テヘペロの弟子
ハイネ城の内郭の小ホールで小さいながら華やかなパーティが演じられていた、演目は主題のない喜劇だ、だがハイネ評議会はこの茶番を無駄にする気はなかった、相手は曲がりなりにもセクサドルの王太子なのだから。
セクサドル側が自国の殿下に戦の邪魔をさせたく無いと言う思惑を美辞麗句で包んでハイネに送りつけてきたのは僅か四日前の事だった。
ハイネ側が慌てて詳しく調べると、今までも前科があった事が判明する、彼らはカルマーン大公やセクサドル軍幹部などの情報は集めていたが、殿下の情報はそれほど充実していなかったからだ。
酒や女とパーティーを好む殿下として名を轟かせていたが、名声や賞賛をもとめる英雄願望があり、彼はセクサドル帝国に憧れていた事がこれで明らかになる。
ハイネはこのセクサドルの策に乗った、予定を素早く組み換え殿下を盛大に接待する事にした。
貴顕の接待は表向きだけではない、高名な女優や花柳界の名花を接待に用意する事はよくある、だがホスト側が吟味し提供しその選別にいろいろな意味を乗せる、だがセクサドルの悪名高き殿下にそんな常識は通用しなかった、呆れた事に詳細な要求をハイネ側に突き付けてきた。
だが彼らには時間が無かった、適当な春を売る女をあてがうわけにいかない、だが奇跡的に要求を完璧以上に満たす女性がいた、上位魔術師で貴族の出身らしく殿下の相手に不足はないが逆に敷居が高すぎた。
それに女魔術師に依頼するなど普通はありえない事だ。
だがハイネは賭けに出た勝算があった、それだけの魔術師がハイネにいる事自体何か問題をかかえている証拠だった。
そして有り得ない事が起きた、それがカメロの目の前で踊っている。
「あー専門の教師にしっかりと仕込まれてるな、ニ日や三日でああはならねえ」
カメロの隣にいた同僚のオレクが彼女の踊りを評した、二人は使用人達が待機する一角に待機していたのだ。
カメロには彼女のダンスが特に素晴らしいとも拙いとも思えなかったが。
「遊び人のお前ならわかるか?」
「あのな、ダンスを見ればだいたい身分がわかるんだよ、例外は仕事か趣味にしている女だけだ」
「ではかなりの身分か?」
「それほど高くは無いと思うぜ、ダンスや楽曲には格があるんだ、あまり慣れてないな」
言われて見るとカメロには彼女が必死に殿下に合わせている様にも感じられた。
やがて楽曲が変わると殿下は妖艶で豊満な魔術師の腰にさらに深く手をまわす。
「もったいない」
カメロがそうつぶやく。
「おいおいお前の好みだったのか?」
オレクは喜色を浮かべて悪友の背をたいた、だがカメロはエキゾチックな美貌を無表情のまま淡々と答える。
「これだけの魔術師をこんな事にと思っただけだ」
悪友は笑みを消してお前らしいと言いたげな顔をする。
「噂だが破格の地位と報酬を提示したらしいぜ、だがよ殿下が本気で気に入ったらどうするんだ?」
「お前は噂を集めるのがほんと上手いな」
カメロはかなり呆れた、彼らがこの城に来てまだ数時間しかたっていない。
「さっき掃除の小間使の女の娘から聞いたんだ」
オレクはなかなか男前なので、小間使の娘や城に出入りする商家の娘などに声をかけては無駄話をするクセがある、それが役に立つことがあるのだ。
この情報は城の奥仕えの高級使用人達から漏れたものだろう。
「話を戻すがまったく困らないそれが目的だぞ?殿下があの女に溺れてくれるならありがたい、愛人や側室にしたいと強請れば、ハイネは借りを我が国に作れる、なにせ二属性の上位魔術師のオマケ付だ、だがそれは飲まないだろうな」
「玉の輿じゃねぇか?」
「ハイネにいるって事は何か傷があるんだ、名前も偽名だろうな」
オレクは何かを思い出したようにうなずいた。
殿下から解放されたテヘペロが息を切らせながら壁際に戻ってきた、彼女に声をかける男がいたがそれを引きつった笑顔で断る。
「お疲れ様ですシャルロッテ様」
そこでゼリーが待っていた、ハイネ城の女使用人の制服を細身の体に纏ったゼリーは上手く溶け込んでいた。
「あー疲れた、続けて踊るんだもの」
「でも素敵でしたよっ」
その浮ついた調子のゼリーをテヘペロはキッと睨む。
「なんとかね、長い間踊った事なかったから」
ゼリーが椅子をもってきてくれたので大人しくそれに座った。
「あらありがと」
落ち着くと会場の中央で殿下の周りに美しい婦人方が群がっているのが見える。
「あーあ、女なら何でもいいんじゃない?」
テヘペロは疲れた様子で足を投げ出しながら愚痴る。
「いいえ、殿下の目の熱量が違います!それにあの女達たぶんプロです、接待要員ですよ良家の令嬢を人身御供にできませんから」
背後からゼリーが答えた。
「プロ?」
ぐるりと首を回してゼリーを見上げる。
「はい花柳界の有名な美女が多いですね、でも殿下の趣味じゃないみたいですけど」
「良くわかるわね」
「昔良家に仕えていました、だから分かります」
「・・・・」
しばらく会話が途切れたが、ボソリとテヘペロが呟いた。
「そういえば、貴女ハイネ生まれだったわね」
「・・・はい」
「家族は?」
「いましたがもうテレーゼから出ていってしまいました、でも魔術師ならなんとか一人で生きて行けます、シャルロッテ様は?」
「私も昔は一人で稼いでいたけど疲れちゃって、その後は仲間と気楽に稼いで旅をしていたのよ」
「それで稼げる人なんてほとんどいませんよ、国や貴族や商家に召し抱えられるんです、上位魔術師ならやっていけるかもしれませんけど、でも上位なら上位で貴族と結婚も夢じゃないですから」
「そうなんだけど、それはいやなのよっ」
テヘペロはゼリーの口調の真似をしていた。
「でもシャルロッテ様すごいですよ、あれだけの魔術道具に精霊力を流し込めるなんて」
テヘペロは資金稼ぎで毎日の様に魔術師ギルドで魔術道具の充填の仕事を受けた事を思い出す、あれだけやれば魔術師ギルドに目を付けられるのは当たり前だった、やりすぎたかと苦笑いをした。
「上位魔術を使えれば上位魔術師ですからピンからキリまでいます、でもあれだけ充填できるなら魔力量は平均の三倍くらいありますよ、それに扱いが難しい魔術道具もあったのですが問題なくこなしてましたね」
「かもねー、でも無属性は魔力を使うからきついわー」
「シャルロッテ様の先生は大変だったと思います」
「・・・・」
テヘペロの表情が消え遠くを見る様な目をした、そして気まずい沈黙が続いた、すると会場の騒ぎが大きく聞こえてくる。
「あのデートリンゲンってペンタビアの魔術の名門の名前ですよね」
気を取り戻したテヘペロは怒りゼリーを睨みつけた、だがすぐに諦めた様に変わった。
「まあばれるか、てへっ」
「ええバレます、でも今の可愛いです」
テヘペロはまた眉をひそめてゼリーを睨んだ。
「関係あるのは間違いないわ、ディートリンゲンの血を引いている家は結構ある、でもこれ以上は秘密よ♪」
「お願いがあるのですが、シャルロッテ様がハイネにいる間だけでいいですから、師匠になっていだだけないでしょうか?」
「ええっ?師匠ですって?」
テヘペロは真剣に考え始めた。
「座学はダメよゼリー」
「えっ!!脈があるんですか?ダメ元で言ってみたんですっ、ぜひお願いしますシャルロッテ様」
「貴女ねえ?」
テヘペロは半分椅子から腰を浮かせてゼリーに詰め寄りかけた、テヘペロは真剣な顔になると一歩前に出てゼリーに顔を寄せる。
「でもなぜなの?ゼリー」
「私も火精霊術師なんです、魔術道具に充填できるなら仕事は多いのですが、私は精霊通信ぐらいしか仕事がなくて、だからギルドの精霊通信の補助や受付の仕事とかしていたんです」
「そっかー火精霊術師は大変、水や風なら下位でも家仕事とか応用が効くんだけどね、焚つけの代りしかできないし」
「ギルドの仕事ぶりを見て憧れていました、師匠」
「あなた師匠はやめなさい!」
テヘペロは怒ったが、まんざらでもなさそうだ。
「そっか中位以上になりたいのね?」
テヘペロは片目をつむり唇の前で人指し指を立てる。
「はいっ」
その時ゼリーは会場の真ん中の方を向いていたが、急に彼女の表情が変わる、テヘペロは異変を察し厳しい戦う者の顔にかわる。
同時にテヘペロは背筋に例えようのない悪寒を感じそれが危機感を更に煽られた。
「お嬢さん達いいかい?」
そこに力強い低い男の声が聞こえてくる、前を向き直るとそこに豪華な礼服に身を固めた壮年の男がいた、野性味のある男で美男とは言えないが不思議な魅力がある、無精髭を伸ばし金縁の遮光眼鏡をかけている。
「コステロ会長・・・」
そうつい言葉が漏れた、ゼリーが一礼すると一歩後ろに下がるのを感じた。
「はじめましてお嬢さん、俺はエルヴィス=コステロだ」
テヘペロは慌てて身を整えると、一夜漬けのテレーゼ風のカテイシーを披露した。
「こちらこそ、シャルロッテ=ディートリンゲンです」
そこで一瞬の空白が生まれた、テヘペロは社交が得意では無くどう会話の切っ掛けを作るか混乱していた。
コステロはにやりと笑うと不思議な愛嬌がある。
「シャルロッテ嬢が俺のところに来ようとしていたと報告があった、それもダメになったが、だからどんなお嬢さんか興味があってね」
これでテヘペロは少し落ち着くことができた。
「ご迷惑をおかけしました、ハイネ評議会から重要な申し出がありまして」
「ああ、それは気にしないでくれ事情はわかっている、だが上位魔術師が手に入らなかったのは残念だぜ」
「もうしわけありません」
「さて罪滅ぼしに一曲踊ってくれ」
コステロはテヘペロを誘うこれを断る理由は無かった、そのまま二人は会場の中央に進む。
そして二人はお踊り始めた。
テヘペロは魂が冷えるような、心臓が圧迫されるような奇妙な感覚に囚われていた、夕刻この男から感じた違和感とは違う遥かに鋭い視線を感じる、だがどこから来るのかつかめない。
コステロはそんなぎこちないテヘペロを上手くリードした、そしてテヘペロの不調を感じとる。
「どうした顔色が良くないな?」
「大丈夫ですわ、少し食べ過ぎたようです」
コステロはまた皮肉な笑いを浮かべたが何も言わなかった。
テヘペロはダンスが始まってから説明の付かない力に圧迫されていた、それに耐えながら表に出さない様に気を張り詰めていた。
そのおかげでコステロが天井を見上げて微笑んだところを見逃してしまった。
ホールのドーム屋根に天窓が設けられていた、テレーゼ様式の天井壁画は白亜に蒼で描かれた幾何学的な文様でとてもよく生映える、その天窓の外で小さなコウモリがオロオロと舞っている。
そしてそんな二人をゼリーは不思議な微笑みで見詰めていた。