アンネリーゼの脱走
「アンネリーゼ様、また勝手に出て行かれるおつもりですか?」
アンネリーゼが着替えや小物をまとめて上質な皮の背嚢に詰め込んでいるところに、長身の大柄な美しい神殿の巫女があらわれた。
アンネリーゼは彼女の接近に気づいているのか振り返りもしない。
「ソレイユ、闇妖精姫に関して私が直接対応する」
ソレイユは足をとめる。
「ですが聖霊教会に断りもなく?」
「奴らが承諾するわけがなかろう、聖霊拳は聖霊教会に属してはいるが独自の裁量権を持つ、拳の聖女もここで決めるだろ、私は私の判断で動く」
ソレイユは説得は無理と諦め気味な顔をした、そのまま何も言わずに頭を下げた。
アンネリーゼはチェストから黒い上質な皮のブーツと同じ色のレザーロング手袋を取り出すと籐編の椅子の上に投げかけた。
そして籐編の大きなソファに腰をろしたので、ソレイユは目を剥いた、アンネリーゼは夜の鍛錬から戻った姿のままでブーツと手袋を身につけようとしていた。
「アンネリーゼ様、またその御姿で?」
「まさか、それでは痴女ではないか、旅行用の厚手のローブを身にまとうさ」
アンネリーゼは楽しげに笑った。
「私も堪忍袋の尾がきれました、百歩譲りまして聖女様の単独行動を認めるとしても、その御姿で外に出る事はもう許すことができません!」
アンネリーゼは呆れたような視線を忠実な巫女にむけた。
「聖霊拳の至高の精神、それは肉体美を神に捧げる事だ、それは聖霊拳の本質だ、肉体の美こそ神の御心にそったもの、やがて肉体はそれを隠すすべを拒絶しはじめる」
「それは私も心得ておりますが、それは人の域で到達できる・・」
その言葉が終る前にアンネリーゼの精霊力が僅かに高まる、すると彼女の身を飾る装身具と衣服が音もなく床に滑り落ちた。
「私が身につける物は私から離れて行こうとする、むろん私の意思ですべて制御できる」
「・・・・」
「ブーツと手袋がローブの外に出ていれば誰もこの姿に気づくことは無い、私がローブを脱ぐ時それは邪悪を滅する刻だ、心配するなこれは身につける」
アンネリーゼは床に散らばった肌着と黄金の装身具に目をやった。
「これはお祖父様とお祖母様の敵討ちだ、見逃してくれないか?」
ソレイユはうつむき何かを考えていたがスクッと頭を上げる、彼女の端正な美貌は強い意思をみなぎらせていた。
「アンネリーゼ様・・・私は聖女付きの巫女として任務をはたさねばなりません」
アンネリーゼは最高に美しい魅惑的な微笑を浮かべた。
「外に出たければお前を倒さねばならぬか、よかろうお前を踏み越えて行くのみ」
それにソレイユは頷くだけで答えた。
アンネリーゼは立ち上がるとその精霊力を解き放つ、周囲の魔術道具の光が歪むほどの強大な高密度の精霊力がほとばしる、夜の庭園の樹々で休んでいた鳥が一斉に飛び立つ。
ソレイユもまた力を解放した、彼女も幽界への門を開いた聖霊拳の上達者だ、だが彼女の力ですらアンネリーゼの巨大な太陽の様な力の前に霞む。
二人は庭園の真ん中に進み出る、その直後に聖霊拳の頂点同士の壮絶な戦いが始まる。
「なんだ、今の精霊力は?」
神殿の奥殿に男の声が響く。
「お待ち下さいロイ様、この先は男子禁制でございます」
それを呼び止める女性の声が複数聞こえてくる。
「俺は拳の聖人、聖女の親族だ問題ない、火急の事態だまかり通るぞ」
「お、おまちを」
女達の叫びと共に、奥伝の庭にロイ=アームストロングが踏み込んでくる、その後ろから巫女達が続いた。
「みろ誰か倒れている」
ロイが最初に庭の芝の上に仰向けに倒れた人影に気づく。
「あれはソレイユ様です!」
皆が駆け寄るとそれは確かに拳の聖女の側使えの巫女だった。
彼女は神殿巫女の服を脱ぎ、清楚な白い肌着を纏っただけのあられもない姿だ。
「アンめ、また勝手に抜け出しおったな!!」
ロイは巫女から目を逸しながらこぶしを握り占めた。
巫女達の介抱でソレイユはすぐに目を覚ます、どうやら深刻なダメージはまったく負っていないようだ。
彼女は目を開けると向こうを見たままのロイの後ろ姿に気づく。
「申しわけありませんロイ様、手加減されてなお聖女様をお止める事ができませんでした」
「アンがそなたを傷つけるとはおもわないが無事でよかった」
ソレイユは起き上がると庭に面したバルコニーを眺める、その床に何も落ちていない事を確認すると安堵のため息をついた。
そこに巫女達が慌てた様子で飛び込んできた、みなロイの姿を見て驚いている。
「何者かに魔術道具の防護隔壁をすべてすり抜けられました、もしや、聖女様は?」
何か語ろうとするロイをソレイユが軽く止める、神殿の巫女達を管理するのは彼女の役割だ。
「すでにお前たちも察しているだろう、精霊拳のグランド・マスターにして聖女である、アンネリーゼ様が破魔の旅に旅立たれた、この事はこの瞬間から極秘事項となる一切漏らさぬようによいか?」
その言葉に身を正した巫女達が頭を下げた。
ソレイユは満足気に頷くとロイに向き直った。
「これでよろしいですね、拳の聖人ロイ=アームストロング様」
「異論は無い、我らもアンを見守らねばなるまい」
それに対してソレイユは疲れた様な微笑みを浮かべたがその目は光り輝いていた。
破魔の聖女が嵐を呼ぶ度に彼ら彼女らは翻弄され振り回され披露困憊させられる、だがそれが聖霊拳の威名を轟かせ神殿の権威を高めてきたのだ。
人々に絶大な人気のあるアンネリーゼを大聖女に推す声すらあった、それが叶えば三百年ぶりに拳の聖女が聖霊教の大聖女を生む事になる。
その場に新たな決意が生まれた。
「アンネリーゼを追跡し連絡を確保する必要がある、いそいで編成せねばなるまい、いそぐぞソレイユ!」
ロイの力強い言葉に巫女達は奮い立つ、ソレイユは巫女たちに指示を出すとロイの後を追いかけた。
もしかしたらまた新しい伝説が生まれるかもしれない。