明日は
ハイネの野菊亭のルディの部屋に三人が集まり、お互いに情報の共有を進めていた、食堂ではベルの大雑把な話しか聞く事ができなかったからだ。
「ベルよ墓場で感じた瘴気から感じた感覚とコステロに触れられた時に感じた感覚が似ていたと言うのか?」
「うん宿に帰ったらこの騒ぎだったから、魔剣やコッキーの事が気になって言うの忘れてた」
「明日その墓地にいってみませんか?そしてハイネの炭鉱町でまた聞き込みをいたしましょう」
アゼルはその瘴気に興味を惹かれた様だった、そしてまた聞き込み調査をしようと言う。
「それもいいけどジンバー商会も調べない?誘拐された子供達がいるかもしれないし」
「だがコッキーを操っていたのがピッポの仲間達だとすると、ジンバー商会に手を出すのも瘴気を調べるのもまずはコッキーを取り戻してからではないか?」
子供の誘拐事件が頻発していてジンバー商会が怪しいのは確かだが証拠があるわけではない、そしてテレーゼが特に酷いと言うだけで子供の誘拐や人身売買はこの世に蔓延していた。
瘴気にしろ誘拐事件であれ結果としてコッキーの事件と関係があったとしても、今の時点では憶測にすぎなかった。
「コッキーの居場所を突き止める方法は無いものか、奴らが剣を手に入れただけで満足した場合コッキーの身が危ういのだ」
ベルとアゼルもそれに頷いた。
「ベルサーレ嬢、先程の話ではテオという男が閃光弾を使いその光に紛れて姿を消したと言いましたが、そのとき強い魔術を使ったと思われたそうですね」
「うん、強い精霊力があの女に集まっていた、そして何か叫んでいた」
「それはもしかして『精霊女王の天幕』ではありませんか?」
「あ、そうかもしれない」
「ほう、なぜそれがわかるのだ?」
ルディがそれに強い興味を示した。
「殿下、ベルサーレ嬢のお話からあの女魔術師は火の精霊術の使い手と推理できます、ですが火の精霊術には良い隠蔽魔術が少ない、そして複数の属性で高度な魔術を行使できる魔術師はほとんどいません、それぞれ得意な属性があるのです、私ならば水の精霊術を得意としています」
「史上最大の魔術師と呼ばれるアイゼンドルフ=ザロモン老師が四属性総てにおいて最上位の魔術を行使できると言われるくらいですね、ですが精霊女王に因んだ名を冠する魔術は無属性が多いのです、そして『精霊女王の天幕』は隠蔽魔術としてはかなりの上位に位置します」
「魔術で隠れていただけで、二人は遠くには行ってなかった?」
「私はそう思います」
「その女はそれだけの高位の魔術を使えるということか」
「間違いなく彼女は上位魔術師ですね」
「それはやっかいだな、コッキーが神隠しから帰った者である事に気が付くかもしれん」
「ええ、コッキーはまだ力を制御できていないようです、隠し切れない可能性が高いですね」
「あの地区で聞き込みをすれば、何か手がかりが見つかるかもしれません、ピッポにしろ女魔術師にしろ非常に目立つ容姿のようですから」
アゼルが重ねて自論を主張した。
結局地味な聞き込みしか無いのかとベルはまた憂鬱な気分になる、超常の力を持つルディとベルであっても奇跡を起こせるわけではないと思い知らされる、だが今日の聞き込みで大きく物事が進展したのも確かな事で聞き込み調査はなかなか侮れない。
「では明日は例の聖霊教会に行き墓地を見てから炭鉱町に行き聞き込みをしよう」
ルディが決断を下した。
「殿下、私も賛成です」
「僕も賛成・・・」
「ベル、随分眠そうだな、今日はいろいろ大変だった、お前の気持ちは判るが焦っても何も解決しない、休む時は休み明日に備える事も大切だぞ」
「そうだね、もう眠る」
「我々も休みましよう」
その時精霊通信盤の鈴が鳴り響き皆を驚かせた、けして大きな音では無いがとても心臓に悪いのだ、アゼルが立ち上がり精霊通信盤に向う。
「今日は遅かったですね、これは短い」
「何かあったのか?」
「C-5です、これは代替文章ですね」
アゼルは背嚢からメモ帳を取り出し調べ始めた。
「暫くの間通信が不定期になるかもしれないと言う意味です」
「話には聞いていたが複雑な意味を伝える時に使うのだな」
ルディは関心した様に呟いた。
「何かが起きたのか?いや起こすのかもしれんな」
「殿下、カルメラ嬢を他の任務に振り替えなければならない事態が起きているのかもしれません」
「ここからでは何もわからん、今は我々のすべき事をやるだけだ」
ルディは先程からベルが静かな事に気がつく、ベルはすでに船を漕ぎかけている、それを見て笑いながら指でベルの頬を軽くつついた。
「もう部屋に戻って寝てくれ」
ベルの意識が戻り一瞬だけ背が伸びた。
「あ、もう寝る・・・」
ベルは眠い目を擦りながら自分の部屋に戻っていった。
コッキーはベッドの上で目を覚ました、目の前に粗末な天井が目に入る、それは獣脂蝋燭やランタンそして煙草や妖しい薬草の煙で黒く煤けていた。
それらが頼り無げなランタンの灯りで薄明るく照らし出されていた。
どこからかとも無く微かな音がする、彼女は音のする方向に顔を向けた、向かいのベッドの側でテヘペロが着替えをしていた。
テヘペロはコッキーが同じ部屋にいる事など気にもとめて無いようだ。
その豊かな肢体にコッキーは驚いた、そして形の良い豊かな胸が目に写り込む、それはコッキーの胸に焼けるような小さな痛みを与えた。
コッキーはふと顔をそらしてしまった。
彼女は痩せて清楚な美しさを誇っていたコッキーの母親とはまったく違うタイプの大人の女性だった、ふと気になってまたテヘペロを見る。
彼女の腹は少々肉付きが良すぎる様に見えるし、その腰も尻も重そうに見えた、だが放浪の旅で鍛えられているのか不思議と不健康には見えなかった、そしてその肌は白く染みも汚れも傷もなく絹の様に美しかった。
「貴女起きているんでしょ?」
コッキーは目を見開くとテヘペロからまた顔をそらして天井を見つめる。
「ねえゲーラで何が起きたのかしら?」
コッキーは沈黙でそれに答えた。
「しょうがないわね・・・あんた食事もとってないのね?」
コッキーはテーブルの上を見た、テーブルの上に粗末な木の皿が置かれその上にパンと干し肉と野菜、隣に水の入った木のカップが置いてあった。
「食べなきゃ死ぬわよ?死んだら終わり」
また天井を見つめた、やはりコッキーは何も答えようとはしなかった。
「ピッポが言っていたわ、テレーゼには不自然に死霊が多いって、戦乱の地と言っても何かが有るってさ、ここで死んだら永遠に彷徨うかもね」
「永遠に彷徨う・・・」
初めてコッキーが言葉を紡ぐ。
天井を照らす頼り無げなランタンの灯りの影が、コッキーにはまるで蠢く死霊の群れの様に感じられた。
「私達には明日なんてないわ、でもね生きるために今日備えるのよ、もし明日生き延びられたらその次の日の為に備える、今日を生きないと明日なんて来ないのよ」
コッキーは天井から再びテヘペロに視線を向けた、既に彼女は薄地のナイトローブを纏っていた、それが彼女の肢体をなお引き立てている。
そしてどこか蔑むような僅かに憐れむような表情でコッキーを見下ろしていた。
コッキーはテーブルの上の食事に手をだそうとベッドの上に起き上がった。
テレーゼの南西の端にアラセナ旧伯爵領がある、そこはエドナ山塊とエスタニア南山脈に囲まれた天然の要害の地だった、エドナ山塊からアラセナ盆地に下る森林地帯の中に一部の木こりや聖霊教会の修道僧にだけ知られた小さな秘湯があった。
その温泉の側に小さな焚き火が炊かれ、そこに吊るされた小さな金属の筒の中で湯が沸いていた。
焚き火から少し離れた大きな石の上に白い衣服が綺麗にたたまれ積まれている、衣服の持ち主の几帳面な性格が伺える。
そして小さな温泉の中で湯浴みをしている女性がいた、彼女こそ薬の行商人に身をやつしていたアマンダその人だった、焚き火の灯りに照らされた彼女の軽く波打った髪はなお一層燃え上がる炎の様だ。
「温泉なんて久しぶりね、うふふ」
のんきな口調から彼女が心から湯浴みを楽しんでいる事が判る。
秘湯とは言え治安の悪いテレーゼそれも混乱の極みのアラセナ旧伯爵領だと言うのにアマンダは裸で温泉で寛いでいるのだ。
もっとも聖霊拳の上達者にとって一糸纏わぬ時こそが最強と言われている、アマンダにとって今が一番安全な状態なのかも知れなかった。
とはいえ羞恥心がその邪魔になるとも語られる、だがそれを突き抜けた域に達した偉人の噂さもあるらしい。
アマンダはやがて温泉から上がる、焚き火の薄暗い灯りにアマンダが照し出された、筋肉の量だけならば重い防具や武器を扱う女性戦士の方が遥かに恵まれているだろう、アマンダの肉体は力と速さと持久力の調和と肉体美を追求した聖霊拳が求める理想を顕していた、あの聖霊教会の退魔の聖女像こそが聖霊拳が求める女性美の到達点と言われている。
アマンダは服を着ながらふと夜空を見上げた、蒼い小さな月『天狼の目』が天高く昇っていた。
「もうこんな時間ね、明日から大仕事よ早く寝ましょう」
アマンダは夜の闇に沈んだアラセナ盆地を見下ろした、そして東のウルム峠の方角を見る、その先のクラビエには家族と親しい人々がいるのだ。
そして西の夜空に眼を転じた、この夜空の下の何処かにいるルディ達に想いを馳せた。