古い酒とエルニアの乱れ
アラティア王国の現国王ルドヴィーク三世は赤竜の間で最後の執務を執り行っていたが、一息いれて壁の告時機をみて眉をひそめた。
平時でも多忙な上にグディムカル帝国との戦が近く執務量が激増していた、親政をやめ甥のチェストミールを宰相にすえて業務を分散したがそれでも深夜まで仕事に追われる毎日が続く。
肩を無意識に揉みほぐす、妹のテオドーラに面影が似ている端正な顔に疲労の影が浮かんでいた。
「陛下、ダールグリュン公爵閣下がお見えです」
そこに執事長が国王に近寄ると話しかける。
「なんだとヴェルナーが?こんな時間だぞ」
ダールグリュン公爵家の現当主ヴェルナーは公務に就いていない、ただ気さくな人柄でルドヴィークの話し相手で飲み友達でもあった。
事前に触れもなく国王に面会できるのは大貴族の中でも極めて限られていた、ダールグリュン公爵ヴェルナーはその中の一人だ。
「まあ良い通せ、今日の仕事は終わりだ」
ルドヴィークは少々乱暴にペンをペン立てに放り込む。
「かしこまりました、ここにお通しいたします・・お酒の準備をいたしますか?」
「アイツの事だ、手ぶらではあるまい」
ルドヴィークは笑った。
「かしこまりました」
執事長は配下に命じ手配を始める。
やがてダールグリュン公爵が執事長に導かれやってきた、王家の予備とも言える大貴族ともなると格の高い執事がそれを行う。
すぐに高級な略装で身を包んだ男性が姿をあらわす、彼は背は並で小太りで若干頭が薄くなっていたが鷹揚な人柄と気品を感じさせた。
「ヴェルナー久しぶりだな」
ルドヴィークは気軽な口調で話しかけた。
「陛下も忙しいと思い遠慮していたのだ」
ルドヴィークは玉座から立ち上がると隣室の小さな応接間に行くように公爵を促した、執事が扉を開くと中は落ち着いた配色の部屋で壁はベージュの色を基調としていた。
二人が対面し豪華な革張りのソファに腰を降ろす、そこに執事達が酒盃と古風な玻璃のボトルを運んでくる。
ルドヴィークが口を開く前にヴェルナーが飲み友達の疑問に答えた。
「西エスタニアからわざわざ取り寄せたんだ」
「玻璃のボトルの方が高かろう?」
客人の土産を客人の前で論評などしないものだがこれは二人の関係を顕していた。
これにヴェルナーは朗らかに笑う。
「300年前の伝説の銘柄が発見されたんだ西では有名な話だ、この年は天候異常でワインも不作だったが特定の土地で奇跡のワインが生まれたんだ」
「古ければ美味いとは限らんぞ?」
ルドヴィークはワインの銘柄にあまり関心が無いらしい。
「ビネガーになっていないだろうなヴェルナー?」
「それは木の樽に保存していて、チーズと一緒に保存するなど条件が整わないと酢にはならんらしいぞ、これは高山の崩れた城の地下倉庫に玻璃のボトルに入れられたまま眠っていた」
執事が手際よく同じく玻璃の酒盃に古いワインを注いで行く。
二人は香りをかぎ舌で味合う。
「うむ、不味くはない」
「ああ、不味くはないな、これを手にいれるのにどれだけ支払ったのだ?」
「4500アルビンだ」
「なんだと?」
ルドヴィークは酒盃とボトルを呆れた様に眺めた、帝国金貨450枚相当の価値になるだろう
「まあ酒ではなく格を飲んでいるのだ、我らは」
ルドヴィークは赤く染まった波瑠の酒盃を見つめる。
「なあ、娘、いやカミラ殿下の婚約の事だが、エルニア公子にクライルズ王国から縁談があったよな」
ルドヴィークは驚かされた、ヴェルナーは酒の場でめったに公の話をしない男だ、ヴェルナーがいつにもなく何かを言いたそうな顔をしている、ルドヴィークは何かを察した。
「下がれ」
国王が執事達に命ずると彼らは一礼をすると潮の様に引いていった。
「何かあったか?」
ルドヴィークはいくぶん前のめりに詰問する。
「たいした事ではない今のところはな、娘とルーベルトの間で文通してるのは知ってるだろ?その内容が急にまるで日々の報告の様に変わったそうだ、今までは娘も楽しみにしていた」
「妹から手紙のやり取りを頻繁にさせたと前に一報があったばかりだ・・・ルーベルトが多忙なだけかもしれないが時世が時世よ」
「テオドーラ様が何か良くない兆候を察したのか?」
「急ぎ妹に問い合わせるか、何か知っているやもしれん、クライルズ王国からの縁談の件も気がかりだ」
「それは宰相のギスランの肝いりだそうだが、奴は反アラティアだったか?」
「奴は二代続いてアラティアから大公妃を迎えるのを嫌っているだけだ、我が国との和平条約を進めたのはあの男だ」
「ならば奴が動いている可能性もあるが・・・殿下の直筆か確認する必要があるかな?」
「そうだな手配しよう、ルーベルトの筆跡も確保してあるはずだ、専門家が鑑定すればわかるぞ、だがカミラの手紙からそれを拝借する事になる」
「娘には悪いが、火事は小さなうちに消すべきだ、煙だけならそれはそれで良いと思わねばな」
ルドヴィークは酒盃を飲み干した。
「うむ、不味くない」
そして自分で手酌する
「なあヴェルナー、エルニアに未知の船が流れ着いた件は聞いているな?」
「今回は本物らしいな陛下」
「今までは未知の文様や言語が刻まれた木材の断片程度だったが、それは原型をとどめた巨大な船だ、それがまた海に流されたそれは知るまい?」
「なんだと!?」
だがヴェルナーはほっとしている様に見えた、余計な争いの元と考えているのが丸わかりだ。
「そして噂だが生存者がいた、その噂は聞いているか?」
「噂だけなら・・・」
「だが事実だぞテオドーラが証人だ、たいそう美しい女らしい、これは今のところ極秘事項だ」
「俺に話していいのかな?」
「カミラの父親ならいずれ知らなければなるまい?」
「あとなこれも極秘事項だがエルニア大公がその女を囲っている」
ヴェルナーは馬鹿笑いを始めた。
「それは大胆と言うか愚かだなあ、見境が無い奴だ娘をやりたくなくなってきたわ」
「それもあるがテオドーラはその女をいたく嫌っていてな、嫉妬と言うより不気味と感じているようだ」
「手紙に書いて来られたのか?」
「そうだ」
ヴェルナーはテオドーラがわざわざ個人的な感想を書いて来た事に驚いている様子だ。
「やはりエルニアへの監視を強めさせる、お前の話が最後のひと押しになった、グディムカル帝国との戦いが迫っている、そっちに力を削ぎたくはないがやむ無しだ」
その後は二人は束の間の酒宴を楽しんだ、やがて告時機が真夜中の刻を告げた。