コースタード峠抜かれる
ハイネは新市街の謎の爆発とそれにより生まれた大穴に混乱の最中にあった、そんなハイネ市の北に城塞都市マルセランがある、この街はテレーゼとグディムカルを結ぶ街道とラーゼからマルセランを経てテレーゼ西部に向かう街道の交点にある。
ここはハイネの北の護りであり街道を見下ろす丘の上にマルセラン要塞がかつて築かれていた、だがその要塞も放棄され今は廃墟になっている。
そしてマルセランから更に北に約一日の距離にテレーゼとグディムカルを隔てるグリティン山地が東西に走る。
その麓に山地を越えてきた帝国軍が集結しつつあった、そしてマルセランの街にアラティア軍も集結しつつある、セクサルド軍の前軍もいよいよハイネに姿を現した。
戦いの時は一刻一刻と迫りつつあった。
マルセラン郊外のアラティア軍野営地に一際目立つ大天幕が篝火に白く照らし出される。
真昼の様な光の中をアラティア軍の将兵が慌ただしく動き回る、そこに伝令兵の一団が現れて大天幕に吸い込まれるように消え、新手の伝令が慌ただしく飛び出し各方面に散って行く。
その騒ぎをもたらしたのはグディムカル軍の奇襲を伝えてきた精霊通信の一報だった、テレーゼ北東のラーゼとグリティン山脈の北のコースタードを結ぶ街道は、ハイネ通商連合軍の部隊により封鎖されていた、その部隊がグディムカル軍の奇襲を伝えてきた事から始まった。
コースタードとラーゼを結ぶ道は険しく狭く大軍の機動に向いていない、その険しい山道は峠に築かれた砦に封鎖され、ハイネ通商連合の部隊が配備されていた。
この砦がグディムカル軍の攻撃を受ける事は想定されていた、だが地形的に砦は簡単には落ちないと考えられていた、そして後方の城塞都市ラーゼに五千のアラティア軍が控えている。
アラティア軍総司令官のコンラート将軍は初め緊急性を感じていなかった、だが砦が奇襲を受けてから続報がまったく入って来ない、砦には精霊通信要員の魔術師が複数配置されている。
連合軍司令部は何か変事が起きたと判断しラーゼ駐留部隊と精霊通信で情報交換を初める、すでにラーゼ守備隊に状況確認命令を出したので明日の朝には何かしら状況がつかめるはずと考えられた。
だがハイネで原因不明の大爆発が起きた知らせが入ってくる、そこでコンラート将軍は決断する、ハイネに伝令を放ち情報収集を命じその後で緊急軍議を招集する事に決めた。
大天幕の会議室に折りたたみ式の長椅子が並べられる、夕刻の会議で使われ格納された長椅子をまた並べ直さなければならなくなったのだ、従兵達は不平を態度で隠さない兵達は今日一日の行軍で疲れていたのだ。
アラティアの指揮官達は深夜になって再び大天幕に招集される事になったのだ。
「諸君達も知っているだろうが、ラーゼとコースタードを結ぶ街道を塞ぐ砦が攻撃を受けた」
野太い落ち着いた声でアラティア軍司令官のコンラートが壁に立てかけられた地図の一点を指す、魔術道具のオレンジの光が彼の厳つい顔を横から照らし険しい影が生まれた、それが彼の表情に疲れを感じさせる。
ここまでは各部隊指揮官達も把握している。
「だが最初の一報があった後に続報が無い、砦には複数の精霊通信に携わる魔術師が配置されていた。
連絡が絶えて三時間になる、ハイネ通商連合の規定で明確な精霊通信の決まりは無い、結成され日が浅いせいもあるが」
ここにいる者すべてが壁の告時機に目を向けた。
「交戦中であっても、あればこそ状況を伝える必要がある、我々が恐れているのはなんらかの理由で通信を送る事ができなくなった可能性だ」
そして副官のブルクハルトに視線を向ける。
「そして先程ハイネ近郊でまた巨大な爆発が起きた」
それを聞いた者たちからどよめきが上がった、彼らも最近ハイネ近郊で巨大な爆発が連続して起きている事を知っていた、ハイネ評議会は昔の魔術道具の爆発だと説明している事も。
だが多くの者達は大型の魔術道具の開発で名を轟かせた『精霊魔女アマリア』の遺産を連想した、ハイネの製鉄場に巨大なアマリアの遺産が今も存在しハイネの製鉄産業を今も支えている。
「詳しい説明はブルクハルトからだ」
そう言ってコンラートは席に腰をおろした。
変わりにブルクハルトが立つと前に出る、そして今度はハイネ市街の地図を示しながら説明を始めた。
ハイネのアラティア領事館の駐在武官からの通信で、現時点では複数回にわたり精霊通信が送られてきている事、詳細は明日の朝に伝令からもたらされると説明する。
ブルクハルトが順を追って通信内容を説明して行く、会議に参加している者はその内容から現地の状況をおおまかに理解する事ができた。
長い説明を終えると再びコンラートに変わる。
「ようするに言いたい事は二つだ、このように状況の変化とともに何事も報告する義務があるという事だ、それが途切れる事は普通ではない、凶報でも何も無いよりましなのだ。
そしてハイネの一区画が一瞬で破壊された、まだ原因が明らかでは無いが、砦も一撃で破壊されないとは言い切れぬ、極めて高位の魔術師が複数集まれば砦に大損害を与える事ができる、その事を理解してもらいたい。
だが現時点で何も判断する事はできない、だが何が起きても対処せねばなるまい」
ふたたび会議場内が騒然となる、それをコンラートは手で制した。
「我が軍の後軍はラーゼ=マルセラン間にいる、警戒態勢をとらせ偵察を命じた、伝令は明日の朝に向こうに着くであろう」
「将軍、では砦が落ちている可能性があると?」
部隊長の一人が叫んだ。
「それを前提に動かねばなるまい、さいわいあの街道は大軍が通るに厳しい輜重部隊の運用は不可能だ、馬車がまともに使えんからな」
そこに慌ただしく本営付きの士官が会議中に関わらず飛び込んできた、それは異常事態の発生を意味している。
ブルクハルトがコンラートの側にやって来る。
士官は何かを叫ぼうとしたが会議の場である事を悟ると思いとどまった、そして心を落ち着かせ石板を差し出した。
それは精霊通信の翻訳に使う石板で白石で文字を描き簡単に消す事ができる。
そこにラーゼの偵察部隊からの一報が書かれていた。
『コースタード峠に火災の炎を目撃せり』
コンラートはその大きな目を見開いた。
新月で雲が厚く垂れ込めて星あかりも絶え、その暗黒を背景に巨大な劫火が燃えさかる、炎が丸太で組まれた即席の防壁と櫓をなめる。
やがて暗闇の中から大男が姿を表した、まるで闇の中から染み出した様に。
男はまだ二十代半ばに見えた、そして彼の炎の色をした髪はまるで背後の炎の分身の様に赤い。
そして背中に巨大な大剣を背負っていた、ルディの無銘の魔剣よりさらに長く幅も広い。
その赤髪の大男の後ろから武装した男たちが続いて現れた、彼らの軍装はグディムカル軍の物だが厚手の黒いローブを上からかぶっていた。
その赤髪の大男はグルンダルだ、グディムカル帝国最強の戦士と名を轟かせる男がそこにいた。
「まさか火事になるとはな、これで丸わかりだぜ」
男は吠える様に笑った。