グディムカルの戦士達
ハイネ市の南門の南の煉瓦塀に囲まれた広大な一角をコステロ商会が占めていた、その北西の端に小さな森がある、暗闇の中ひっそりたたずむ別邸の白い壁が闇の底からにじみ出た。
この邸宅はコステロ商会の賓客用ゲストハウスで今は闇妖精姫ドロシーと子供達の住処になっていた、その二階の西端の小さな部屋はドロシーお気に入りの使用人ポーラの私室になっている、小さな部屋だが清潔で内装も良く一使用人には分不相応な立派な部屋だ。
青白い魔術道具の光の中でポーラは帳簿と格闘していた、この館には主人と子供達とポーラしかいない、おかげですべてポーラが管理しなくてはならなかった、必要な経費や物資を総てチェックし商会に要求するのだ。
「ポーラ、まだはたらいていたのね」
ポーラは背後から唐突に聞こえてきたドロシーの声に僅かに驚く、そして羽ペンを置くと主人を振り返った、ドロシーは魔術陣地の内部を瞬間移動する事ができる、最近ポーラもその主人の振る舞いに慣れてきた。
「お嬢様なにか御用でございますか?」
「今からあの人に会いに行く」
「かしこまりました」
ポーラは誰に会おうとしているか知っている、だがその理由を尋ねる気は無い。
ドロシーの体が崩壊しながら青白い霧となり吹き出す、彼女の高級使用人の衣装が床に音もなく崩れ落ちた。
ポーラは窓辺に向かうとカーテンを開きガラス窓を開け放つ、外は魔術陣地の外の荒廃した世界が広がっている、地平線の空が赤黒く染まり、崩れた瓦礫と枯れ木の森がどこまでも白い姿を晒していた。
ドロシーだった青白い霧が渦を巻くとそのまま外に流れ出す、ポーラは窓を閉じカーテンを締めると床に落ちたドロシーの衣装と肌着を回収し籐編の籠に収める。
そしてため息を付くとやりかけの仕事を進めるために席に戻った。
夜のハイネの空を一筋の青白い霧が街の北に流れて行く、だがそれに気づく者は誰もいない。
霧の筋はハイネの上流階級の邸宅が集まる北東地区に向かって流れる、やがて趣味の良い円形ドーム屋根の貴族の邸宅めざして下降しはじめた。
その霧は美しい庭に大きく張り出した二階の広い瀟洒なバルコニーの上で渦巻く、やがて真鍮の大きなガラス張りの扉の隙間から中に染み込んだ。
コステロ会長は豪華なリビングで少々成金趣味な革張りのソファで腰を深くおろして休んでいるところだった。
今日はハイネ城でセクサドル王国の王族を迎える儀式に付き合わされた、あまり気が進まなかったが評議会の一員で公務もなく手が空いていたので断る事ができなかった。
そして評判のよろしく無い殿下の人物を見極めたかったので出席する事にしたのだ。
歓迎会の後の晩餐会も早めに切り上げられたので、コステロはさっさと帰宅すると残務を片付けた。
コステロはふと体を起こした、馴染んだ力の気配を感じたからだ。
コステロは不敵な笑いを浮かべる、そうすると無精髭の精悍な顔つきがどこかイタズラ小僧のようになった。
けして美貌とは言えないが魅力的で野生味がある男だ、金縁の遮光眼鏡の奥はわからないがどこか優しげな目をしていると感じさせる。
「来ると思っていたぞ、いろいろあったからな」
コステロの目の前に青白い霧が流れて来ると渦を巻いて集まり出した、それはしだいに濃くなるとその中に人の姿が現れる、コステロはそれを楽しげにどこか愛おしげに眺めていた。
そして霧が消えるとそこに青白き一糸もまとわぬ闇妖精姫ドロシーが立っていた。
「ドロシー、セザールが大穴を開けた事か?」
「エルヴィス、あの女はだれ?」
その問いかけにコステロは意表を突かれてしばらく声が出なかった、だが不機嫌そうなドロシーの顔に気づくと楽しそうに笑い出した。
「あの女は馬鹿王子にあてがわれた魔術師だ、かなりの報酬を約束されたらしい、もともとうちの魔術研究所に来る予定だったんだ、それがおじゃんになったのさ、だからあの女に興味があっただけだ」
「実力あるの?」
「シャルロッテ=デートリンゲンという名前だが、二属性の上位魔術師だ」
「人としては強力ね・・・それならいいけど」
ドロシーは自分の考えに浸り始めたので、コステロはそれを眺めていた、それに気づいたドロシーは今更ながら少し恥じらう素振りを見せる。
「今日はそれだけじゃねえんだろ?」
コステロはたのしげに声をかける。
「あ、それだけじゃなかった、大切な事忘れるところだった」
コステロはやっとセザールに関する話に移ると思った。
「ここから北東の方角で、魔界の神のけんぞくが力を使った」
だが意表を突かれコステロは腰を浮かした。
「魔神の眷属だと!?グディムカルにいる奴だな、俺は何も感じなかったが」
ドロシーはうなずき肯定する、そしてコステロの疑問に答えた。
「まじゅつ陣地のある世界はジャマになる物がない、遠くまで伝わる」
「そうか」
「何が起きたか少し見てくる」
「ああ、だがよ真月だぜ?」
コステロはあまり気が進まなかった、闇妖精姫の力と不死性を疑わなかったが今日は力が一番衰える日なので心配になったからだ。
「だいじょうぶすぐもどる、あっというま」
音もなく真鍮枠のガラスの扉が誰も触れないのに開け放たれる。
そしてアラバスター細工の様な完璧な青白き肉体がバルコニーに向かう、コステロは彼女の後ろ姿をソファに腰掛けながら見送った。
バルコニーの真ん中に進んだ彼女に強大な瘴気が集まる、すると背中に巨大なコウモリの羽が出現する、それは一瞬の事だった。
最後にコステロを振り返ると手をふった。
次の瞬間ドロシーの姿がバルコニーから消えた、強い風がうずまくと庭の木々が大きくざわめいた。
黒い山の影を背景に戦士たちの集団が森の中を進んでいた、その背後で峠の砦から上がる炎が低く垂れ込めた暗雲を下から照らし出している。
先頭を進むのは魁偉な大男で黒ずくめのグディムカル軍の甲冑に身を固めていた、そして暗がりで月明かりも無い夜道は小さな魔術道具に照らし出されているだけだ。
その灯りが稀に男の髪を照らすと、真紅の炎の様な男の髪が顕になる、手入れのされていない赤髪は肩までの長さで蛮族の様に適当に後ろに流していた。
そして背に大剣を背負っている、とても人に扱えると思えない巨大な剣だ。
そして男の甲冑はグディムカル軍の装備に詳しい者なら手が加えられている事がわかるだろう、それは防御より動きやすさを追求し手を加えられていた、軍の決まりで装備に勝手に手を加える事は許されていない、男はそれが許されている事が伺い知れる。
彼らは僅かな敗走兵を始末しながら夜の街道を強行してここまで進んできた、彼の部下はわずか五百ほどに過ぎないだが精鋭中の精鋭だ、その彼らも必死に指揮官にここまでついてきたのだ。
時々大男は後ろの部下の様子を確認している。
そこに前方から息を切らした斥候がかけ戻ってくる。
「目印を見つけました、グルンダル様」
「案内しろ奴らの斥候が来る前にいそいで抜けるぞ、いいかもう少しだ!」
グルンダルは後ろを振り返ると声を抑えて兵たちを励ました、背後の男たちは無言のまま手を挙げる者や頷く姿が見える、だが隊列の後ろは影に沈みまったく見えなかった。
それを確認するとグルンダルは背後で炎を上げる砦を見上げ舌打ちする。
そして斥候兵を先頭にさらに歩速を上げた。
やがて斥候兵が示す場所に到達すると、西に向かう獣道にしか見えない細い道がある。
グルンダルがラーゼに向かう路面を改めると、補給が行き来するのか道はかなり踏み硬められている。
誘導役を決めると全員が通過したら可能なだけ跡を隠せと指示を出した。
「まあ気休めだぜ」
グルンダルは鼻で嘲笑った、そしてその獣道に足を踏み入れた。
それからしばらく進むと野営予定地に到達する、朝からの強行軍と戦闘を経て部隊は疲弊していた。
「ここで休息をとる、見張りは予定通りに」
グルンダルは無尽の体力を誇っているが彼の部下は休息を必要としていた。
精鋭達があきらかに安堵している、哨戒兵以外はおのおの思い思いに腰を下ろすと携帯食をかじり始めた。
残念ながら火を使うことはできない、そして加熱用の魔術道具は重いので彼らは用意していなかった。
グルンダルも大木を背にすると冷たい糧食にかぶりつく、保存と栄養を優先した食事は美味いとは言えないのだ。
みな無言で食事をとっているここはまだ敵の支配地域なのだ。
どのくらい時間が経っただろうか、しばらくすると街道を監視していた斥候兵がやってきた。
「グルンダル様、ラーゼの偵察部隊が通過、砦方面に向かいました」
「ご苦労」
一言いたわるとふと頭の上が気になり空を見上げた、もちろん森の中から空が見えるわけが無かった。
だがその鬱蒼と茂った木々の遥か上に何かを感じた、それは己と同じ忌むべき魔界の力だった、だがそれは彼がよく知っている純粋さに欠けていた、生々しい昏い命の脈動を感じさせる。
グルンダルは思わず立ち上がる、斥候兵と夜哨の兵が驚いた顔をして彼らの指揮官を見つめた。
グルンダルは歯を食いしばっていた、恐ろしい歯ぎしりの音が聞こえた。
その食いしばった歯の奥から声にならぬ声が漏れた。
「闇妖精姫、奴がいるぞ!ついに俺はやってきたのだ」
グルンダルの瞳は灼熱の色に変わっていた。