殿下の執務室の小劇
カメロは殿下の執務室の補佐官のデスクでお決まりの業務をこなしていた、総司令部に連合軍の各部門からの報告が集められているが、おなざリの内容で形式的な報告が多い。
陳腐化した情報しかなかった、もしかすると余計な事を殿下に知らせないように精査されているのかも知れなかった。
だがカメロの様な立場の者には全体を把握できるのでとても有り難い情報だった。
そこから直接得られるものは少ないかもしれないが、見る目のある者ならば重要な情報を読み取る事ができるものだ。
急にドアの外が騒がしくなる、それに甘い女の嬌声が混じった、執務室の扉がいきなり開かれると豪華な主君の姿が現れる、我がセクサドル王国王太子アウグスライヒ=ホーエンヴァルトその人だ。
背後にいるシャルロッテ嬢と騒いでいたのか顔がニヤけている。
だが執務室にカメロの姿を認めると殿下の端正な美貌があからさまに不機嫌に歪む。
カメロは急いで椅子から立ち上がり殿下を敬礼で迎えた。
「何者だ?たしかお前はアンブロースだな」
「はっ、殿下私はアンブロース=カメロです」
カメロは殿下が自分の名前を覚えていた事に少し驚いた。
セクサドル軍の軍務を支えるカメロのような武官達と殿下とその取り巻きの関係は良好とは言い難い、殿下と側近達はカメロ武官達が王弟カルマーン大公に心服している事を知っていた、そして下級貴族出身の彼らを蔑んでいる。
それは彼らの態度から用意に理解できる事だ、そして実務畑の武官達が内心では暗愚と名高い王太子を軽んじている事も薄々理解している。
カメロの視線が背後の魔術師の女の視線と交わった。
彼女の内心を伺い知れない茶色の瞳の底にあるものは無だ、それでいて何か危険な力に満ちていた。
危うい女だとカメロは直感した。
「して何用だ?」
「ハッ、本日朝から殿下に定時報告を挙げる決まりになっております」
殿下はカメロの執務机の上の書類に目を向けるとうんざりした顔をした。
「シャルロッテ入るが良い、ああアンブロースさがって良いぞ、それには目を通しておく」
殿下は女魔術師を振り返ると思い出した様にカメロに退室を促した。
決まりではカメロが報告に説明を加えながら、主君の質疑に答えるはずだがこの人にそれを求めても無駄だと思った、そのまま大人しく下がる事に決める。
すぐに部屋にシャルロッテが入ってくる、だがその後ろに顔見知りの侍女の姿を見つけて驚いた。
彼女はハイネに入城した日の歓迎晩餐会の後で城の中庭で出会った侍女だ、たしか彼女の名前はゼリー=トロットでシャルロッテの弟子でハイネ魔術師ギルドとの連絡員と自称していた。
こうしてシャルロッテに付いているところを見れば満更嘘では無かったようだ、向こうもカメロに気付いたのか驚いている。
すると殿下もなぜかその侍女に今更気付いたかの様に驚いている。
「ああ、ゼリーかなぜここに?」
「はいシャルロッテ様を小ホールまで迎える決まりになっておりました、ですがお姿が見えなかったのでお探しいたしました、ご無事を確認できましたので、あの私は下がりましょうか?」
その侍女は真っ直ぐに殿下を見つめていた、カメロからは殿下の背中しか見えない、だがゼリーの知的な美貌とその瞳から強い意思の光が感じられた。
「そうだ、そうだな、私は今から報告を受けねばならぬ、総司令官としての職務よ!」
カメロは驚愕して叫びを上げかけたがそれを飲み込む、いったい何が起きたんだ?そう心の中で叫んだ。
今になって殿下が勤勉さに目覚めたとでも言うのだろうか。
隣のシャルロッテ嬢もまた驚きで目を剥いて殿下とゼリーを交互に見ている。
シャルロッテ嬢の役割は殿下を腑抜けにさせる事だ、彼女が驚くのは当然だろう。
連合軍にとって殿下をハイネ城に閉じ込めておきたかった、この殿下に大した事はできないが、セクサドル王国の王太子で総司令官でもあるのでなかなか無視し難い、美女と酒とギャンブルに溺れていてくれた方が大いに助かる。
もしや殿下の悪い癖である英雄願望がまた目覚めたのだろうか、カメロは背筋が寒くなるのを感じていた。
今は戦の直前だタイミングとしては最悪だ。
「ゼリー、ここは貴女がいるべき場所ではありません」
廊下から声がすると初老の侍女長が部屋に入ってきた、彼女は痩身でその姿勢にまったく隙がない。
彼女はハイネ評議会からハイネ城の貴賓階の管理を委ねられた人物だ、そしてゼリーを監督する権限を持っている。
侍女長は殿下に向かって一礼するとゼリーを睨みつけた。
そしてゼリーに仕草で退出を促す、一瞬ゼリーは考え込んだが素直に一礼する。
「かしこまりました私は退室いたします、では殿下失礼いたします、シャルロッテ様わたくしは部屋でお待ちしております」
ゼリーは侍女長に促されながら部屋からいそいそと退室して行く。
「私の部下がご迷惑をおかけしました、さて私もこれにて下がらせていただきます」
そう侍女長は一礼するとシャルロッテに視線を向けるとそれにシャルロッテは頷いた。
侍女長が下ると部屋には殿下とシャルロッテ嬢とカメロだけになる、カメロにとっては非常に気不味い雰囲気になった。
「殿下、魔術のお話の続きをいたしませんこと?」
シャルロッテ嬢が殿下に近づくとカメロの執務机の上に腰を下ろしてしまった、
カメロの持って来た報告書が彼女の豊かな尻に潰され歪んだ。
「アンブロースもうさがって良いぞ、あとで目を通しておく」
ニヤけた殿下の視線は書類を押しつぶした彼女の尻に釘付けになっている、カメロは殿下の歪んだ美貌を醜悪だと感じていた。
いや今までこれほど近くで見た事がなかっただけかもしれなかった。
そしてこの女が一体何を感じているのか興味があるが残念な事に彼女の背中しか見えない。
だがこのままでは職務が遂行できない、だがカメロは急に馬鹿馬鹿しくなる、むしろ目の前の女の方が本来の任務を遂行しているのではないか、自分に与えられた報告書の作成などすべて茶番にすぎない。
自分は総司令部ごっこをしているだけなのだ。
初めからわかっていた事だがカメロはすべてが虚しくなった、一礼すると部屋から退出する事に決めた。
そして廊下を歩きながら先程の一幕を反復していた。
ゼリーの存在に気付いた殿下がなぜか勤勉になった、それに引っかかりを感じていた。
そこであの晩ゼリーが落としたエンフォリエ家の記章を思い出した、あの女が記章が刻まれたメダルを持っていたのだ、ならばセクサドル帝国の遺臣に連なる者が殿下に近づこうとしているのか?
オレクは決めた、親友のオレクの遠い縁戚に当たる今は滅びたエンフォリエ侯爵家の事を調べる事を。