森の中の白亜の邸宅
「ルディ、ハイネの警備がまた厳しくなった」
城壁を見上げながらベルがつぶやく、黒味がかかった城壁の石壁がテレーゼの深い蒼い空に映えた。
「哨戒が密だ、戦が近いのもあるがセクサドルの王族が今夜入るらしいな」
すると二人の背後から力強い美しい女性の美声が聞こえてくる。
「連合軍の総司令部をここに置くそうですわね、ルディガー様」
三人はハイネ市の南の新市街の雑然とした町中にいた、ここからではハイネの旧市街と新市街を別つ大城壁を見上げなくてはばらなかった。
早朝からルディとベルの二人はハイネの様子を見にきていたのだ、これは二人の毎日の日課となっていた、そして街に用事があるコッキーやアゼルが加わる事がある。
そして今日はアマンダが一緒だった、彼女はハイネの様子を知りたがっていた、単なる好奇心ではない彼女の背後にアラセナを占拠したクラスタ家やエステーべ家がいるのだ。
「ルディ、戦場は北の街のその北らしいけど、ここから少し遠くない?」
「たしかに足で一日以上かかるが騎兵伝令なら一日かからん、実戦司令部はもっと前に置かれるはずだ」
「ふーん、じゃあこのまま西に行く?」
「ああ、無理に中に入る必要も無いか迂回するか、店の多くが閉まっているので市内は悪目立ちしすぎる」
三人はそのまま西に向かって入り組んだ狭い路地を進む。
「ルディガー様、先ほどの話ですがリズさんはその西の新市街の死霊術師のギルドにいたのですね」
「ベルが一番よく知っている、俺は入った事はない」
それをベルが補足した。
「インチキ占い屋の奥に入口があるんだ、でも僕もそこまでしか入った事が無い、他に近くの倉庫に繋がる通路があるらしいけど僕は知らない」
「リズの話では死霊術師の教育機関を兼ねている様だな、能力が達しない者を魔道師の塔に入れない為だと推理していたが」
ルディが更にベルを補足する。
「ではルディガー様、地下の様子は詳しくご存知では無いのですね」
「そうだ、地下に大きな部屋と小さな部屋が四つ、資材室とギルドマスターの部屋があるらしい」
「それくらいでしたら迷う心配はありませんね」
ルディはうなずいてアマンダの意見を肯定する。
「次の手は愛娘殿の資料の分析が進んでからだ、まずはこちらから偵察しよう、攻撃する時にはアゼルやホンザ殿の力もかりる、そして確実に勝負をつけてやる」
三人はそのまま西に向かったが、すぐにハイネの新市街を南北に貫く大街道に出てしまった。
街道の反対側は真新しい赤レンガの高い壁で塞がれていた、その向こう側に新しい赤い建物が幾つも立ち並んでいるのが見える。
「ルディ、そういえばここの傭兵部隊に挨拶に行った事あったね」
「そうだなこの街にきたばかりの頃だ」
エルニアからエドナ越えで脱出した時、アラティアとゲーラを結ぶ街道で野党に襲われたコステロと出会った、その時アゼルが負傷者の治療に協力した事があった。
感慨深げなルディの声にアマンダが反応する。
「ルディガー様ここは?」
アマンダの問いかけにルディが応えた。
「ここにコステロ商会の施設が集まっている、ベルが言った傭兵隊の駐屯地もここにある」
「まあ、ずいぶんと大きいですね」
「世界有数の商会だからな、表向きの商売の方が大きい」
「これも迂回する?」
ベルが何か言いたそうに見つめてきた、その目のキラメキにルディは嫌な予感がする。
「こうして見ると城壁と接しているな・・・」
赤い煉瓦の壁はそのままハイネ城市の大城壁とつながっている。
「だから真っ直ぐつっきろうか?中の様子を見ておきたい」
「たしかにな」
それにアマンダが慌てる。
「危険です、魔術的な防護か侵入者を探知する仕掛けがあるはずですわ」
「僕たちは結界を見ようと思えば見える」
ベルの言葉を聞いたアマンダは愕然となり声も出ない。
「光の網のように見えるんだ、くぐり抜けられそうな大きな隙間もあるよ」
「俺にも見える、アゼルが言うには防護結界は力を使いすぎるそうだ、探知を優先し重要な場所だけ防護結界を張るのがセオリーらしい、探知と言っても何かに遮断されると反応する単純な仕掛けだ、だから大きくできるし維持しやすいそうだ、だが鳥や猫にも反応するので最後は人に頼る事になるそうだ」
「まあ、でも私には見えません・・・」
アマンダは壁を見つめてから頭を横にふる。
「アマンダ大丈夫だよ、上の方は無いから、壁の上から5メートルぐらいで網が無くなる」
「あら、それなら飛び越えられますわね」
アマンダは安心した様に穏やかに笑う、彼女が非常識な事を平然と言い放ったが誰も気にしない。
「まてよ壁をいちいち登るより飛び越えた方が良いかもしれん、大街道は今のところ人の行き来が少ないが無いわけではない」
そしてルディは自分達がまだ人間的な常識に囚われている事に気づいて苦笑した、それをベルが不思議そうに見上げている。
「ここは城門に近いから少し南でやろう?」
そうベルが忠告したので、見ると城門近くの警備兵の姿が以前よりも多い。
「そうだな」
ベルの提案に従い三人は場所を変えると次々と壁を結界ごと飛び越えた。
壁を越えた三人は素早く茂みに隠れる、壁に沿って手入れの行き届いた木立が整備されていた、内部は最新の建築材を多用した赤い建物が林立し、その多くは倉庫に見える。
南側に低い柵壁が見えるその向こうにあの傭兵団の駐屯地が見えた。
ここは新市街の中の別天地だ。
広大な敷地の中を二人組の警備員が複数巡回していた、彼らは何か緊迫した空気を纏っている。
だがルディは自分達を警戒しているわけではないと考えた。
ルディは気になる建物を探した、目立つのは三階建の建物で小さなドーム屋根の建物が付属していた。
まるで大学の様な教育機関か研究所に思える、だがここに大学があるとは思えない、魔術関係の研究機関と当たりをつける。
そして商館のような建物があった、ハイネ中央広場のコステロ商会本館より無骨で地味な作りだ。
そして奥に見える森を指さす。
「奥に行こう、あそこに森があるあそこを西に抜けよう」
三人は茂みを縫いながら風のように走り抜けた、先頭を進むベルの探知能力が警備員と人の目を避ける、やがてこじんまりとした人工の森に飛び込んだ、そこで僅かに気を緩めそのまま西に駆け抜けた。
するとベルが左手を見てから足を緩める、つられて止まると二階立ての美しい白い館がある。
ルディはこれはゲストを歓待するための設備だと直感した、そしてベルを促すと彼女は少し小首をかしげてからふたたび走り出した。
そしてすぐに西側の石壁に到達してしまった、ベルが俊敏に壁をよじ登り向こう側の偵察を行う。そして壁の上から二人に言葉をかける。
「僕が向こうから合図するから飛び越えて、こっちも壁の上から五メートルぐらいしか無い」
ルディとアマンダがうなずくとベルは簡単に向こう側に抜けてしまう、やがてベルの合図とともに二人は一人ずつ壁を探知結界ごと飛び越えた。
そして三人はそのままハイネの新市街の西の死霊術師ギルド『死霊のダンス』を目指す。
ポーラは帰って来たドロシーお嬢様を整える為に化粧室に向かった、扉をノックをしたが返事がない、恐ろしいお嬢様だが幸いな事に細かな事を気にしない、そこでおそるおそる扉を開く。
だが部屋の中にはいなかった、部屋の中に高級な大鏡と、机と化粧箱を一体化した豪華な一品が鎮座している、壁際の豪華なクローゼットもポーラが最後に整えたままだ。
これらすべてコステロ会長がお嬢様に買い与えた品だが、お嬢様はこれらに執着していなかった、それはドレスも宝石も同じだ。
するとポーラの前に忽然と一糸も纏わぬお嬢様が音もなく現れたのだ、ポーラは思わず悲鳴を上げてしまった、今だにこれに慣れる事ができない。
「気になったので外を見てきた」
「外ですかお嬢様?」
「違う、魔術陣地の外」
「あの何かございましたか?」
「大した事ない、ポーラは心配しなくていい」
ポーラは納得した様に見えなかったが逆らわない、そしてうやうやしくお嬢様に着付けを始めた。
「生まれてから貴女が初めてなの、私の世話ができる人なんて」
ドロシーのつぶやきを聞いたポーラの指が小さく震える、それはしだいに腕に広がり彼女の息が乱れ始める、お嬢様はうろたえた彼女の貌はポーラよりも怯えていた、彼女は慌ててポーラの瞳をのぞき込んだ、するとその瞬間ポーラの体から震えがとまった。
ポーラは急に元気を取り戻した。
「お嬢様!そんな顔をされたら美しいお顔が台無しでございますよ」
「うん、しっかりしないと」
お嬢様はほっとした様に穏やかに微笑んだ。
「今日はどうなさいます、外はお天気だそうですが、ここは代わり映えしませんので気分を変えましょう」
「貴女にまかせる、自信が無くて」
お嬢様はどこか困った様子だ。
「おまかせください!」
元気いっぱいな元高級使用人はその実力を遺憾なく発揮しはじめた、生ける芸術品の様な主人を磨き上げる。