制約
ピッポ達が『鉄槌亭』から急遽宿を移した先はハイネの炭鉱地区近くの安宿屋だった、そこのテヘペロが契約した部屋には二つのベッドと小さな丸机が備え付けられ、入り口近くの帽子掛には大きなツバ広の三角帽子が引っ掛けられていた。
その部屋のベッドの一つに一人の少女が眠っている、幼い美貌の持ち主で深い眠りに落ちているのか寝息すら聞こえて来ない、だが生きていることを証明するように掛け布団が僅かに上下に揺れていた。
その少女こそルディガーの魔剣を盗み出しジンバー商会の用心棒を惨殺したコッキーだった。
その部屋に更に二つの人影がある、一人はピッポでテーブルの上に小さな香炉を五つ程置き、小さな薬皿を幾つも並べそれに小さなすり鉢で調合された薬物を盛っている。
それをテヘペロが興味深げに見物していた。
「準備が終わったら結界を張るわよ?」
「あともう少しです、テヘペロさんもうしばらく待ってください」
ピッポは幾つかの触媒を天秤で計量しながらすり鉢に放り込んでいく。
テヘペロは改めて自分のベッドの上に並べられたコッキーの平たい背嚢の中身を確認した。
新品の様に金色に光り輝く小さなトランペット、ジンバー商会の書類が一枚、保存食糧に小さな水筒、そしてナイフにランタンと火打ち石と小さな毛布に着替えが入った革袋、そしてコッキーの全財産が詰まった小金袋だ。
テヘペロが唸る。
「あいつの言っていた古代遺跡から出てきた金属の固まりは何処かしらね?『ハイネの野菊亭』の方にあるのかしら?」
彼女は小さなトランペットを手に取り興味深げに隅々まで観察し頭を傾げた。
ピッポはいよいよ順番に香炉に薬皿の中の粉末を流し込み始めていた、テヘペロもそれに気が付き再びテーブルの上に注意を戻す。
五つの香炉をコッキーが眠るベッドの側の床に配置していく。
最後にピッポは懐から小さな魔道具を取り出した、それは火を付ける為の発火道具で便利で高価な魔道具だ、火の精霊力と相性の良いテヘペロが日頃から魔力の補充をしてやっている。
「準備が終わりました、テヘペロさんお願いします」
「ええいくわよ」
「『音精の小さき檻』・・・『風精の牢獄』」
テヘペロが術式を組み上げ魔術を連続して詠唱する、どちらもその詠唱から判るように風の精霊力に関連した術だが彼女も下位なら風の精霊魔術を使うことが出来る。
これで結界内部の音を遮断し煙や臭いを封じ込める事ができるのだ。
「いいわよ!!」
ピッポはそれを合図に次々に香炉に火を入れていく。
その煙が見えない壁に仕切られた空間に充満していく、頃合いを見てピッポが詠唱を始めた。
テヘペロにはそれが召喚師が召喚した精霊に課す制約の詠唱に近い事までは理解していた、ピッポはかつて召喚術の研究を錬金術師の立場から支援していた経験が有る。
幽界への通路が開かないピッポは精霊とのコンタクトが出来ない、それ故に物質界の死霊や生霊への干渉方法を編み出した。
それでも魔道具や触媒の支援がどうしても必要になる、それがピッポの最大の弱点だ。
やがてベッドの上のコッキーが微睡み始めた、寝返りをうち何か寝言を呟いているが良く聞き取れない。
「目覚めはじめましたぞ、そして封じていた記憶が解放されているはずです」
コッキーがうっすらと目を開いた、そして目に入った風景を不思議そうに眺めていた。
「ここはどこです?」
そしてピッポとテヘペロを見て驚いた。
一人は小柄で泥鰌髭を生やした中年の男で学者か魔術士の様な風体だ、もうひとりは20代後半ほどの美女で、ブルネットの肩までの髪と厚めの唇の右に大きなほくろが目立つ、そして魔術師の導衣をゆったりと着込んでいた。
コッキーはこの二人に何故か既視感を感じていた。
「ベルさんはどこですか?」
二人はその質問には答えなかった、ピッポが一歩ベッドに近づき声をかけた。
「コッキーさん私達を覚えていませんか?」
「お会いした事ありました?」
「リネインの孤児院でお会いしたではありませんか?」
ピッポは微笑んだがその目は笑っていなかった。
コッキーはしばらく懸命に思い出そうとしていたが、やがて驚いた様に勢い良くベッドに起き上がった。
「思い出しましたですよ!!私を雇って下さろうとしたお二人ではありませんか!?こんな大切な事をなぜか忘れていたのです!!!」
そしてまた当惑した。
「でも私はなぜここにいるのです?ここは何処です?」
「ここは私達の宿ですぞ、貴女は今ハイネの西の端にいます」
「いつの間にこんな処にいるのですか?」
「貴女が大人しく落ち着いて聞くのなら、教えてさしあげましょうぞ?」
コッキーは暫し考えていたようだが頷いた。
テヘペロがその後を引き継いた。
「貴女は覚えて無いと思うけど、貴女は剣を盗んで来たの」
「剣です?そんな事知りません!!!」
コッキーは大声で怒鳴った。
「まあ冷静になりなさい、イヒヒ」
ピッポは重そうな魔剣を部屋のテーブルの上に置いた、それを見たコッキーの両目の眼が見開かれた。
「それは!!ルディさんの剣じゃないですか!!!なぜここに有るのです!?」
それは大きな叫び声だったがテヘペロの魔術に遮られ外に漏れる心配はない。
「貴女が意識を失っている間に、その剣を盗んで我々の元に来たのですよ」
理解できない事を聞かされた様にコッキーの反応が失われる、それは当然の反応だった。
コッキーは呆然とテーブルの上の剣を見つめていた。
「・・・それはどう言う事なのです?」
「最近貴女は意識が途切れる事とかありませんでしたか?」
ピッポが優しく尋ねた、コッキーは何かに気が付いた様に驚いている、身に覚えがあるのだ。
「なぜそんな事を知っているのです!!全部あなたのせいですか!?」
次第にコッキーが怒り始めていた、ベル達が一度も目にした事のない彼女の怒りだった。
ピッポとテヘペロは顔を見合わせ頷き合う。
テヘペロがベッドの側まで寄ると身を乗り出しコッキーに顔を近づけた。
「貴女にはね貴女のお母様の霊が取り憑いているのよ?」
「おかあさん?それはどういうことですか!?」
「貴女のお母様はね、貴女に幸せになってもらいたいのよ、纏まったお金を手に入れて貴女だけでも遠くに逃げて欲しいって」
「貴女達が何かしたのですね!?おかあさんに何をしたのですか!!!」
コッキーはまた大声で怒鳴った。
ピッポがそこでコッキーを宥める。
「冷静になると約束したではありませんか?」
コッキーは息を整えるように一呼吸だけ間を置いた。
「いったい何をしたのです?」
ピッポはコッキーの質問には答えなかった。
「貴女は最近不思議な夢を見ませんかな?」
コッキーはピッポの問いかけに固まる、最近毎夜の様に繰り返す悪夢を思い出したからだ、リネイン炎上の光景と母親に手を引かれて逃げ惑った記憶、そして夢の中で母親がひたすらお金を手に入れて遠くに逃げようとコッキーに訴えていた、妙に生々しい夢で朝起きた後も忘れる事ができなかった。
なぜか夢の記憶までもが正確に蘇り始めていた。
テヘペロがピッポの後を継いだ。
「貴女も聖霊教会の孤児院にいたから教わったと思うけど、人は死んだらどうなるのかしら?」
「死んだらその魂は幽界に行くのです、そして霊界に行くのです・・・・なぜお母さんがいるのですか・・お父さん・・」
俯いたコッキーの口から嗚咽が漏れ出しかけ布団の上に涙がこぼれ落ちて停まらない。
「教わりましたよ・・修道女長様が・・・・この世に思い残す事があったり、悲惨な死に方をすると霊界への道を見失う事があるって」
彼女はいつまでも泣き続けていた。
だが嗚咽が突然止まった、そしていきなり頭を上げてテヘペロを見つめる。
「おかあさんが私に取り憑いているのですか!?」
「ええ、そうだけど?」
テヘペロはそのコッキーの変化を訝しんだ、ピッポもテヘペロもある程度出たところ勝負に出ていたのだから。
その時コッキーの顔がどこか希望を見出した様な狂気じみた喜びに輝いていた、流石のテヘペロも少し驚いた様に身を引く、その時ピッポが何かの詠唱を始めたがコッキーは気にも留めない。
「おかあさんと一緒にいるのですよね!?どうやったらお母さんに会えるのですか!!!」
コッキーは目の前のテヘペロの柔らかい肩に両手で掴みかかった。
「ああ!!イタタやめなさい!!」
テヘペロはコッキーを強引に振り払う、コッキーも慌てて両手を引っ込める。
「この娘見かけによらず力があるわね?まあいいわとにかく冷静になりなさい」
ピッポがそこで自分が説明する事にしたようだ、仕草でテヘペロを制する、幽界や霊界などの一般的な知識はテヘペロの方が長けているが、この現象に関しては彼の方が専門だった。
「正直にいいましょう、あなたに母君の霊を憑依させたのは私です、貴方に一番馴染む霊を呼んだらたまたま貴方の母君の霊だったのです、私も貴方に関して詳しい知識はありませんでしたから」
「な、なぜそんな事をしたのですか!?」
ピッポはテーブルの上の剣を静かに指差した、その時コッキーは総てを理解した。
「ベルさんルディさん・・・・アゼルさん」
コッキーの口から噛みしめる様な悲痛な嗚咽が再びもれる。
そして顔を上げるとピッポとテヘペロを睨みつけた。
「あなた達ゆるさない!!!」
コッキーは絶叫した。
怒りに任せてピッポに詰め寄ろうとしたその時。
「母君に合わせてあげますぞ?」
ピッポが続けて短い詠唱を唱え終えた。
何か小さく硬いものが割れるような音がして鼻を突く焦げた臭いが辺りに広がる。
コッキーの動きが止まりそして彼女の顔から表情が総て消え去った。
コッキーは真っ暗な暗闇の中に居た、何故ここにいるのかわからなかった、さっきまで何かをしようとしていたはずなのに思い出せない、夢を見ているような気がした。
遠くから誰かが呼ぶ声がするがそれはしだいに近づいて来る。
『コッキー・・・コッキー・・・・貴方・・どこにいるの・・』
「お母さん、ここにいますよ!!」
『逃げるのよ・・・どこに逃げればいいの?・・・もう手を離さないで・・・どこにいるの・・』
「もう手を離さないです、ここです、ここにいます、コッキーはここにいます!!!」
暗闇の彼方に向ってコッキーは叫んだ、だがまるで夢の中の様に力が入らない。
やがて目の前の闇が人の姿を形取り始めた。
それはコッキーにとても良く似た美しい女性の姿だった、髪の色はコッキーと同じ色の薄い金髪で腰まである長い髪だ、だがその人はあらぬ方向を見つめ、まるで目の前のコッキーの姿が見えて居ないかのようだった。
「お母さん!!」
コッキーは走り寄ろうとしたが体が水の中を走るかのように思い通りに動かない。
やがて母親はコッキーに気が付いたのか向き直る。
『そこにいたのね・・・コッキー・・・・私の手をとって・・』
その女性は力なく微笑んだ、だがその目は虚ろだった。
『私と逃げるの・・・今度こそ遠い所に行くのよ・・・・私の言いつけを守って・・私から離れないで』
「はいそうします、お母さん!!」
「この娘、静かになったわね」
テヘペロはコッキーを嫌そうな顔をしながらベッドに寝かせつけた。
「取り敢えず大人しくさせました、この娘には新しい制約を課して行きますぞ、剣を盗んでくるだけの単純な話ではない、いろいろ工夫が必要になりますな」
ピッポは香炉や薬皿を錬金術師用の道具箱に回収しながら説明した。
「そうだ!!」
テヘペロが何かを思いついた様に自分のベッドに向かう。
ピッポは一体何事かと作業の手を休めて彼女を見やる、テヘペロはベッドの上の小さなトランペットを手にするとそれを口に運び息を吹き込んだ。
だが何も音がしなかった・・・
「イヒヒ、壊れていますかな?」
ピッポが愉快そうに笑った。
「壊れているのかしら?まあいいわ結界を解除するわよ」
テヘペロはコッキーの背嚢にその小さなトランペットを放り込んだ。