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異界の猟犬

 夜明前の薄明の森の中を二つの人影が西に進んでいく。


「そろそろ森が開けている場所に着くからそこで休もうか」

しばらく歩くと小さな丘の反対側が崖になっていて遠くが見晴らせる場所に二人はたどりついた。


「ここからだと遠くまで良く見えるな、ベル、あれがエドナ山塊なのか?」

ルディが東に見える黒々とした連山の連なりを指差す。


「そうだよエドナ山塊がずいぶん大きく見えてきたね」

エドナ山塊の東側の斜面が徐々に朝日に照らされ始めていた。


「もうすぐ日の出だ」

「日が落ちる前にあの麓まで行けば良いのか?」

「うん、動くのが早かったから余裕があるね」

「エドナの鼻はまだ見えないのか?」

「ここからだと厳しいかな、手前の峰が邪魔なんだ」


「まあこれでも食べなよ、口に入れて舐めるといい」

ベルは干し肉をルディに手渡した、二人は倒木をベンチ代わりにして休息をとり始めた。


「ここの崖の下に小川がある、川の中を川上に向かって進む」

「追跡を振り切ったと思うのだが違うのか?」

ルディはそれが追跡者を振り切る為の工夫だと理解した。


「僕たちは獣道を通ってきたからね、良い猟師ならあの小屋から俺たちの通った跡を追える、猟犬もいるだろうしね」

「そうか森の中の移動に関してはベルにまかせる」


「ルディ、奴ら精霊召喚とか使って来ると思う?」

「詳しい事は判らんが儀式には大掛かりな準備が必要だ、準備完了と同時に使ってくるかもしれん」


いつの間にかベルはエドナ山塊を西へと越えていく雲を無心に眺めていた、その心ここに(アラ)ずなベルの横顔をルディは暫くの間そのまま眺めていた。


そして当然ベルがルディの方を振り向く。


「ルディそろそろ行こうか」










太陽が傾き夕暮れが迫る頃、バーナムの森を捜索していた部隊からの伝令が、ボルト郊外に野営しているエルニア軍司令部に戻り始めていた。


「第三小隊が担当した獣道沿いから宰相直属部隊の遺体を複数確認したと報告があった、伝令が放たれた時点で5名の戦死を確認している」

「第四小隊が狩猟小屋で酷く損壊(ソンカイ)した遺体6人分を発見、捕虜になっていた生存者を1名確保した、生存者は疲労しているが命に別状は無くこちらに帰還中、ルディガー殿下の協力者と思われる女性がいた事、二人は奥地に去ったと思われるが目的地などは不明とある」

エルニア軍指揮官は森に入った宰相直属部隊がほぼ全滅したと結論付けた。


「他の部隊からは何も報告がない」

「20名が森に入り少なくとも半数以上が斃された、殿下はそこまでお強かったか?」

「森の内に殿下の協力者がいた、待ち伏せされ全滅させられたのではないか?」

「協力者が複数いる可能性がある」

「まずは魔導庁長官と名代に現状をお知らせしなくてはならない」

「三、四小隊の伝令は俺と来るように」



エルニア軍の野営地からそう遠くない場所で、召喚術を行うための儀式の場が築かれ、グスタフの監督の元、魔法陣の構築、術式に必要な触媒、疑似依代を形成する為に必要とされる物資が運び込まれ、それらは必要な手順で処理されていた。


立会人として派遣されたイザク=クラウス魔導庁長官とヨーナス=コーラー総務庁副長官は捜索隊指揮官の報告を受け最後の会議を行う。


まずコーラーが憂慮する様子でクラウスを一瞥する。

「森に入った宰相閣下の手の者が全滅し、ルディガー殿下は逃げ切ったと判断してよろしいかと」

「謎の女が一緒だったそうだな」

クラウスはエルニア軍指揮官に対して確認する。

「生存者からの報告ですが、名前は不明だそうですが非常に腕が立つようです」

「殿下が城から脱出した方法もまだ調査中のようだ、殿下の逃走を支援した者達がいると考えるべきだな」

「だが今はそれを詮索する時ではありませんぞ?」


宰相名代のヨーナスが精霊召喚による反逆者ルディガーを討伐する為の命令書をテーブルに置いた。

それには既に宰相のサインが入っていた、附帯条件として公子ルディガーの捕縛(ホバク)に失敗したと名代が判断した場合に命令は実行される。


「わかった、そろそろ準備が完了するはずだ、終わり次第精霊召喚を行い反逆者ルディガーを討滅せよとな」

宰相名代が最後に命令書にサインを記した。

「さて公都に伝令を送る、宰相閣下に状況をお知らする」




魔導庁の新人魔術師ギー=メイシーはめったにお目にかかれない大型精霊の召喚に立ち会える喜びを噛み締めていた。

大型の精霊召喚など一生に一度お目にかかることすら難しい。


監督者のグスタフの態度には鬼気迫るモノがあった、また先輩の上位魔術師達も真剣に作業に取り込んでいたが、下働きのギー達にはそれらを観察する余裕があった、だがそれを悟られる訳にはいかなかった、怒りを買って追い出されては堪らない。


ギーは召喚術師ではないが、魔法陣や触媒などは見慣れた精霊術の派生型に過ぎない事はおおよそ見当が付いた、だが疑似依代の触媒が大問題だった、召喚術師達が術の行使で普段から使っているのは知ってはいた。

彼らが疑似依代を形成し、精霊が物質界に実体化する為の踏み台にしている事は知識としてあったのだが、しかし目の前の大量の触媒はなんなのか?


まず半径5メートル程の大きな魔法陣サークルの中心に、魔法的に火の精霊の力を封印した炎水晶が二つ、同じく火の精霊の力を封印した紫水晶の大きな固まりが置かれ。


半径3メートルの中央サークルの内側に、大型犬の死体が数体、砂鉄、硫黄、牛の骨を砕いた白い物質が山を成し、真鍮のインゴットの山、塩水が入った大樽4樽、大きな油壺、柄を外した短剣が12本、同じく柄を外したダガーが多数、牛の皮革の束、長さ3メートルの長さの鞭が二本、外部のサークルには、大量の木炭が敷き詰められ、各種の香草と薬草が詰められた儀式用のバスケットがいくつも置かれていた。


それらは決められた手順に従い配置される、魔法回路の起動規則に従い順次反応させなくてはならないのだが、魔法陣が見えなくなるほど触媒が置かれた魔法陣など見たこともなかった、ギーはこの召喚の場に居合わせた幸運を心の底から神に感謝した。


この時クラウス魔導庁長官が儀式場を訪れた。

「グスタフ準備は完了したか?」

その場にいた総ての者達がグスタスに視線を集めた。

「完了しました何時でも始められます」

「でははじめてくれ」

儀式の邪魔になる者は遠ざけられる。


「では始める!!」

グスタフは詠唱と共に魔法陣の外縁部の魔法回路を起動させた、グスタフが身につけている幾つかの触媒が音を立てて消滅した、これにより香草や香油の分解が始まる。

あたり一帯が濃厚な香りに包まれる、これは幽界との通路を設定しやすくする為の手順だ、擬似的にホットスポットを作る、似たような事は他の精霊術でも珍しくはない。

詠唱は第二段階に進みグスタフが身につけている幾つかの触媒がまた音を立てて消滅した、外縁部の木炭の燃焼が始まった、この燃焼は煙も出さずに燃焼が進む、炎の精霊への供物で通路の形成の為に消費される。


そして詠唱は更に第三段階に進む、中央部が白い霧がかかった様になり、やがて膨大な熱が魔法陣から放射される、障壁により95%の熱が遮断されているのにも関わらず、その場にいたものは輻射(フクシャ)熱に耐えなければならなかった。

ギーも大量の汗をかいたが、何も見逃すまいと儀式を夢中で見つめるだけだった。

やがて膨大な水蒸気が中心部から吹き出し始め、それは魔法陣の外縁で停止し上に吹き上げていく、見えない煙突から轟音と共に白い蒸気が吹き出していった。


立会人の宰相名代ヨーナス=コーラーが思わず零した、

「これはまた凄まじいな」

近くにいたギーも内心大いに賛同した、精霊術士の彼ですら驚いているのだから。


水蒸気が晴れるに従い、中心部にマグマの様な固まりが見えてくる、それは次第に何かの姿を形作って行った。

見るものはその凶悪な姿に畏怖と恐怖を覚えた、異界の邪悪なる狩猟民族の猟犬として名高きグリンプフィエルの猟犬がその姿を表しつつあった。


そしてここからが儀式の本当の山場となる。


第四段階で精霊を支配下に起き、第伍段階で命令を与える。

これらの最終段階がもっとも危険を伴う、この契約と強制命令がグスタフに魂と生命を削る負担を強いる。


グスタフが詠唱を始めるとまた触媒が音を立てて割れる、グスタフが苦悶の表情を浮かべた。

猟犬が咆哮を上げで何度も魔法障壁に体当たりを加えるが魔法陣は耐えている、だが永久に耐えられるわけではない。

だが次第に猟犬は大人しく成り始め、やがてお座りのような姿勢を保つ。

ついにグスタフがノロノロと右手を上げた。


これは事前に決められていた召喚精霊を隷下に納めた事を意味する、会場から安堵のどよめきが上がった。

そこで一人の精霊術士が、ルディガーの私物と思われるローブを捧げ持ち、これを魔法陣の前に奥く、精霊術士は仕事を終えると逃げる様に魔法陣から遠ざかる。


グスタフが最後の詠唱を始めると残りの触媒が総て音を立てて崩壊した、すでに魔法陣の障壁は消滅し、猟犬がルディガーのローブの匂いをかぐような仕草をしたが、その時ローブが忽然と消滅してしまった。


その魔法陣から解放されたその異界の猟犬は、何に似ているかと言えば犬か狼に似ている、全長3メートルの巨大な体に六本の足、全体が鈍い赤色で背中は明るいオレンジ色に輝き、背中には剣のような背びれが二列に六本ずつ並び、二本の長い尻尾が意志があるかのようにうねっていた。

頭は犬と言うより鮫に似ている、口は鮫の様に巨大に裂け鈍い銀色の牙が並んでいた、その目は炎を宿し邪悪な意思を持って光輝いていたのだ。


見るものはグスタフに制御されていると解っていても、その凶悪な姿に恐怖を覚え声も出なかった。

ギーはその姿を脳裏に焼き付けようと僅かも見逃すまいと目を凝らしていた。


やがてグリンプフィエルの猟犬はバーナムの森に向け加速しながら走り始める。


それはグスタフが倒れるのと同時であった。



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