覚醒
朝の日差しが窓から差し込みその眩しさからコッキーは目を覚した、真っ先に彼女の目に黒く煤けた天井が目に入って来る。
「起きたのね?」
その声に驚き思わず声の主を見た、すでに女魔術師は着替えを終えてベッドの端に腰掛けていた、だが変わらずコッキーは何も応えようとしない。
「食べるようになったと思ったけど、あいからわず何も話す気は無いのね」
コッキーがテーブルに目を転じると小さなテーブルに簡単な朝食が用意されている。
「貴女の名前はなんですか?」
「えっ!?知らなかったの?リネインで自己紹介したと思ったけど」
女魔術師は呆れた様子を隠す気もないようだ。
「あの時の事は良く覚えていません」
「あらら、私はテヘペロ=パンナコッタよ」
「わたしはコッキー=フローテンなのです」
気不味い僅かな沈黙を挟んでコッキーが再び口を開く。
「私を捕まえてどうするつもりですか?剣が欲しいだけじゃないのです?」
「あら?まあ当たり前の疑問よね」
テヘペロは少し思案し言葉を続けた。
「隠す程の事もないわ、はっきり言うと貴女は人質よ」
混乱するコッキーをテヘペロは観察している。
「何か驚く程の事なの?もしかしてそれ以外に何か有るのかしら?」
「ベルさん達からまだ欲しいものがあるのです?」
「ベルってあの黒い娘ね、そうねあの娘自身が欲しいわね」
「ベルさんをどうするつもりですか?」
コッキーは怒りとも嫌悪ともとれる敵意に満ちた表情を浮かべてテヘぺロを睨みつけた。
テヘペロはコッキーがその理由を聞いてくると予想していたが、コッキーがベルやあの男の異常な力の事情を知っているのではと疑いはじめた。
「貴女はあの娘が不思議な力を持っているのを知っているのよね?」
コッキーの顔が驚きに大きく歪んだ、テヘペロはコッキーの馬鹿正直さに苦笑したが、自分の探りが成功した事を密かに喜んでいた。
「嘘を付くのが下手ね、そうね神隠し帰りはねとても珍しいのよ、あの魔剣の何十倍も価値があるわね」
「神隠し帰り・・・それはなんです?」
「幽界、いえ不思議な世界に落ちて生きて帰って来た人間の事をそう呼ぶのよ、とても珍しいのよ」
コッキーは目を見開きその顔から血の気が引いて行く。
「あらどうしたのかしら?あなたは知っているのね」
例の三人組にはかなりの実力者の魔術師の若い男がいた、彼女は目の前の小娘が神隠し帰りに関して知っている可能性も有ると予想していたのだ。
「ベ、ベルさんがその神隠し帰りなんですか?」
「まあ私達の推理だけどね、本当に神隠し帰りなら世界中の魔術師達が研究したがるわ」
「そんな事だめです!!」
「あはっ!!だめと言われて止めるものですか、私も魔術師の端くれよ?お金儲け抜きでも興味はあるわね、あの娘が貴女をおんぶして屋根から屋根へ跳び移ってたみたいだけど、普通の人間にそんな事できるわけないでしょ?」
「見ていたのですか?」
コッキーの顔に僅かに赤みが指した、あの時は錯乱していたのでそれどころでは無かったが後で思い返して赤面したものだ、それは運び手の両腕を解放し運ばれる者の手足が邪魔に成らないように縛り固定する技だった。
「いいえ私の仲間が見ていたのよ?あの黒い娘はなかなか手際が良いようね、とても理にかなった縛り方だと褒めていたわ、でも屋根の上を進む貴方達に付いて行けなかったって愚痴ってたわよ?」
ルディが軍で怪我人や病人を一人で運ばなければならない時に使う技と感心していた事を僅かに思い出していた。
「ねえ、貴女の荷物の中にあったトランペットは何かしら?」
「あれはお父さんの形見なのです・・・」
テヘペロはあからさまな不信の表情を浮かべた。
「でもあれ壊れているわよね?」
コッキーは再び目を見開いた、コッキーの目が落ち着き無く宙を彷徨う。
「もしかして吹いたのですか!?」
「試したのよ」
「前はちゃんと音がしたのですよ」
もうコッキーは口を開こうともしなかった。
「しょうがないわね、私は用事があるからそろそろ行くわよ、この部屋には今も防護の術がかけてあるけど、貴女だけはここからは出られないわ、この部屋はトイレもある一番良い部屋だから貴女はこの部屋で大人しくしていなさいな」
テヘペロはローブを纏い三角帽を手に取り部屋から出ていく、すぐにドアの外から彼女の詠唱が聞こえ何か張り詰めた様な気配が満ちて消えた。
彼女が階段を降りて行く足音が遠ざかりコッキーは思わずため息をついた。
「今のは何です?」
何か見えない力がドアの向こうから湧き上がりそれが薄れて消えて行くのを感じていた、これが魔術なのだろうかと思ったが、魔術の知識の無いコッキーにはそれ以上の事は判らない。
試しにドアを開けようとしたがドアは見えない壁が在るかのように触れる事すらできなかった、窓際に寄り窓を開けようとしたがやはり窓に触れる事ができない。
諦めてテーブルに座り用意された朝食を食べ始めた、コッキーにとってテヘペロは敵だ、その敵が用意した食べ物など本当は手を付けたく無かった、だがテヘペロが昨日言った様に生きるためには食べなくてはならなかった。
コッキーは仲間達が魔剣を盗んだコッキーを裏切り者と怒っているのではないかと恐れていた、裏切られたと思い悲しんでいる事を恐れた。
母の死霊を利用されルディの魔剣を盗み出したが、事情を知らない彼らがそう思うのは当然の事だった。
そして何よりも軽蔑される事が辛かった、裏切り者と思われたまま二度と会え無くなる事が恐ろしかった、だから今は何としてでも生き延びて皆んなに謝りたかった。
「私はどうしたらいいのですか!?」
なかば泣き崩れそうな声で戦慄いた、その時なにかが割れるような鈍い音が部屋に響きわたる。
コッキーは何が起きたのか理解して混乱した、彼女が握っていた水の入った木製カップがひび割れて潰れかけていたのだから、ひび割れから水が漏れ落ちて小さなテーブルの上に水たまりを作っている、そして割れた木製のカップを唖然としながら眺める。
「壊れかけていたのですか?」
皿の上にパンと干し肉を移し自分のベッドの上に置いた、ベッドの下に雑巾があるのを見つけテーブルの上の水を拭う、そしてベットに腰掛けて残った朝食を口に放り込んだ。
そのままベッドに仰向けに転がりなりながら天井を見上げた。
「神隠し帰りですか・・・」
テヘペロが言った神隠し帰りは始めて聞く言葉だった、だがその言葉の意味をコッキーすぐ理解できた、そしてあの不思議な世界の旅を思い出していた、大昔の出来事の様に感じていたが僅か三日前の出来事だった、そしてあの世界から帰って来た自分も神隠し帰りなのではと思う。
先程テヘペロがトランペットを吹いても音がしなかったと言っていた、もしかしたらあのトランペットは自分だけが吹き鳴らす事が出来るのではないかと思い至った。
「秘密にしなきゃいけません」
何かが変わり始めている、自分に何かが起きている、そんな予感にコッキーは身震いした。