アウグスライヒ殿下のお渡り
テヘペロはゆったりと豪奢な風呂につかり豊かな体を湯船に横たえていた、浴室は薄暗く柔らかなオレンジの魔術道具の光に照らされ、見事な大理石張りの浴室は年代物だが整備が行き届き磨きあげられ鈍く輝く。
そして浴槽に沈められた匂い袋の香草の品の良い芳香からそれが高級なものだと知れる、すべてがハイネの繁栄を物語っている。
混乱するテレーゼの中でこの街だけが繁栄を護ってきた、四十年前のテレーゼ後継戦争の頃に旧市街の城壁の外の市街が燃やし尽され、水濠が埋め立てられた事があったが、それも30年以上も昔の話だ。
テヘペロはくつろぎながら簡単なハイネの歴史をなんとなくおさらいしていた、評議会顧問団に選ばれた時から頭に入れる事を求められた知識だ。
すると浴室の外からゼリーの声が聞こえてくる。
貴人ならばゼリーがテヘペロの湯浴みの世話をするはずだが、テヘペロは一人でくつろぎたかったのでそれを断り一人で楽しんでいた。
「御師匠様、殿下がお渡りです」
大きな声でそれに答える。
「あら、今夜は来ないのかと思ったわ・・・」
「申し訳ありません、殿下はすぐにお目見えです!」
あまりにも非常識さに息を飲んだ。
「はぁ?・・・わかったわすぐに出て準備する」
来訪を告げる使者を送る場合、同じ城の中だったとしても二時間程度の余裕を設けるものだ、淑女ならば最低でもそれだけの時間を必要とする。
テヘペロは勢い良く湯船から立ち上がった、湯けむりが部屋に立ち込めると彼女の肢体を薄く隠す。
「まったくもう」
そう小さく愚痴をつぶやく。
小さなタオルを掴むと着替え室から出た、着替え室は浴室とデザインが異なり遠国の珍しい木材が贅沢に使用されていた。
そこにゼリーがすでに待機している。
「もうしわけありませんお師匠様!」
そう言いながらゼリーは大きなバスタオルで彼女を包むと水を吸わせた、その手際はなかなか見事だ。
「少しは常識のある方とおもったけど、もうバケの皮が剥がれたわね、しょうがない手伝って」
「かしこまりました、それが私の役割ですから」
ゼリーはテヘペロを整えるべく喜々として張り切るが、テヘペロはそれをあからさまに歓迎していない事を表情が物語っていた。
そこに部屋の外から張りのある女性の声が聞こえてくる、その声が侍女長の声だとすぐに理解できた。
「チッ!はやすぎる、ゼリー対応をお願い後は自分で着るわよ!」
「わかりました私が応接してまいります、そうするしかありません」
ゼリーは慌てて着替え室からリビングに飛び出して行った。
テヘペロがリビングに姿を現した時、殿下とゼリーは何か話していたようだが、二人はすぐにテヘペロに気づいた。
そこでテヘペロは僅かな魔力の残り香を感じ取る、百戦錬磨の上位魔術師の彼女は感覚が磨き上げられていた。
その感覚はある種の魔術師にとって生存確率に関わるのだ。
だがアウグスライヒ殿下は王族だ、なんらかの魔術道具を使用していても不思議ではない、もしかすると姿を隠蔽する道具などを使っていたのかもしれないと思う事にした、さすがに質問するわけにもいかない。
「あら、殿下お見えでしたか、おまたせいたしまして申し訳ございません」
テヘペロは自分の魅力が最大に発揮される姿勢を自然に整えた、こうすると自分の長所が引き立つと知っていたからだ。
そして侍女長の姿が無いことに今になって気づく。
殿下の整いすぎた美貌がわずかにだらしなく緩む、体中に殿下の視線を刺激として感じた、なぜか人の視線を刺激として感じる事ができるのだ、テヘペロは原因を考えたが答えは見つからなかった、今では自分の魔力によるものだとしていた。
今まで生き抜く為、欲しい物や情報を手に入れる為に女を武器にしてきたが、それに慣れる事はなかったのだ、しだいに気分が悪くなってくる、だが平静を保ち妖艶な笑みを浮かべて魅せる。
「殿下?」
そう言葉をかけた、殿下の視線はテヘペロの全員を舐めていたが殿下が我に返った。
テヘペロは微笑みながら思った。
(やっぱ、この男はここに閉じ込めておかないと不味いわねぇ、遊びしか興味が無いならまだマシだけど、一応確かめて置く必要があるわね)
そう心に決める。
「おおすまないシャルロッテ、ぜひハイネ有数の女魔術師の見識に触れたいとおもってな」
殿下はすでに愛称で呼び捨てだ。
(見識に触れたい?見識なのかしら、その視線はいやらしいわよ)
心の中で毒づいた、だがあくまで優雅な態度は揺るがせない。
「殿下、こちらへ・・」
席を勧めるのはホストの役割だ、そのままリビングの豪華な革張りのソファーに殿下を導いた、殿下はどうどうとテヘペロの横に座り込む、そこにゼリーが酒を用意して持ってくるとそのまま壁際に控えた。
まずは夕刻に開催された公式晩餐会の話をふる、しばらくは無難な話が続くが少し酒が回り始めた。
「そういえば殿下この城にセクサドル帝国時代のままの場所があるのはご存知ですか?」
殿下はテヘペロの言葉に軽く目を見張る、ハイネは百年近くセクサドル帝国の帝都だった都市だ、ノイデンブルクに遷都したがわずか二十年で帝国は崩壊してしまう。
帝国崩壊後にテレーゼ王国が復興したがその時にテレーゼ様式に改装した歴史的経緯があった。
「なんと帝国時代の・・・それはどこだ?」
「もうしわけありません、そんな話を城の者にききましたの、ですが詳しい話までは」
「ぜひ見ておきたいものだ!」
殿下はかかり気味になる。
「まあ殿下は歴史に興味がございますの?知的な趣味をお持ちですのね」
テヘペロは微笑んだ、それは妖しく蠱惑的な微笑みだ。
「僕が興味があるのはセクサドルの英雄達だ、建国王カール、中興の祖カシナート帝、そして征服者アルヴィーン大帝だ!」
アウグスライヒ殿下は熱く語り拳を握りしめている。
これを見てからハイネ評議会の官僚や侍女長から伝えられた情報が事実だと確認できた。
「まあ、素晴らしい英雄達ですわね」
「当然だ!我がセクサドルの英雄達だ!」
テヘペロは今のセクサドル王家は建国王カールの流れだが、分流じゃないかと思ったが口には出さなかった。
アルヴィーン大帝の血に近い者達は後継者戦争で死に絶えてしまった。
今となってはカシナート帝の血を引く名門が僅かに残っているだけだった。
ふと刺すような視線を感じる、思わずそちらを見るとゼリーがそこにいた、だが彼女は内心をうかがわせない穏やかな笑みを浮かべていた。
今のは気のせいかしら・・・テヘペロは心の中で小首をかしげる。