エルヴィス=コステロ
先ほどの少年が一階のロービーに足早に戻ってきた、そして受付責任者の男になにやら耳打ちする。
「アゼル様とルディ様、コステロ会長がお会いしたいと申しております、会長は午後から予定があるのであまりお時間はお取りできませんが、そこはご容赦を」
「いいえこちらこそ突然押しかけまして、ご迷惑をおかけします」
こうして見ると相手がテレーゼ最強の犯罪組織とはとても思えない、それはこの三人の共通の想いだった。
「ご案内いたします」
受付責任者がエリオット隊長の紹介状を持ち三人の先頭に立ち館内を案内する、その三人の後から先ほどの少年がついて来た。
広い階段を上がるとそこは大きな宴会が開けそうな大広間だ、豪勢なシャンデリアが四基天井から吊り下げられていた。
「こちらです」
更に三階に向かう階段に案内される、その階段を上がるに連れて正面に大きな豪華で重厚な両開きの扉が見えて来る、扉の側にいた護衛が彼らを見るとドアをノックし中に向って声をかけた。
「お客人が参られました」
ドアが開くと中から長身の男が出てきた、だがその男がコステロでは無いことは三人にはすぐに判る。
長身で細く整った顔立ちに冷酷そうな薄い唇の鋭い目つきの30代ほどの男だった、上等な黒いスーツに身を固めその髪の色は黒だ。
どこかベルの父親のブラスに似たところがあった、だがブラスは鷹揚さと野生味とふてぶてしい印象を会う者に与えたが、この男は見る者に神経質で凶暴な印象を与えた。
その男の後ろから清潔で整えられた制服に身を固めた執事が二人出てくる。
ルディはその男を見定める。
(目つきが悪いな、身のこなしが堅気ではない、コステロの用心棒か?それならば腕も立つはずだ)
受付責任者はそのまま目つきの悪い男に紹介状を引き継ぎ、型通りの言葉を交わすと少年と共に引き上げていく。
目つきの悪い男は執事の一人に紹介状を手渡す。
「これをボスに渡してくれ」
執事はすぐさま部屋の中に戻っていった。
「さて武器を預からせてもらう」
執事がルディから長剣を預かり、ベルからグラディウスと短剣とダガーを取り上げてしまった。
目つきの悪い男は少し呆れた様な表情でアゼルとベルを見た。
「彼女は我々の護衛なのです」
更に驚いた様にベルの体を上から下まで遠慮なく舐め回すように観察し始める、ベルの機嫌が更に悪くなっていく。
(ベル我慢してくれ)
ルディはベルが爆発しない事を祈った。
目つきの悪い男はベルの右足の黒い革のブーツを指差した。
「これも任務なのでね」
男の執事の一人が屈んでベルの右足のブーツを調べようとした。
「わかったから、これだよ!!」
足に触られたく無かったベルが降参した、ベルは右足のブーツの内側に隠していた小さなダガーを自分で取り出して執事に手渡した。
執事からそれを受けとった目つきの悪い男はそれを詳しく観察する、そのダガーは小さな革製の鞘に収められていた、男がそれを鞘から抜くとそれは小さくて非常に薄く先端が鋭利に尖っている、片刃だが背の部分にのこぎり状の歯が並んでいる、これならばロープや柔らかいものなら切る事ができるだろう。
「ベル、おまえそんな物まで持っていたのか・・・」
ルディが少し呆れた様に呟く。
「護衛なのか?殺し屋か密偵のような小娘だな、まあいい入れ」
アゼルはふと何かに気が付いた様にベルの方を振り向いた。
「エリザベスを預かってください」
「わかった・・・」
『キキッ』
エリザは大人しくベルに飛びつきベルはエリザを腕に抱えて二人の後に続いて部屋に入っていった。
執務室の奥にある重厚な黒い執務机の向こう側に一人の男が座っている、上等なスーツに丸い金縁の黒い遮光メガネをかけ、肌の色が浅黒い精悍な壮年の男だった、色の濃いブラウンの長い顎髭と無精髭がひと目を惹きつける。
その男は薄い唇で不敵に笑っていたが、この男の瞳は遮光メガネに隠れ読み解く事ができない。
彼の机の上には紹介状が置かれていた、その机の重厚な黒い素材は黒檀かもしれないとルディは思った、もしそれが黒檀ならば目玉が飛び出るほどの高価な一品となる。
部屋に入って向って左の角に帽子掛がある、そこに見覚えのある黒い帽子が掛けられていた、帽子掛の柱の頭は金色に輝いていたが輝きの色合いから真鍮だろう。
部屋の右側の壁には瀟洒な本棚とワイン棚が置かれている、それらは高価なガラスの両開きの扉付きで材質も細工も極めて上等な物だった。
三人はこの人物こそラーゼとアラティアを結ぶ街道で遭遇したエルヴィス=コステロその人に間違いがないと確信した。
三人が部屋に入って来るとコステロは悠然と豪華な椅子から立ち上がり、二人を歓迎する為に部屋の真中に進み出てきた。
アゼルとルディが僅かに緊張しながら並んで立ち、ベルは入り口近くの壁際で二人の執事に挟まれる様に控えていた。
先ほどの目つきの悪い男はコステロを何時でも守れる位置を慎重に保とうとしている。
「よお、覚えているぞ、あの時は世話になったな、俺がエルヴィス=コステロだ」
「こいつはリーノ=ヴァレンティノだ、俺の右腕ってところだ」
コステロは目つきの悪い男を紹介した。
「私はエルニアの魔術師アゼル=ティンカーで上位精霊術士です」
「同じくエルニアのリエナの魔術道具商ファルクラム商会のルディ=ファルクラムです」
「あんたらの関係は?」
「アゼルは我がファルクラム商会の顧問だった魔術師で、私の古い友人でもあります」
「ほう、顧問だった・・ね」
そこでコステロはふと壁際を見た。
「あのお嬢さんは護衛なのかい?」
「あの者はベル=グラディエーターと申しまして、我々の護衛を努めております」
ベルは小間使らしく無言で頭を下げた。
リーノがベルから没収した隠しダガーをさり気なくコステロに見せた。
「ふーん物騒なお嬢さんだなこれは特注品だろ?それに白い猿とは珍しい」
コステロはそのダガーをリーノから受け取り苦笑いを浮かべたがそこからは鷹揚な余裕が感じられた。
「まあ上位魔術師は大歓迎だ、家でもいろいろ魔術の研究をしているんだ、戦いでも何でもやることはいくらでもあるぜ、だが俺はすぐにここを出なければならなくてな、細かな話は後で詰めたい、あんたらはしばらくハイネに居られるのか?」
「我々はしばらく腰を据える覚悟でハイネに来ました」
コステロは机の上のベルを鳴らした。
隣の執事長室から初老の執事が現れた、ルディにはその制服の徽章からかなり重要な役割を担った人物に見えた。
その男は肥満気味で血色の良い男だ、頭が完全に禿げていたが潔いことに完全に毛を剃ってスキンヘッドにしていた、またヒゲも綺麗に剃っている、この男は全体的に大きな赤ん坊の様な印象を人に与えるのだ、眉毛からもともとの髪の色は薄いブラウンだろう。
背はアゼルより頭半分ほど低くその瞳は薄いブラウンだった。
「この男はクレメンテ=バルディーニだ、この舘の執事長をやっている、こいつと繋ぎを付けて置いてくれよ、俺はすぐ出なければならなくてな、すまんなお二人共」
コステロはリーノと足早に部屋を出て行こうとする、その間際にコステロはベルに向ってニヤリと微笑んだ。
ベルは一瞬不機嫌そうに眉が動きかかったがふと顔をそむけた、初心な少女がからかわれて顔をそむけた様に見えたかも知れない。
コステロは笑いながらベルの頭の天辺を軽く手の平で叩いた、コステロが手を上げた後にはベルの隠しダガーが乗っていた。
「ほう、なかなか良い面構えだな」
部屋を出ていくコステロを振り返ったベルの表情に怒りは無かった、何かに驚くようなそんな顔をしている、その僅かな変化をルディは見逃さない。
ドアの外には何時の間にか黒スーツのコステロの部下達が数人待機している、コステロは最後に部屋の中に向って手をヒラヒラとさせてから階段に向って歩き出す。
「またな」
リーノと黒スーツ達がそれを追って行った。
部屋の中ではさっそくアゼルとルディがクレメンテと今後の連絡方法などを打ち合わせ始めたが、ベルはコステロから感じた僅かな違和感が気になりドアの外をいつまでも見送っていた。
それは時を少し遡る、ルディ達がサンティ傭兵隊の駐屯地を訪れていた頃、ハイネの野菊亭の部屋の中で幽鬼の様に立ち尽くすコッキーがいた。
彼女以外誰も居ないはずの部屋の中で、先程からコッキーは見えない何者かと話をしていた、その彼女の瞳は何かを見ているようで何も見てはいなかった。
『ついに手に入るわコッキー、さあ手に取るの』
「はいおかあさん・・わかりましたです・・・」
のろのろと彼女は動き出す、その先には床に置かれたルディの背嚢、それに挿し込まれた『無銘の魔剣』があった、彼女はその魔剣に魅入られた様に近寄っていく。
『幸せになるのよ、貴方は幸せにならなきゃいけないの、そして出ていくのよ』
「良い子にしますから、おかあさん一人で行かないでください、もう一人はいやなのです・・・」
コッキーは魔剣の柄を握りそれを鞘ごと引き抜ぬいた、それを片手で軽々と掲げる。
「ついに手に入れましたです・・・・」
のろのろとした彼女の動きが一変した、コッキーは床から自分の愛用の背嚢を背負い窓に駆け寄ると、窓を大きく開け広げた、小さな街の商店街は既に朝の賑わいを見せていたが、その街路の石畳の上に軽々と飛び降りたのだ。
往来を行き来する人々は皆驚いた、小柄で華奢な少女が蒼いワンピースをはためかせながら、剣を抱えたまま飛び降りてきたのだ、だが少女の様子があまりにも異様で声をかける勇気のある者はいなかった、そのまま少女は剣を肩に担ぎ大通りに向って堂々と歩き始めたのだ。
大通りから商店街に入ってきた人々はコッキーを見て驚いたように道を譲る、コッキーの美しいが無表情な顔と意思を感じさせない瞳に恐れを抱いたからだ。
野次馬は彼女がとびだして来たハイネの野菊亭の窓を見上げ、指差しながら何かを話し会っている、何人かが宿屋に駆け込んで行った、堂々と歩き去るコッキーの背中を人々のざわめきが追いかける。