エルニア公国の乱れ
ルディ達が隠れ潜むハイネの南の廃村から、はるか北東の大地にアラティア王国が栄えていた、エスタニア大陸の東端にある北と東と南の三方を海に囲まれたアラティアは外敵から護りやすく、そのつもりになれば中央の争いから距離を置くことができる恵まれた立地だ、かつては北の強大国グディムカル帝国、東エスタニアの大国テレーゼ王国と対峙していた事もあった。
セクサドル帝国全盛期に一度呑み込まれたが、帝国崩壊後に再び独立を取り戻した。
その後はグディムカル帝国の内戦、テレーゼ王国滅亡の混乱を利用して国内の充実に力をいれ、南の新興国エルニア公国との対立こそあったが今は関係も安定し国力を伸長させてきたのだ。
遷都により築かれた王都ノイクロスターは幾何学的な美しい計画都市で、丘にかこまれた優美な都市だ。
王都のある平野は伝説では天から降ってきた星に穿たれた穴と言われ巨大な円の形をしている、その平野の西の外れに西の出口を封鎖するように築かれた大城壁と一体化したクロスター城がその異様を誇っていた。
そのクロスター城こそがアラティア王国の国王が住まう城だ。
その最深部の国王の私室で黒革のソファーでくつろぎ歓談する二人の貴人がいた。
一人は至尊の国王ルドヴィーク三世、明るい金髪の壮年の美丈夫でどこか妹のエルニア大公妃テオドーラと似ている。
もう一人は壮年の男で小太りで若干頭が寂しくなっていた、だが鷹揚な人柄と気品を感じさせる人物で、彼はヴェルナー=ダールグリュンでダールグリュン公爵家の現当主だ、彼はルドヴィークの話し相手で飲み友達でもある。
国王の私室はアラティアを象徴する赤ワインのような赤と黒を基調としている、二人の目の前の背の低い重厚で豪華なテーブルの上にヴェルナーが手に入れた珍しい銘柄の酒が置いてあった、それほど酒に強くも無いのになぜか酒を集める趣味を持っているのだ、ルドヴィークが公務を終えて一息ついたところに彼がやってきたところだった。
「いくさはどうなった?」
ヴェルナーが西国の珍味を摘みながら突然つぶやいたので、ルドヴィークは目を瞠って笑う。
「なんだ?酒の場で政治の話をするなとはお前のセリフだろ?」
「カミラの事もあるからだ・・・」
カミラはダールグリュン公爵家の娘で王家に養女に入りカミラ姫と呼ばれるアラティア随一の美姫だ、エルニア大公家の世継ぎルーベルト公子との婚姻を目指している。
「ああ、すでに戦いは始まっている、コースタード峠の砦が落されたがそれを奪い返した、いや跡地か・・・」
「あそこに砦があったのか?」
「ハイネ通商連合が築いた砦だ、築かれて一月しか経っていないぞ」
「そうか・・・」
ヴェルナーは何か考え事をしている様だ、ルドヴィークはそれが気になった。
「カミラが心配なのか?こちらにも報告が来ている、それを聞きにきたのだろ?」
「そうだ、私では情報を集めるのは難しい、エルニアで一体何が起きているんだ?」
ルドヴィークは杯の中の遠国の珍しい酒を口に含んでから僅かに眉をひそめた。
「これは酢か?・・・・たしかルーベルトからの手紙が途絶えて五日になるのか?」
ルーベルトとはエルニアの世継ぎの公子で大公妃テオドーラの息子にあたるので、ルドヴィークにとっては甥にあたる、そして死亡したと言われるルディガー公子の義理の弟となる、ルディガーの方が年長だが大公妃の息子のほうが継承権は上なのだ。
ルディガー公子も有力豪族クラスタ家とエルニア有数の魔術の名門メイシー家の血を引くが継承権では劣っていた。
「そうだ、カミラが心配しているがまだエルニアの乱れは教えていない、今何が起きているのだ?」
ルドヴィークが片手を上げる、すると壁際に控えていた侍従達が静かに部屋から下がって行った。
部屋に二人だけになったところでルドヴィークが先を続けた。
「情報の収集に手間取っている、精霊通信は早いが情報量が少なすぎる、伝令はアウデンリートからここまで三日はかかるのだ、最近はそれも怪しくなってきた」
「まさか妨害されているのか?」
「戦時でも無いのに外交官の特別伝令を妨害する痴れ者はいないが、動員令が発令され街道の渋滞が始まっている」
「いよいよエルニアが連合軍として参加するのか?」
「エルニア政府からの通達はまだない・・・」
ヴェルナーは唖然としてから叫んだ。
「なんだと!?」
玻璃のグラスが振動で僅かな音を立てた。
「正使が派遣されたならば、精霊通信で報告がくるはずだ、だがアウデンリートからも各地の城塞からの報告もない」
「で、ではテオドーラ様は?」
「テオドーラは七日に一度手紙をよこしていたが、最後の手紙が来てから十日経つ」
「なんと・・・何が起きてるのだ?」
「大使館と密偵が情報を収集している、断片的な情報だけだがどうも普通では無いな」
ルドヴィークは迷うようにヴェルナーを見てから心を決めた様だ。
「大公家は乱れている、お前も噂だけは聞いたであろう『異邦の麗人』の話を・・・」
「未知の大陸の難破船にいた女か?たいそう美しいそうだが」
「そうだ未確定な噂だが、大公と公子が頻繁に『異邦の麗人』の元に通っているとな」
ヴェルナー公爵もその破廉恥さに呆れた様子だ。
「なんだと考えられん、ギスランは何をやっているんだ?」
このギスランとはエルニア宰相のギスラン=ルマニクその人以外ありえない。
「特に動きが無い・・・ギスランはアラティアと婚姻により関係を強める事を良しと思っていないからな」
ヴェルナーは更に語気を強めた。
「それがこの乱れを放置する理由になるかよ、こんな事カミラに言えるか!!」
「まだ噂レベルだが、裏を取ろうにもテオドーラのところにいる手の者達との接触が困難になりつつある」
「まずいな・・・まさか敵対する気か?」
「それも確定していない、エルニアが戦時体制に移行しているのは確かだ、それだけで人と情報の出入りが不自由になる」
ヴェルナーは絶句した。
「お前には言っておいてもよかろう、すでにこちらもさらなる動員の準備を始めた、本国軍と近衛軍を動かす」
「総力戦じゃないか?半世紀ぶりか」
「ヴェルナー、エルニア公国は遠征能力が低いそれほど脅威にならんよ、こちらから攻め込まなければな、だがテレーゼ遠征軍との連絡線を脅かされる恐れがある」
「それは確定しているのか?」
「あくまで状況証拠だけで疑わしいと言う事だ、内が乱れているのに遠征なのか?あの大公は怠惰で無能な男だがそれが戦に乗り出すのか?理解し難い事が発生している」
「しかしグディムカルに付く動機はなんだ?金か領土か?」
「わからんな、だがエルニアが連合軍に参加するなら楽になる、その場合でも兵站が弱いエルニアを支援する必要があるので動員も無駄にはならん」
「そうか、しかし酒が不味くなってきた」
ヴェルナーが吐き捨てた。
「まずいくらいなら羨ましいわ、こっちは頭痛と胃痛がする」
ルドヴィークはそう愚痴を零してからため息を吐いた、ルドヴィークが小さなベルを二度鳴らすと再び侍従達が部屋に戻ってきた。
無粋な話はこれで終わりだ。