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エルニア帝国興亡記 ~ 戦乱の大地と精霊王への路  作者: 洞窟王
第三章 陰謀のハイネ
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拳の聖女

 辺境の小さなパトレ村を襲った悲劇、それは徴発隊の壊滅であっけなく幕を閉じた、徴発隊はアマンダを侮っていたわけではなかった、たった一人だから、女だから侮っていたわけではなかった。

あの人間竹トンボを見せつけられて油断の入り込む隙間など台所にいるあの黒い嫌な奴にすら見つける事などできなかったのだ。


彼らはアマンダを包囲し押しつつもうとした、だがそれが完全に裏目に出た。

彼女は包囲の完成を待ちはしなかった、アマンダの拳の暴威の前にただ効率を無駄に高めただけだった、彼女の踵が膝が太ももが腰が拳が肘が肩が彼女の肉体全てが凶器と化した。


盾は撃ち抜かれ曲がり、剣は折られ、槍は砕かれ、兜は押し潰され、鎧はひしゃげてパーツ単位に分解され吹き飛ばされた、兵士達は風に飛ばされる藁の案山子の様に翻弄(ホンロウ)され、押しつぶされ、壁に叩きつけられ、あるものは宙を舞う。


戦いは僅かの間に幕を閉じ後にはただ静寂だけが残る。



村人達はあまりもの非常識な光景に考える力を失っていた、アマンダを追いかけていた少年も驚きの表情を貼り付けたまま固まる。


村人達の中に徴発隊から逃れられた安堵よりも、その凄まじい戦闘能力を発揮した赤毛の女性に対する恐怖が広がって行く。

それは非人間的な力に対する恐れと恐怖だった。


だがそれは少年の叫びで掻き消される。


「拳の聖女様だ!!」


村人は半ば生ける神話と化している拳の聖女こと『鋼の聖女アンネリーゼ』の数々の武勇伝を思い出したのだ。

太陽の化身とも黄金の女神とも武神とも讃えられる聖霊教の大聖女候補の聖女アンネリーゼの伝説はこの辺境にまで轟いていた。


「たしかに聖霊拳の使い手に見える・・もしやあの方は武神なのか?」

「退魔の聖女様か・・・そうなのか」

人々から恐れと嫌悪と恐怖が急速に消えていく、鳥が空高く飛んだとして、魚が水深く沈んだとて誰がそれを恐れたり不思議がるだろうか?

昔話から吟遊詩人の(ウタ)にまで、放浪の聖霊拳の聖人がふらりとやって来て悪を滅ぼし去っていく物語は王道中の王道な主題だった。


『聖霊拳ならばね!!』それで全て説明がついてしまうのだ、退魔の聖女様が村を通り過ぎた後には悪の残骸だけが残る、それは人々には慣れ親しんだ物語だった、徴発隊の全滅はもはや天罰が下っただけと受け止められていた。



村に残っていた村人は広場に集まり始めた。

「でもあの方の髪の毛は赤いわ肌も白いし、聖女様は光り輝く黄金の髪と太陽に愛された美しい小麦色の肌と聞くわよ?」

「たしかに」

「それにあの人は服を着ているじゃない?拳の聖女様はもっと裸に近いはずよ」


その時やっと村長が思考停止状態から我に返ったのだ。

「あ、そうだった、何をやっておる!!けが人の手当をするのじゃ!!!」


我を取り戻した村長が村人達に指示を出しはじめた、おなじくアマンダに気を取られていた村人達が村の中に散り救護に取り掛かりはじめた。

村長も隊長に殴打され怪我をしていたがそれに構わず手際よく指示を出していく。


「そうだ、犠牲者を確認してくれ」

そして沈痛な声で付け加えた。


森に逃げ込んでいた女子供達が徴発隊の壊滅を知り少しずつ村に戻って来た。

村長は意を決して赤毛の女性に近づこうと歩み寄った、そして村長の表情が変わっていく、アマンダの美貌とその素晴らしい肢体に改めて見惚れていた、何か思いに浸っていたアマンダもまた村長が近づいて来たのを察し顔を上げる。

実はアマンダは憧れの聖女アンネリーゼと間違われた事で、嬉しさと恥ずかしさでつい顔を伏せていただけだったが、そんな事は村長にはわからない。



「こいつらを全滅させてしまったけど迷惑だったかしら?」

アマンダは壊滅した徴発隊を指差した、徴発隊だった者達の周囲には破壊された装備が撒き散らされている。


「いえ、貴女が来る前から戦いになっておりました、迷惑などとんでもございません、貴女のおかげで取りあえず助かりました」

「とりあえず?」

「ここの支配者オレノの部隊を全滅させたので報復があるでしょう、我らは村を捨てなければならないでしょうな」

「村を捨てるのですか!?」

「奴らは我々の生きる為の食糧まで徴発しようとしました、このままでは餓死か殺される未来しかありません」

「他の村と団結して戦う事はできないの?」

「三月前に蜂起が失敗しまして主だった者が殺され指導者を務められる者がいなくなったのです・・・」

アマンダはやはりと言った表情を浮かべた反乱の失敗を知っているのだろうか?


「何処に逃げるおつもりかしら?」

「東のクラビエを目指します・・・」

アマンダは天を仰いだ。


「ところで貴女様はお強いですな、差し支え無ければお名前を」

「私は薬の行商人をしているカルメラ=バストーレです、護身に聖霊拳を嗜んでおりますわ」

周囲の村人の中でも世知に長けた者は赤毛の女性の身分をなんとなく察した、密偵か何かの特別な任務を帯びているか、聖霊教と関係が有ると疑う者もいた。


「私は荷物を取りに行ってきます」

微妙な雰囲気の中アマンダは森に置いてきた薬箱と白いローブを回収する為にその場から去ろうとした。

村人はアマンダに慌てて道を開けた、すでに嫌悪や恐怖は消えていたが、彼女に対する畏怖はむしろより強くなっていた。

そのアマンダを先程の少年が追いかけて行く。


森の樹木の枝に白いものを確認したアマンダはそれを目印にそこに向う、その彼女の後ろから子供の声が追いかけてきた。

「カルメラ姉ちゃん!!」

それが自分の偽名と気がついたアマンダは足を止めて声の主を見る、それはこの村で最初に出会った少年だった。


「何か用かしら?」

少年はアマンダの前まで来ると仰ぎ見るようにアマンダを見つめる。

「お姉ちゃんは拳の聖女様なの?」

「いいえ拳の聖女様じゃあないわ、聖霊拳は使えるけどね」

「ぼくも強くなれる?僕も聖霊拳を使える様になりたいんだ!!」


アマンダは困惑してしまった、聖霊拳を学んだとしても強くなれる保証などない、強くなれると言えば嘘をつく事になる。

「そうね強くなれるかもしれないわ、でも今はできる事をしなさい、今は・・」

今はご両親の側にいてあげる事よ、そう言いかけて淀んだ。


「今は?」

「今は大切な人の側にいてあげる事よ、いいわね?」

アマンダは微笑み白い目印に向って再び歩き始める。




暫くすると薬の行商人と化したアマンダが村にの広場に戻ってきた、もはや白いローブに全身を包み顔も良く見えない。

村人達が忙しく走り回るなかアマンダだけがゆったりと歩を進めている。


「私は急ぐ身です、もう行かなければなりません、皆様の幸運を精霊にお祈りしますわ」

フードを払い広場で指揮をとる村長にそう挨拶するとアマンダは南に向って歩き去っていく。


村人の中にはアマンダが去る事で内心ほっとしている者が少なからずいた、それほど彼女の戦いは凄まじく鬼神の様な戦いだったのだから。

そんな彼女を敢えて村に止めようとする者はいなかった、それに彼らにはアマンダを歓迎する時間も精神的な余裕もまったくない。


ただあの少年だけが去り往くアマンダの後ろ姿を見送っていた。








アラセナのほぼ中心にアラセナ城市がある、ここがアラセナ旧伯爵領の中心都市だ。

現在の城の支配者は元傭兵隊長のセルディオ=コレオリだが、そこにオルビア王国の使節団が到着していた。


その謁見室にオルビア王国の交渉人アマデオとセルディオの副官のジョゼフが報告に訪れていた。

二人はオルビア王国の使節団を国境まで出迎え使節団と共にアラセナ城市に戻ってきたところだった。


明日の和平会談を前にして最後の打ち合わせがこれから行われる、それにはオレノやジョスの代理人も出席する重要な会議だった。

謁見の間の隣の会議室に出席者を迎える準備が整えられていた。


「只今オルビア王国の使節をお迎えし戻りました」

ジョゼフがセルディオに帰還の挨拶をする。


「アマデオ殿、ジョゼフご苦労だった、ところで宰相殿の名代は?」

「名代殿は休息をとっておられます、まもなくこちらに」

「私がお迎えに行って参ります」

アマデオは一礼すると控室に向かう。


セルディオは上機嫌でジョゼフに語りかける。

「俺もこれで晴れて貴族の仲間入りだぞ?あの僭称伯ですら偽物だったんだからな、ははは」

「ははっ」

ジョゼフは畏まった態度をわざととった、まるで貴族とその家臣にでもなったかのようだ、セルディオはそれでますます機嫌が良くなった。

この男はセルディオの機嫌をとるツボを良く心得ていた。


だがセルディオは一転して不快な顔をして忌々しそうに吐き捨てたのだ。

「あのオレノやジョスも貴族様になってここアラセナを治めるんだぞ?」

「オルビア王国側の提案ですよ?和睦を結び和平条約を結ぶことが後援の条件です、オルビア王国は兵を出してまでここの平定に関わり合いにはなりたくないんですよ?」


今更それを言うのかとジョゼフは言いたかったがそれを表情から押し隠した、傭兵隊長のセルディオ=コレオリは傭兵部隊の指揮官としてはまずまずだったが、それ以外はまったくの無能だった、その負担がジョゼフに全てのしかかっていた。


やがてオレノとジョスの代理人が謁見室に入って来た、にわかにその場にいる全員に緊張感が高まる。

かつての仲間であり部下であったが今は激しく敵対しているのだ、オレノとジョスの代理人同士も嫌悪な雰囲気になっている点が問題の深刻さを良く表していた。

強張った表情でお互いに形式的な挨拶をした後で彼らは主賓を待つために待機する。


やがて先触れがオルビア王国の宰相の名代の来訪を告げる。

セルディオとジョゼフも代理人達も流石に態度を改めた、相手の身分が高いためセルディオは正面の一段高い領主の椅子から立ち上がり謁見の間の入口まで歓迎の為に移動する。


間もなくアマデオがオルビア王国の宰相の名代を案内しながら謁見室に入ってくる、宰相の名代はオルビア王国の王室の縁戚の名門貴族の引退した老人だった、かつて外務卿を努めていたが実務からは退いて久しいと言われていた。

いわばこの平和交渉はすでに実務レベルでは終わっており、この名門の老人を箔付けの為に送り込んできたわけだ。


その老貴族は目線が落ち着かず頼りなさげだった、アマデオがそれを丁寧に補っている。


彼らは使節団の一行を案内しながら会議室に移動する。


名代が主賓席に着席するとその場の全員も指定された席につく。

セルディオの隣に座るジョゼフは小声で改めて名代の人物に関する情報をセルディオに教える、以前に説明しているがセルディオをまったく信用していなかったのだ。


セルディオはその老いた大貴族と対面して威厳や気品にかける様な気がしていた、とは言え彼もそれほど貴族社会に親しんでいた訳では無い事と、引退して久しい老人故に鈍ったのだろうと判断した。

貴族的なアマデオの態度と老貴族に対する慇懃(インギン)な態度から僅かな疑問もやがて消えていく。


進行役のジョゼフが簡単な挨拶を述べそれに名代の挨拶が続く、明日の平和会議の最後の打ち合わせの場なので極めて簡単なものだ、セルディオは名代が少しもたついていたので大丈夫なのかと少し不安になった。



最初にオルビア王国とそれぞれの派閥の意思と要求の最後の確認が行われ、続いて明日の和平会談の場の確認とスケジュールの確認が行われるであろう。


すでにセルディオはオルビア王国の貴族となった己の未来に心を馳せていた。





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