メトジェフの怒り
三人は気を失った精霊王の息吹の店主を放置したまま外に出る、今日は魔術街も人通りが少なく人影も途絶え、三人は逃げるようにリズに教えられた少し外れた倉庫街に向かった、そこにもう一つの出口があると聞いていたからだ。
だがリズは普段は店の通路を使っていたらしい、だが物の持ち込みは倉庫側の通路になるそうだ。
すぐにジンバー商会の看板が下げられた倉庫が見つかる、そこは金属製品を取り扱う倉庫に見えた。
だがここはインチキ魔術街と違い馬車の往来が激しい、重そうな木箱を載せた馬車や荷車がひしめき合いながら往来する。
騒音のせいでお互い声も良く聞き取れなかった、群衆の中にハイネ警備隊の制服姿も目立つ、三人は倉庫の壁際に張り付くように身を寄せるしかなかった。
「戦が近いからだ、あれは武器や装備だろう」
ルディの言葉もベルには良く聞こえなかった。
「ルディこれから探るから静かにしていて」
ベルは感覚を引き伸ばすと倉庫の下からにじみ出る生命の力を捉えた、だが詳しいことはわからなかった。
それでも何か地下に空間が在ることは感じとれた、しばらく気を張り詰めていたがやがて頭を横に振る。
「地下室があった、でも通路があるか良くわからない、地面の下は遠くまで見えないんだ」
それを聞いたアマンダ小首をかしげた。
「なぜかしら?」
「アマンダ土の中の水のせいかも、あと土の中に見えない生き物がいて邪魔している、だから普段は意識を切ってるんだ」
「まあ、聖霊教でも見えないぐらい小さな生き物が無数にいると教えていますわ」
アマンダは感心したようにうなずいている。
「ここが一番怪しいが確実に入り口を突き止めておきたいな」
ルディがささやき倉庫を見上げる。
「ここも探知結界があるな、だが特に厳重に見えない簡単な物だ、厳重すぎると何かあると宣伝するようなものか」
「ですわねルディガー様、あるとしたら内部ですわね」
ベルがアマンダをアレが見えたっけ?と言いたげに彼女を見た。
するとルディとアマンダの二人が揃ってベルを見詰めてくる、ベルは思いっきり嫌そうな顔をしたが、諦めたように肩をすくめた。
「わかってるよ、用意してきたよでも着替えないと」
ベルは華麗な使用人のドレスを身に纏っていたからだ、そう言いながら背嚢を降ろして手に取る、そして周囲をすばやく見回す。
「ベルあの倉庫の隙間に行きましょう手伝うわ」
アマンダがベルの耳に息がかかるぐらい唇を近づけてささやく、ベルはアマンダの指の先を見てからうなずいた、たしかに人が入れるほどの狭い隙間があった。
先を読んだアマンダがあらかじめ目を付けていたに違いない。
「まて二人とも、あれを見ろ見覚えがある奴がいる」
ルディの警告で二人は大柄な魔術師の姿に気づいた、
ベルは男の正体がすぐに分かった、前に対峙した事がある大柄な死霊術師の男だ、背の高さだけならルディに負けていない。
アマンダも気付いたらしいがベルの鋭敏な感覚が彼女の困惑を捉えた、ベルは感覚を研ぎ澄ませるとアマンダのような精霊力の強い人間の感情の波まで捉えてしまう事がある。
「やはりここか・・・」
ルディのつぶやきにベルが応じた。
「ルディあいつだ、前に戦ったことがある」
「そうでしたのね」
アマンダはこれで納得したようだ。
その男はジンバー商会の倉庫に向かって進むと、通用口から中に入ってしまった。
するとベルはお尻を軽く叩かれたので飛び上がりかけた、だが慌てて悲鳴を押し殺す。
犯人はアマンダの手だ。
ベルはアマンダを睨んだが彼女はいたって真面目な顔をしていた。
「さあ急ぎましょう」
アマンダにせかされ倉庫の隙間に向かう。
インチキ魔術道具屋の妖精王の息吹の哀れな店主が気を失っていたころ、地下の死霊のダンスの大広間でギルドマスターのメトジェフが怒りながら周囲に当たり散らしていた。
「ワシを何だと思っておるか!!セザール様の高弟だぞ!!」
死霊のダンスのメンバー達にその理由を尋ねる気は無かった、下手をすると自分が八つ当たりの対象になる。
「あのギルドマスター何かあったんですか?」
だが無神経で気の良い若い魔術師が無謀にもギルドマスターにたずねる。
その男は無神経さとしぶとさから何時もサンドバックの様に叩かれるので、メトジェフのある意味お気に入りと言える男だ、そして孤立していたリズとも親しくしていた、ようするに空気が読めない。
他のメンバーも理由を知りたがっていたので聞き耳を立てる。
だが意外にもメトジェフは口を濁して語らない、そして鬱憤が貯まるのか顔が更に赤くなった。
「ああそれはな、ここを首になるのさ」
突然の若々しい声に皆がそちらを向いた、そこにヨーナス=オスカーがいた、『セザール=バシュレ記念魔術研究所』に所属する上位死霊術師で、魔術師とは思えない頑健な肉体の持ち主だ。
上位死霊術師は死霊術師四百人の中から一人程度しか現れないほど貴重だ。
魔道師の塔を含め上位死霊術師は十人に満たない。
「まさかおまえのせいか?貴様ギルドマスターを狙っておったな!!」
メトジェフは口から泡を吐きながらヨーナスを睨みつけるとその瞬間空気が動いた、上位死霊術師同士の戦いを予感したメンバー達は慌てて距離をとる、中には外に逃げ出そうとする者までいた。
「俺はここには興味がないね、いそがしいんだよ?」
そう言いながら中を見渡す。
だがそれを聞いた者達は不愉快な目付きでこの男を見つめた、ヨーナスの言葉からここを小馬鹿にする意識を嗅ぎ取ったからだ、彼らはメトジェフが嫌いだがエリート風を吹かすこの男も好かれてはいない。
死霊のダンスの中でめぼしい者は抜擢され魔道師の塔や研究所に引き抜かれてしまう、ここに長くいる者は下働きの様な仕事を長く続ける事になる、それだけ彼らにも鬱憤が溜まっていた。
彼らの鬱憤がそれを感じ取らせたのかもしれない。
むしろそれを気にせず仕事に励んでいたリズはそれ故に軽蔑されていたのだ。
だから彼らはメトジェフも同じ様にここのギルドマスターの地位に不満を持ってると信じていた、その証拠に普段からメトジェフは不満ばかり並べていたからだ、だが少し落ち着いてくるとメトジェフがギルドマスターの地位に拘っていた事に驚きが広がる、そしてゆっくりと全員メトジェフを見詰めた。
「じいさん、ここの地位に拘りがあったなんて知らなかったぜ」
ヨーナスはせせら笑った、だが彼の目は氷の様に冷たい、他のメンバーに向けたことの無い目をしていた。
「ワシはメダル持ちだぞ、こんな処にいて良いわけがないわい!」
「あんたはそれ以外に何かあるのかよ?メダル持ち以外にアマリア魔術学院卒業生で名を上げた魔術師が何人もいるぜ?」
アマリア魔術学院は主席卒業生にメダルを与える慣習があったのだ、メトジェフが卒業してから数年で魔術学院は廃校になってしまう、彼は最末期の卒業生でこの時すでにアルムトの国立魔術学院が名を上げており、テレーゼの内戦が始まり栄光のアマリア魔術学院は完全に失われてしまう、今はゲーラの郊外に廃墟を残すだけだ。
「うるさい、ワシは小物達に足を引っ張られ不当に評価されてきたのだ」
それを聞いたギルドの中がざわめく。
「たしかホンザとか言うあんたの同期がいたよな?そいつか?」
「やつはセザール様を裏切った劣等生じゃ!!」
「まあそれはどうでもいいさ、ならここのギルマス大人しく辞めればいいだろ?」
ヨーナスは更に煽った。
「そんな地位に誰が拘るか、小物の陰謀に嵌められるのが許せんだけだ」
しばらくヨーナスは沈黙した。
そしてメトジェフを見るヨーナスの目に怒りが灯っている。
「これは魔道師の塔の意志だ、それを小物の策謀の結果だと言うのかい?まあいいさちゃんと伝えておくぜ」
「貴様!お前がコソコソ計ったんだ!」
「だから馬鹿なんだよ、それ自体がセザール様を侮辱するって事だ、何年もアンタに地位をくれたんだ寛容だよあの方も、それに俺も陰謀をめぐらしてまで欲しい地位じゃない」
「わしを侮辱するか!!」
ヨーナスから怒りが引いていく、そして憐れむような疲れた様な顔をする。
「思い出せよ、ここのギルドマスターになるまで色々な仕事をやっていたんだろ?セザール様は機会を与えてくれた違うか?そう言う事だ」
メトジェフの顔が更に赤くそまり怒りに震え始めるが言葉が出ない。
「おっと、こんな事してる場合じゃねえや、リズ=テイラーの情報を集めにきたんだった、前に消えた中位魔術師も今だに行方しれずなんだろ?死霊術に関する情報は絶対に外部に漏らしては行けないんだぜ、んでな死霊術師の数も少ないその意味わかるよな?
もう短期間で三人中位魔術師が消えているこれが大問題になっているぜ」
するとギルド事務員が慌てて何かを探し始めると羊皮紙をヨーナスに手渡した。
それを読み始めたヨーナスがつぶやいた。
「あいつらがあの女の前の住処を新市街でも嗅ぎ回っていたのか、あと真紅の・・・」
ヨーナスの言葉の最後は消え聞き取れなかった。
「真紅?真紅の淑女様の事か?・・・リズと何の関係があるんだ?」
ヨーナスは失言に気がついたのか、陽気な若々しい端正な顔を引きつらせた。
「あんたには関係ない、大した進展は無かったなじゃあ俺は帰るぞ」
「まてヨーナス、わしはどうなる?」
帰りかけたヨーナスをメトジェフが呼び止めた、ヨーナスは気だるげに振り返りもしない。
「俺は人事と関係ないぜ、そっちから連絡がいくさ」
呆れた様に軽く両手を上げて腕を開くとそのまま外に出て行ってしまった。
ギルドの地上の倉庫の屋根裏で、蜘蛛の巣と埃まみれのベルが両足で梁を挟んでぶら下がり聞き耳を立てていた。
その姿はまるで巨大なクモの様だ。
僅かな柱の振動から地下の会話を盗み聞いていたのだ、だがベルの瞳には失望の色があった、期待していた様な重要な話しが無かったからだ。
「引き上げる」
ゆっくりと軽技師の様に体を持ち上げた、音もなく危なげも無く柱の上を進む、張り巡らせた探知結界も彼女の行く手を阻む事はできない、しなやかで柔らかな猫の様に総てを擦りぬけて行く。




