コッキーの誘拐
その黒いドレスの小間使いの少女は怒りに満ちた声で命じた。
「その袋を置いていってもらおうか!!」
男達はベルを一瞥しニヤニヤと下卑な笑いを浮かべた。
「ちょうどいいや、こいつもさらっちまおうぜ?」
「そりゃいいや、その後でお楽しみだ」
「そいつ剣を持っているぞ、油断するなよ?」
オーバンはコッキーを詰め込んだ袋を担いだままで、二人の男が剣を抜きベルに向って間合いを詰めてきた。
「大人しく剣を捨てな、そうすれば痛い目に合わずにす・・」
男はそこまでしか言えなかった。
ベルが神速で抜刀しそのまま男の剣を跳ね飛ばしていた、それは居合斬りに近い動きだ、男は切られた訳では無いが剣を握っていた右手は無事では済まなかった。
「ぎゃあああぁぁぁーーー」
手首を骨折したか捻挫したのか男は地面を転げ回り、跳ね飛ばされた剣は壁に跳ね返りながら見えなくなった。
「街の中だから殺さずに済ませてやる」
その黒い少女は青い瞳を野獣の様に燦めかせながら威嚇した。
コッキーを肩に担ぎ上げていたオーバンの右手が僅かに動き始めたその瞬間、ベルは男がコッキーを人質にしようとしていると読み即座に動いた、ベルの踏み込む力で小路の石畳が一枚跳ね上げられ魔術道具屋の裏口の近くの石壁に命中して砕け散る、ベルは瞬間的にオーバンの眼の前まで距離を詰めていた。
オーバンはこれにまったく反応できない、ベルのその速力が乗ったままの左手の拳がオーバンの腹にめり込み気絶させた、そしてコッキーの入った大きな袋を素早く奪いとる。
オーバンはそのまま石畳の上に崩れ落ちて行った。
そして後ろから剣を振りかぶり襲いかかって来た男に後ろ薙ぎに剣を一閃させる、ベルの剣が男の剣を跳ね飛ばした、何かが折れるイヤな音がする、男の剣は裏道を囲む石壁に当たり火花を散らし金属の悲鳴を上げて跳ね回る。
「ぎゃあぁ!!」
男は左手で右手の手首を抑え地面にうずくまった。
その時ベルは慌てた様子で近づいてくる数人の足音と、魔術道具屋の裏口の覗き窓が今にも開こうとしているのを察知する。
ベルは悶絶する二人の視界を避けながら、狭い建物の隙間に入り込み上に逃げる事にした。
壁の僅かな出っ張りを見切り、コッキーの入った袋を担ぎ上げたまま、両側の壁の間を足の力だけで屋根の上までするすると昇ってしまった。
そこに最初にやってきたのは絶叫を聞き慌てて集まってきた街の男達だった、男達が集まってくると魔術道具屋の扉が開き中から魔術師の衣装を来た壮年の男が出て来た。
その後から大勢の野次馬が裏通りに流れ込んで来る、その中にルディとアゼルの姿もあった。
ベルは屋根の上から素早くそれを見て取った。
(さて、あいつらの仲間じゃなかったのか、あいつらを警備隊にでも突き出した方が良いかな?)
背負った大袋からはコッキーの白い足だけが出ていた、コッキーを大袋から出してやると猿轡も外してやる。
「コッキー怪我は?」
「たぶん大丈夫です」
コッキーの顔色は悪いが幸いにもどこにも大きな怪我は無いようだ。
ベルはコッキーを抱き上げ、今度は登って来たのと同じ要領で左右の壁を足の力だけで押さえながら下に降りて行く。
「うっ!?目が回ります・・ベルさん凄いですね・・・」
そしてコッキーを地面に立たせてやった。
「立てる?」
「大丈夫です!」
二人が戦いのあった小さな四つ角に戻ると二人の男が悶絶し一人は気絶したままだった、その周りを屈強な街の男が取り囲み、その周りにさらに野次馬が集まっている。
男達をよく観察すると、全員が剣の他に同じ金属製の棒の様な物を腰から下げていた、ベルは彼らが街の自警団のメンバーと察した。
「おい何が起きたんだ?」
「凶暴な女にやられたんだよっ!!」
ベルはすかさず前に出る。
「そいつらこの娘を誘拐しようとしたんで叩きのめした」
気絶している男以外全員がベルの方を向いた。
「それは本当なのか?」
コッキーにベルが囁いた。
「話したくなければ頷くだけでいいよ」
コッキーは無言で頷いた。
「この袋にこの娘を入れて連れて行こうとしていた処に出くわしたので救けた」
「誰か目撃者はいるのか?」
野次馬の中にも目撃者は居なかった、全員が首を横に振るだけだ。
「俺たちはジンバー商会の者だ、契約を果さなかった小娘に焼きをいれようとしただけだ!!」
「ああ、ジンバー商会か・・・」
男達は顔を見合わせ何やら相談を始めた、やがて相談が終わり群衆に向って宣言する。
「誰も目撃者は居ない、そして被害者も居なかった、ただの喧嘩だこれで終わりだ」
ベルは内心呆れ返った、まあ法が厳格に適応される事の方が少ないのは経験済みだった、それでもエルニアはまだ法に厳しい国なのだ。
そして死人を出さない程度に手加減しておいて良かったと思ったのだ。
それに慌てたオーバンの仲間の一人が抗議した。
「おい!!そこの凶暴な女に怪我させられたんだぞ!!」
赤く腫れ上がった手首を群衆に見せる。
「だがお前達が誘拐犯では無いと証明してくれる者もいないんだぞ?警備隊に突き出して本格的に調べさせるがそれでも良いのか?」
「それにこのお嬢さんに大の男が三人叩きのめされたとでも訴えるつもりなのかい?」
自警団の男は軽蔑したような嘲笑を浮かべた、野次馬の中からも笑いが起きる。
ベルは自警団のリーダーらしき男の後ろで微笑みを浮かべていた、それは愛らしくも、聖人が走ってきて殴りかかるくらいウザい微笑みだった、それを見たオーバンの仲間の男達の顔が痛みと屈辱と憎しみに酷く醜く歪む。
野次馬に混じっていたルディは自分が出ていく程の展開にはならないと見切った、自警団らしき街の男達はこれをケンカで処理したいのだろう、その彼らの怠慢さにとりあえずは感謝していた。
彼らが警備隊に突き出されるとルディ達も事情聴取される可能性が高い。
(ベルよコッキーを連れて逃げてくれた方が良かったのだ、育ちが良いのだろうな、俺も人の事は言えぬが)
そしてここでオーバンが目を覚ました、周囲の自警団と野次馬を見て唖然としていたが、ベルとコッキーを見つけ何か言おうとして口を閉ざした。
自警団の男達は面倒くさそうにそれを見下ろしている。
「これは喧嘩なんだな?」
「なに!?えっ!?まあなんだ、そうだ」
「じゃあ終わりだな?それとも警備隊に持ちこむかい?」
「ああ・・・いいんだ」
オーバンは周囲の群衆を見やりながらそう応えた。
苦痛に苦しむ二人の男とオーバンは足取りもおぼつかない様子でその場から逃げるように去っていった。
自警団の男達はベルとコッキーに向き直る。
「お嬢さんは誰かの使用人なのか?それによそ者だろ、何となく言葉でわかるぞ」
「そうだ」
「どこから来た?エルニアか?」
「まあ、そうだよ」
「とにかく面倒を起こすなよ、次に面倒を起こしたら喧嘩じゃすませないぞ?」
抗議しようとしたコッキーを制してベルが応じた。
「わかったよ、気を付ける」
自警団の男達は去って行った。
野次馬もそれぞれの用を思い出したか散り散りに去っていった。
その場に残ったのは、ルディ達と魔術道具屋から出てきた魔術師らしき壮年の男だけだった。
その壮年の男が口を開く。
「つかぬ事を伺いますが、お嬢さんは聖霊拳の使い手ですかな?」
四人はその魔術師の男を一斉に向く。
そこにすかさずルディが口を挟んだ。
「ほう、なぜそのような事を?」
「先程、僅かな精霊力を感じました、だがお嬢さんは精霊術師には見えない、ならば聖霊拳の上達者では無いかと思いまして、それに力の流れが知り合いの聖霊拳の達人に似ていましたが何かが違う様にも思えました」
「うむ、彼女は聖霊拳の心得がある、私の護衛に父が付けてくれたのだ」
「なるほど、武術の心得があるのですか、ならば先程の三人が叩きのめされるのも解りますが、なかなか興味深い」
「先程の三人について何かご存知ですかな?」
「あの三人は知りませんがジンバー商会の事は多少知っております」
そこにアゼルが会話に割り込んできた。
「我々はエルニアのリエカのファルクラム商会の者で魔術関係の品を取り扱っております、どうでしょう?我々は商材を探してテレーゼに来ました」
「そちらの貴方は精霊術師ですな、しかしエルニアの魔術商とは珍しい、少し話をしていきませんかな?」
四人はその男の店に裏口から案内されて入っていった。
オーバンと怪我に苦しむ二人の男は細い路地を進んでいく、二人は時々苦悶の呻きを漏らしている。
主犯のオーバンが気絶させられただけで済んだせいで、手下の二人から恨めしい視線を投げかけられているのだ、その三人に背後から声をかける者がいた。
「すみません、いいっすか?」
「なっ!?何の用だお前!?」
オーバンと仲間は怯えたように反応した、振り返ると声をかけてきたのは荷物運びの人夫の様な服を着た大柄な若い男だった。
その男はゆっくりと三人に近づいてくる、大男はオーバン達の想像よりも若く10代半ばぐらいの若さだった。
その男は細い糸のような目をしていて感情が読みにくい、そしてその粗末な服の下の筋肉の量と頑丈な革手袋をした両腕が三人の警戒心を更に刺激した。
オーバン達の内二人は怪我をして武器まで失っている、そして危険な何かを直感させるだけの気配をこの若い男は持っていたのだ。
「さっきジンバー商会の人って聞きましたが、俺を雇ってほしいっす、あとあの変な連中の事も少し知ってますよ?」