コースタード砦
テレーゼのラーゼとグディムカルのコースタードを結ぶ街道は、深い森の中を蛇の様に縫いながら山腹を登って行く、街道は峠に近づくにつれ両側から険しい崖が迫る難所を通り抜けて行く。
その森の中を二つの人影が街道を無視して峠に向かって駆け上がる、しだいに足元が岩場になり左側から崖が迫り、影はしだいに狭くなる谷の底を突き進む。
突然先頭の黒い影が止まると小さく叫んだ。
「近い!」
それは澄んだ鋭い女性の声だった、そして後ろから必死に駆け上ってきた小さな影も止まる。
「いっぱい人が居ますねベルさん」
「うん」
二つの影はベルとコッキーだ、二人は葉っぱまみれで草の汁と泥で全身汚れている。
ベルは胸いっぱいに空気を大きく吸い込んだ。
「空気が焦げ臭い、砦が近いぞ」
するとコッキーが可愛らしい鼻をスンスンさせた。
「ほんとです焦げ臭いですね」
二人はそこから慎重に峠に向かって昇り始めた、すぐに樹々の向こうに兵士の群れが見えてくる、二人は姿勢を更に低めた。
「ベルさんあれはラーゼの兵隊さんじゃないです」
「そうか、あそこに・・・白い旗が見える」
兵士の群れの中に白い軍旗がはためいている、それにベルが目ざとく気づいた、釣られてコッキーが少し身を乗り出す。
「白地に赤い何かが描かれている、アラティアの赤竜の軍旗だ」
「さすがですベルさん」
コッキーは少し尊敬の眼差しをベルに向けた。
「エルニアの隣の国だから知らない人はいないんだ、昔戦争をしていたからね」
ベルは軽く顔を横に振ると笑った。
「そうだったんですか?」
「僕が生まれる前の話だ、アラティアからテオドーラ妃が来てルディの義弟が生まれたんだ」
「思い出しました、ルディさんから聞いた事あります、政略結婚って奴ですね」
「うーん、まあそうだね、王侯貴族なんてだいたいそうだ」
二人は観察しやすいようにさらに近づいた、兵士の群れは丸太で柵を築いていた、そして兵士は赤い布を腕に巻いている。
「まちがないアラティア軍だ」
「いっぱいいますねベルさん」
「ここを封鎖する気だ、じゃあ砦を見ておこう」
ベルは左側に迫る断崖をその美しい顎で示す、それは断崖を利用してアラティア軍の前線を迂回する事を意味している、それにコッキーは平然とうなずいた。
二人はその崖を利用し迂回しながらコースタード砦を見下ろせる位置に向かう事にした、そのコースは獣か聖霊教の山岳修道士しか通る事のできない険しいルートだ、だが二人はそれを物ともせずに通り抜けた。
そして二人はほぼ垂直に近い絶壁の中ほどにいる、そこから全体を見下ろせる。
「ここからだとよく見えますベルさん」
片手で岩壁にへばりついたコッキーの声は幾分興奮していた。
左側に焼け落ち崩壊した砦が見える、そこは谷の一番狭い処で、グディムカルの兵士たちが必死に作業をしている。
彼らは残った砦を有効利用しながら街道を封鎖しようとしているようだ。
右側ではアラティア軍が陣地を構築しようとしていた、丸太を地面に打ち込み柵を築こうとしている。
「グディムカルは千人くらい」
ベルがささやくとコッキーが直ぐに反応する。
「わかるのです?」
それにベルはうなずいた。
「クラスタ家は大公家の狩猟区管理の家柄だ、狩猟は軍事訓練もかねるんだよ、軍の数を数えるのも訓練なんだ」
「ほえー、じゃあアラティアは三千くらい?」
「もっと少ないと思う、でもあれをみて山を昇ってくる部隊が見える、どのくらいいるかはわからないけど」
ベルの言う通りラーゼ側から街道を昇ってくる部隊らしきものが遠くに見えた。
「みてグディムカルの方からも部隊が来ている」
今度はベルがグディムカルのコースタードの方から近づいてくる軍に気づいた。
北側からうねる山道を軍が接近してくる。
「街道が狭いから少しずつしか軍を動かせないんだ」
「こんなところでにらめっこです?」
「こんな山道じゃ両方とも大軍を置けない、短期決戦で峠を抜くかコッキーの言う通り最小限の部隊を置いてにらめっこになるよ」
「そうなんです?」
「うん、水場も無いし補給が大変そう」
そのまましばらく軍を観察していたが2人で顔を見合わせた。
「コッキー、リネインに寄ってから帰る?」
ベルは少し恥ずかしげに笑っている、ベルの提案にコッキーは目を見開いた。
それは常識的にありえない計画でここから歩いたらリネインまで二日はかかる、だがすぐにコッキーは理解した。
「私達ならできますよね、晩ご飯までになんとか帰れそうです、まだ慣れなくて」
「ぼくもまだ慣れてない」
「少し孤児院が心配だったのです、ベルさんお願いします!」
「じゃあ行こう」
二人は絶壁を軽々と滑る様に真横に移動を始めた、普通の人ならば墜ちたら即死の難所を物ともしなかった、そのまま両軍の前線を大きく迂回するとそこから森に飛び込み道なき道を爆進しはじめる。
陽は天頂からやや傾いて穏やかな午後の陽光をテレーゼの大地に投げかけていた。