらえながら。
「まあ、いいだろうついてきな」
主人は二階への階段を昇って行く、ベルはその後に付いて行く。
部屋は清掃中でドアが解放され廊下に僅かに臭いが漏れ出していた、その臭いは確かにお菓子を焼いた様な甘い香りだった。
「この部屋だ」
ベッドが二つあるが部屋は古びていて壁や天井が黒く煤けていた、部屋では小間使いが掃除をしていたが彼女は驚いた様に入口をふりかえる。
「あの旦那様なにか御用ですか?」
「なんでもない仕事を続けろ」
その部屋の中は廊下の臭いと同じだが強い臭気で満たされていた。
ベルはふと時間が気になり小石を確認する、この宿に入る前は青かった小石から色が失われていた。
「僕は急ぐから、おじさんありがとう!また来る!!」
「お、おい!!」
後ろから主人の声が追いかけてきた。
だがベルは階段を降りると宿屋から飛び出し街を駆け始めた。
炭鉱街の中心から南に外れた聖霊教会の裏が第二の待ち合わせ場所になっていた、ルディとアゼルは既に集合していた、ルディはまだ元気そうだが流石にアゼルには疲労の色が見える、エリザもアゼルの肩の上で眠そうに俯いている。
そこにベルが逸る気持ちを抑えながら不自然にならない程度に抑えた速度で疾走り込んで来た、ベルはまったく息も切らさず汗すらかいていない。
「どうしたベル?」
「奴らが泊まっていた宿を見つけた!!でも出ていった直後だった」
「なんだと!?奴らまだハイネにいたのか?コッキーは!?」
「宿泊客の中にいたみたい、その宿屋に行こう歩きながら話すよ」
「殿下そういたしましょうか」
二人はベルの案内でその宿屋に向って歩きだしていた。
「ここだ」
マティアスが指し示したのは新市街の炭鉱街の北にある、製鉄所に程近い倉庫街の中の有りふれた倉庫の一つだった。
マティアスは人力荷車を引きそれをテオが後ろから押している、荷車は箱型の荷台を乗せその中に麦藁などを積み上げ幌布を覆い被せている。
その布の隙間から見える麦藁が僅かにもぞもぞと動きだした。
「ここなの?」
テヘペロの声がしたがどこにも彼女の姿は見えない。
「ここが言っていた宿屋だ」
「奴らを誤魔化せるかしら?火の精霊術は小細工には向かないのよねーこんな時に困るわ」
「いろいろ面倒な小細工をしましたから、大丈夫だとは思いますが」
ピッポの声も聞こえたがやはり彼の姿も見えない、そしてあまり自信の無い響きだった。
「虱潰しと言うのは馬鹿らしいやり方だが、やられるとなると嫌なものだな」
テオがうんざりした口調で愚痴を言う。
「まったくだ」
マティアスは疲れた様子を隠そうともしなかった。
「旧市街の宿屋からこんなところまで追い出されるとは情けないですな」
ふたたびピッポが情けなさそうに文句を垂れる。
「格上で危険な奴らを相手にしているのだ、やつらにこちらの存在が知られてしまったのが痛い」
テオが苦虫を潰したような表情でぼやく、昨日の晩まではピッポ達は相手から存在を隠していた、だがテオが黒い髪の娘に捕まってしまった処から狂い始めていた、相手が超常の者とは言えテオも責任を感じていたのだ。
荷車は車輪の音を軋ませながら倉庫の敷地に入っていく、倉庫の敷地の番小屋にいた男が二人ほど敷地に入ってきた荷車を見咎めて近づいてくる。
服装こそ倉庫で働く人夫にしか見えないが、彼らはどこか堅気ではない空気を纏っていた。
この男達にマティアスが対応し何か話し込んでいた、やがてマティアスが荷車の方を向き直り誰ともなく話しかける。
「運がいいようだぜ、空き部屋が二つ確保できそうだ、倉庫の一階が作業場になっているそこに荷車をいれようか」
荷車は男たちが開けた倉庫の扉から中に入って行く。
倉庫の一階は普通に荷物が収納されていたが、二階が宿屋に改装されている、外側からは倉庫にしか見えない構造だ。
「ここは伝手が無いと利用できないんだ、いろいろ後ろ暗い人間が泊まる為にある、中には攫われた者を監禁したりしてな、宿屋は一切口を出さないが宿泊料は高い」
テオ達が分厚い布を外すと荷台の中からテヘペロがまず起き上がる。
「もう麦藁臭いわよ」
体に着いた麦藁を払い落としながら荷台から降りる。
「そうですな、次の落ち着き場所を決めるまでの隠れ家で良しとしましょう」
続いてピッポが麦藁の中から起き上がる。
その二人の間からテヘペロの帽子の先が麦藁の中から頭を覗かせていた。
「テヘペロさん、まずは先に娘を出しましょうぞ?」
「ええそうだったわ」
二人がテヘペロの帽子の周りの麦藁をかき分け、帽子を引き抜くと下からコッキーの顔が出てきた、その顔は目を見開いていたが意識が無いのかまったくの無表情、まるで死んでいる様にも見える。
「さあコッキーよ起き上がりなさい」
ピッポが命じるとコッキーはのろのろと起き上がる、それをマティアス達が手伝い荷車の台車から彼女を降ろした。
ふらふらとした彼女をテヘペロが支えて立たせる。
「もう!!この娘小さいけど面倒だわね」
「さて娘をいつ奪い返されてもいいように準備をいそぎますぞ?」
「例の薬がまだできてないわよピッポ?」
「薬は後からでも渡せます、むしろ後から渡すべきですな、だがこれだけは先にやっておかねばなりません」
そこに宿の責任者と使用人がやってくる、責任者は細身で長身の壮年の隻眼の男で眼帯を着けていた、そして使用人は小太りの中背の若い男だ。
隻眼の男が客にこの宿屋のお決まりの挨拶をする。
「この宿にようこそ、ここには特に名前は無いので倉庫とでも呼んでくれ、ここの決まりは知っていると思うが守ってくれよ、場合によっては力ずくで従ってもらわねばならん」
挨拶からして友好的では無かったが特に敵意があるわけでは無いのだ。
「では私がご案内します」
小太りの使用人が一行を二階への階段に導いた、コッキーを含めた五人は無言で倉庫の二階に上がっていった。
契約した部屋の片方にテヘペロが守護の結界を張り全員そこに集合した。
「さて急がなければなりませんぞ?やることが多すぎる!!」
「まず狂戦士の治療薬を作らなければなりません、私は『死靈のダンス』に詰めて奴らの注文に応じて働きながら死靈術師達から使用済みの触媒を集めます、それ以外の素材はテヘペロさんにお願いしますぞ」
「わかったわ、あのリストだと少し面倒なものが在るわね『死靈のダンス』にあるかしら?」
「それは最後の手段ですぞ?イヒヒ」
「さあ、あんたはここにお座り」
テヘペロは夢遊病者の様なコッキーを片方のベッドに座らせた。
「あとは腰を据えて居座れる場所が必要ですな?ここは安全ですがなにせ高すぎます」
「ああ、俺達はそれほど金に余裕がない」
「これはマティアスさんにお願いしたい」
「それは構わんが俺は死体集めの護衛の仕事も受けているぞ」
「そこは『死霊のダンス』とも深い関係があるようですから重要ですぞ、宿探しは暇を見つけてお願いします」
「まあわかった」
ピッポが急に無念そうに呟いた。
「余裕があるなら狂戦士を兵器にする方法を調べたいのですが時間がありません」
「そんな事ができるならよね?」
「はいテヘペロさんそうなんですよ、もし狂戦士を作り上げる事ができるとしたら?その研究には大きな可能性がありますぞ?とくに私にとっては・・・」
「今はそれどころじゃないわね伝手もコネも無いし・・・」
「あとテオさんにはジム少年に我々が引っ越した事を伝えてください、次に奴らが何の目的でハイネに来たのか知りたいですな、あと奴らは何者なのか?」
「俺はギリギリの距離で尾行しているんだ、尾行に差し障りがある事はできないぞ?あとピッポよ手を広げ過ぎではないか?」
テオがピッポに珍しく意見を述べる。
「小娘が簡単に剣を奪ってくるとは思わなかった、神隠し帰りに一点賭けした方が良いのではないか?」
マティアスもテオに賛成の様だ。
「そうねジム君やマティアスも今の仕事から抜けてもらってこれに備えた方が良いかしらね?」
「ごもっともですが薬ができる目処が経ってから引き上げても良いではありませんか?少年はともかくマティアスさんはここで生きてきた方、裏世界の契約を放棄してしまったらこの先困るのではありませんかな?」
「はは、大金を手に入れる目処が立つなら、テレーゼを捨てる事などどうって事は無いさ、だいたい俺の生まれはテレーゼでは無い、だがあまり敵を増やすのは愚かな事だ、準備が整うまでは予定通りこのまま仕事をした方が良いだろう」
「とはいえ奴らがいつまでここにいるかもわかりません、まあ最悪の場合は魔剣をもって逃げる事も考えましょう」
「それだけでも半年は遊んで暮らせるぜ、それだけでしか無いがな・・・はは」
テオが自嘲気味に笑った。
「でも奴らの目的は何かしらね?奴らは魔剣に執着しているのかしら?あとこの娘も見捨てていないようだし、そもそもあいつら何者?」
「幽界から帰ってきた者が同時に二人ですぞ!!億分の一のその又億分の一の確率ですな」
ピッポも軽口を言うようでその目は真剣な光を浮かべていた、単なる偶然と考えて良いのかと疑問を感じてはいたのだ。
「さて、これからこの娘に仕掛けをしなくてはなりません、テヘペロさん支援をお願いしますぞ」
「ああ、では仕事に戻る」
マティアスが部屋から出て行こうとする。
「俺も奴らを見つけてまた尾行しなければならん、さて奴らが今どこにいるのやら?」
「テオさんマティアスさんお手数をおかけしましたな、イヒヒ」
ピッポの笑いはどこか弱々しかった。
その時の事だった、テヘペロが何か思いついた様に部屋から出て行こうとするテオを呼び止めた。
「まってテオ!!修道女の服とか手に入らないかしら?もう変装しないと外に出られないわ」