コッキーのトラッンペット
ハイネの城門の閉門を告げる鐘が鳴り響く中、街頭の屋台も引き揚げ始めていた、大通りの商館も店仕舞いの準備を進めている。
通りには酒場から漏れ落ちる光だけが残り、家路を急ぐ人々が足早に通り過ぎていった、四人は足元のおぼつかないコッキーを庇いながら宿への帰路についていた。
「コッキー大丈夫?」
ベルが心配げにコッキーの顔を覗き込む。
「はい、だいぶ落ち着きました」
アゼルが言いにくそうにコッキーに尋ねる。
「先ほど様子がおかしかったようですが、何が起きたのですか?」
「あの変な塊を見たとたん、体が熱くなったんです、そして頭がボッとして何も考えられなくなりました、なにか体の奥から湧き上がって来るような感じがして、爆発しそうでした」
コッキーはベルの金属の塊が収められている当たりを物欲しそうに見つめている。
ベルがそのお腹の出っ張りを気にしながら事情を説明する。
「黄昏の世界からアマリア魔術学院の地下に戻って来た時、コッキーの肩に痣があったって昨日話したよね?痣の形がラッパみたいな、丸い形だからホルンだっけ?それと関係がありそうな気がしたんだ、僕がこれを買っても良かったんだけど、小間使いと言う事になっていたし・・・」
ベルはルディとアゼルに視線を投げた。
ルディはコッキーを見やりながら呟やく。
「ともあれ宿に帰って調べる必要があるな」
四人は庶民的な商業街にある『ハイネの野菊亭』に戻る、そんな彼らを一階の受付に居た中年の太った店主が迎えた。
受付には隣の酒場から酒や料理の臭いが流れ込み、タバコや怪しい薬草の煙が空中を漂っていた。
「あんたらか?おかえり」
「おうよ」
それにルディが適当に応える。
ベルがテーブルの上にその金属の細い管を丸めて潰した様な異様な物体を置く、するとそれを目にした途端にコッキーの様子が変わる。
コッキーの顔は赤く上気しはじめ、瞳が潤みその集点が定かでない、そして彼女の小さな口元が緩みはじめた。
「それに触りたいのですよ・・」
三人はお互いに目配せしたが、あえてコッキーの想いのままにさせる事にした、三人には何か予感の様な物があったからだ。
コッキーはノロノロと手を差し伸べ金属の塊に振れた、そして両の手のひらで包み込む、その時の事だ、
何か金属が軋むような耳障りな音が金属の塊から響き始めた、コッキーは思わず手を離す、その金属の塊はテーブルの上に音を立てながら落ちる、そして三人にあからさまに緊張が走った。
「テーブルから離れて!!」
ベルが警告を発した。
だがコッキーだけが魅了された様にそのまま金属の塊を見ている。
そしてその軋む様な音はしだいに激しくなっていく、やがて金属の塊が変形し始めた、その変化は絡み合った金属の管が解けていく様に見えるが、それを見ていると、非現実的な理不尽な方法で折り畳まれていたとしか思えなかった、その塊は徐々に本来あるべき姿を取り戻して行く。
それは片手で持てる小型のトランペットだった、メッキも剥げ錆びついていたはずの表面が美しい黄金の輝きを取り戻そうとしていた。
やがて金属の軋みが消えた時、テーブルの上に部屋の薄暗いランプの光を浴びながら、トランペットが鈍い黄金の輝きを放っていた、誰もが無言でこの奇跡を見守る事しかできなかった。
「何だこれは?」
ルディが思わずこぼした。
「私にもわかりません」
アゼルも頭を横に振るだけだった。
コッキーはゆっくりとトランペットに愛おしそうに手を伸ばしそれを掴んだ、手元にそれを引き寄せ、それを口に当てようとしている。
「コッキーまって!!」
ベルがすかさずコッキーの後ろから羽交い締めにして止める。
「ベルさん何をするのですかぁ!!私はラッパを吹くのです!!胸の中の空気を全部吹き込みたいのです!!離してくださぁい!!」
「ここじゃだダメだよ?音がうるさいし何が起きるかわからない!!」
「たしかにベルサーレ嬢の言うことは正しいです」
「私はラッパを吹くのです!!!」
コッキーの瞳を覗いたベルはあせった、そこに狂気を感じたからだ。
「そうだ、今から城外の丘の上に行こう、そこで吹こう?」
ベルがコッキーを宥める。
「ベルもう城門は閉じているぞ?」
「別に城壁を乗り越えていくからいいよ、二人共ついて来れるならついて来て」
ベルは背嚢からロープを取り出した、ベルはコッキーに背中に乗るように催促した。
「あの時みたいにベルさんの背中に乗るのですね」
そしてベルはコッキーをロープで固定していく、それは怪我人や病人を一人で運ぶ為のロープ術だったのだ、それを知っているルディは感心したように見ている。
ベルはコッキーの体温が異常に熱くなっているのを感じとっていた。
「そんなところを通すのですか?」
「少し我慢してね、あと絶対に手を離さないで、舌を噛まないように話さないで」
コッキーは無言で頷いた。
宿の窓を開けるとベルは二階の屋根に登る、そしてコッキーを背負ったまま屋根から屋根へ跳び移り、東の城壁に向かって進んでいく、ハイネの外壁の高さは八メール近い高さがあるが、二階の屋根の上からならばその差は少なくなるのだ。
だが壁に一番近い建物と城壁の間にはかなりの広い間隔があった。
「コッキー、僕の一番細いとこを両足でしっかり挟みこんで、今から全力で助走して向こうの壁の上まで跳ぶよ?怖いなら目を閉じていて」
「なんか恥ずかしいです」
「走るのに足が邪魔なんだ」
「後このスカートもほんと邪魔」
コッキーはベルのウエストを両足でしっかり挟み込む、ベルは小間使いの服の裾をつまみ愚痴りながら屋根の西端まで下がった。
「さて行くよ!!」
ベルは屋根を走り始めた、力強く徐々に加速しながら屋根の先から空中に踏み出す、そのまま高々と飛び城壁の上に軽々と着地した、城壁は上に兵士を配備できるように3メートル程の幅がある。
小間使いの服の布が引き裂かれる様な音がしたがベルは気にしなかった。
ベルは姿勢を低めて周囲を偵察する、都市を囲む城壁には所々に監視塔があるが、平時には最低限の人員しか配置されていない、遠くから巡回の兵の松明が城壁の上をゆっくり近づいて来るのが確認できる。
「コッキー城壁を降りるよ」
ハイネの城市の外側の壁をするすると降りていく。
「面倒だからこのまま町外れの丘まで行く」
黄昏の薄暗がりの中、新市街の粗末な町並みの中をコッキーを背負ったままベルは走った、黄昏の国の平原を駆け抜けた時の様な圧倒的なパワーは無かったが、それでも非常に早い。
運悪く二人を目撃した通行人が目を疑うように二人の後ろ姿を見送った。
そして新市街を走り抜け昼間にハイネを見下ろした小高い丘の上に到着した。
「これがハイネの夜景だね」
ハイネの城壁やハイネ城には所々に篝火が灯されている、街の大きな建物の窓からは僅かな灯りが漏れていた、一際明るいのは大通り沿いの酒場や夜の店の灯だ、それに引き換え手前の新市街は暗闇に沈んでいた。
「ええ綺麗ですね」
ベルはコッキーを縛り付けていたロープを解いてやる、そしてコッキーを立たせてやった。
コッキーは薄い背嚢から小さなトランペットを取り出した。
「ベルさんここなら大丈夫ですか?」
「うん、たぶん・・・」
街の中や宿屋の二階よりはましだとベルは思う。
コッキーは愛おしそうにトランペットのマウスピースに口を近づけて行く、それはキスを待つ乙女のようなそぶりだった。
ベルはそんなコッキーの姿に見てはいけない物を見てしまった様な気持ちになり顔を逸してしまった。
コッキーがトランペットに口付けしたその瞬間、コッキーの体が電撃で打たれたように震えた。
ハイネの丘から見下ろす夜景は幻想的だった、コッキーがトランペットのマウスピースを見つめると、半ば無意識に体が動き始めた。
何か神聖な儀式に望むような不思議な気持ちになり、体の奥底から何かが湧き上がって来るのを感じたが、それは出口を探して彷徨い渦まいている、それはどんどん強くなり体が熱くなり足が震え始めた。
眼の前のベルは驚いた様などこか恥ずかしげな表情をすると顔をそむけて横を向いてしまった。
コッキーがトランペットのマウスピースに口を付けると、唇に僅かな刺激が走った、そして不思議な形の無い何かがコッキーの口から入って来るのを感じた、それはまるで蛭か何かのように体の奥に潜り込んでいく。
その瞬間だった、出口もなく渦巻いていた力が一気に吹き上がり全身を駆けめぐり爆発した。
「あぁぁぁ!!!」
コッキーは絶叫した、意識は半ば飛びかけ、腰の力が抜け丘の上の草原にペタリと座り込んでしまった。
「コッキー大丈夫?」
コッキーは茫然自失しベルの呼びかけに反応しなかった。
「コッキーから力を感じるよ」
ベルがコッキーを軽く揺さぶるとゆっくりとベルの方を向いた。
「はい、今まで詰まっていたものが無くなった様な不思議な感じがしますよ」
コッキーの赤く上気した顔色もだらし無く緩んだ口元も普段に戻りはじめていた。
「とてもすっきりしましたです!!」
コッキーは立ち上がるとトランペットを口にした、そして演奏を始める。
それはベルが聞いたこと無い不思議なそれでいて魂を打つ曲だった、ベルはコッキーがなぜそんな曲を知っているのか、なぜ演奏できるのかは解らなかった、だがなぜそうなったかは知っている、あの黄昏の国へ行ったからだと。
次から次と新しい曲が始まり、その演奏会はいつまでも止まらなかった。
ベルは聞き惚れながらもその演奏から何か未知の力を感じていた、自分やルディやアマンダと同じ精霊の力だ、それでいてどこかが違う作用があると確信した。
「コッキーの演奏には何かがある」
そう心の中で呟いた。
ベルは先ほどから丘の下から二人の人間が近づいてくるのに気が付いていた、ベルにはある予感が有った。
「やっと追いついたぞ、やはり二人共そこにいたのか」
それはベルの予想通りにルディとアゼルの二人だった。