闇妖精姫と異国の麗人
白亜のゲストハウスの趣味の良い客間は分厚いカーテンがしっかりと締め切られ外の風景は見えなかった、部屋の中はオレンジ色の魔術道具の明かりで薄暗く照らしだされていた。
豪華なソファに美しい三人の子どもたちが仲良く並ぶ、みな小綺麗な衣服に身を包んでいたがなぜか落ち着きがなかった、皆な扉の向こうを気にしている。
彼らの前の豪華なテーブルを挟んでアンソニー先生が居心地悪そうに座り、隣になぜか使用人のポーラが清楚なドレスを着込んで座っていた。
ポーラは落ちついて貴婦人の手本のような佇まいだ。
音もなく扉が開いたので全員の視線が扉に向く。
「お茶の用意ができました」
その扉の向こうに豪華な真鍮製の四輪トローリーを押すドロシーがいた、彼女はトローリーを押しながら部屋に入ってくる。
「ドロシー君そのかっこうはどうしたんだい?」
先生は少し驚いて目をみはる、ドロシーはポーラと同じコステロ商会の女使用人の制服を着込んでいたからだ。
「先生は知らなかったわね、最近侍女の真似をするのがドロシーの流行りなの」
エルマが大人びた口調で先生に説明した。
「僕たちは実験動物なんだ」
ヨハン少年がエルマの隣でつぶやくとドロシーはヨハンを睨んだのでヨハンは震え上がった。
「ドロシー君のお茶楽しみだよ」
先生はそう微笑むとフォローした。
ドロシーは幾分おぼつかない手付きで茶器を全員の前に配した、それに西エスタニア風の豪華な陶磁器のポットからお茶を注いで行く。
そしてお茶請けのお皿を各人の前に配して行く、その皿もおそろいの豪華な陶磁器製だ。
そして順番が違うと突っ込みを入れる者はいない。
それを終えるとワゴンの上の茶器に自分で茶を注ぐ、そしてお茶とお茶請けの皿を持ってそのままポーラの隣に座ってしまった。
使用人の仕事はこれで終わりらしい。
エルマが呆れた様に白い目を向ける、隣のポーラは動ぜずそのまま穏やかな笑みを浮かべたままだ。
咳払いをした先生がエルニア旅行の話を始めた、子供達はテレーゼから出た事が無かったからか、食い入るように聞き入っていた。
そしてエルニアの海の話になるとみんな身を乗り出した。
「ねえドロシー海を見たことあるの?」
エルマがドロシーを見た、それにドロシーは軽く目を見開いた。
「ええあるわ、ずっと西の砂漠の近くの海よ」
ドロシーが遠くを見るような顔をする、エルマが何かを続けて言おうとすると。
「ポーラは海を見たことあるの?」
ドロシーが隣のポーラに話しかけた。
隣のポーラはピクリと動くと初めて気づいた様にドロシーを見返す。
「あ、あの、一度だけ海を見た事がございます、父の生家がベラールの町にございました」
「エルニアの北のベラール湾の街だねポーラ君」
「はい、そうでございます」
先生の言葉にポーラは答えた。
ベラール湾はエルニアと北のアラティアの間に横たわる大きな湾の名前だ、だが何か苦しそうなポーラの表情に先生は眉を顰めた。
「だいじょうぶかい君?ここにいる人間は君だけだからね、無理はしてはいけないよ」
ポーラはそこで小さなうめき声を上げる。
「ひっ、申しわけありません、お気使いありがとうございますアンソニー様」
「ポーラ大丈夫?」
隣のドロシーが心配げにポーラの顔を覗き込んだ、するとなぜかポーラは急に生気が満たされた様に立ち直る。
「さあ皆様!お嬢様が淹れたお茶が冷えてしまいますよ、先生のお土産をいただきましょう!」
その空気を破るようなポーラの声に子供達も手つかずの土産に気づく、さっそくお菓子に手を差し伸ばす。
「すっきりした甘さだわ何かしら?」
真っ先にマフダがそれに気づいた。
「これはエドナ山地の木の樹脂から採れる甘味を使っているらしいよマフダ君、高級なお菓子らしいね」
先生が微笑みながら教えてやる。
「エドナは遠くから見た事があるの、昔お父さんとリネインに行った時に見たのよ」
「マフダが羨ましいわ、私はこの街から出た事無いのよ」
エルマはずいぶんと羨ましそうだ。
「姉ちゃんエドナの向こう側がエルニアなんだよね?あっ、お姉様だ!」
ドロシーはヨハンを軽く睨む。
「エドナ山なんてひとっ飛びよ、今夜エルニアに行くわ」
「えっ、もう船は流れちゃったんでしょ?ドロシー」
エルマは不思議そうな顔をした。
「いろいろ調べる事ができたわ、でもみんな留守番よ?」
子供達は一緒に行きたそうな顔をしていたのでドロシーが釘を指したのだ。
「朝になる前に戻りますみんな大人しくしていなさい、先生は今夜はエルヴィスのところかしら?」
「僕は報告があるんだ、いろいろ積もる話があるからね」
先生は壁の棚に置いてある大きな木の板に視線を移す、それに誰かが描いた漂着船の素描が収められている。
「さあお茶会を楽しみましょう」
女使用人の姿をしたドロシーがそれを言うと違和感しか無い、だが誰もそれを指摘する者はいなかった。
そしてポーラはどこか遥か遠くを見ていた。
人が誰もが寝静まった深夜、だが白亜の邸宅の住人にはそれは関係がなかった、ドロシーの魔術陣地の外の邸宅は森の静けさに閉ざされている、戦争が近いハイネの空は暗く、空の星は強く輝き星の海が広がっていた。
その白亜の邸宅のテラスにドロシーが立っている。
彼女はまだ女使用人の制服を着たままだ、子供達とポーラと先生が見送りに出てきていた。
突然ドロシーの体が崩壊し青い煙に変わると、彼女の服が総てテラスの床に崩れ落ちた、青い煙は意思があるかのように渦を巻いて天に登って行く。
やがて空中で静止すると渦を巻き巨大な瘴気が集まり始めた、それは黒く密度を高めやがて漆黒の革の様な艶やかな球体へと変わる。
やがて球体の表面に亀裂が走るとそれが果物の皮の様に剥けながら開き始めた、それはやがて巨大なコウモリの羽に変わる。
その中心に膝を両手で抱えながら目を閉じたドロシーがいた、やがて目を開くと体をまっすぐに伸ばしす。
青白い冷たい硬質の完璧な肢体が空に咲き、そして黒き翼を左右に広げた。
翼はまったく羽ばたくことは無かったが彼女は宙に静かに浮いている、やがて加速しながら空高く昇りてケシ粒の様に小さくなる、そして凄まじい加速で東の空にあっと言う間に消えてしまった。
「たしかにエドナ山なんてひとっ飛びだね」
アンソニー先生の声が静寂を破った。
エドナ山塊の東にエルニアの大地が広がる、だが山を越えたそこはバーレム大森林だ、その遥か東に田園地帯が広がり更に東の地に公都アウデンリートの都がある。
その街の西の丘の上に大城郭が築かれていた、それがエルニア大公家の居城アウデンリート城だ。
二百年に渡って改築され続けた城は時代が違う郭を城壁で連結し複雑な造りになっている、口の悪い者はエスタニアで一番醜い城と言う者もいた。
エルニア大公に割当てられた一角は、周囲を城郭に囲まれた中心に有りそれ自体が小さな城だ。
その大公の寝室は厳重に人払いがされていた、寝台の上にエルニア大公が疲れて眠っている、酒淫と荒廃した生活に疲れた大公は年齢より遥かに老けて見える、その横に白い上等な絹のシーツで身を包んだ女性が休んでいた。
垣間見れる彼女の顔は非常に美しい、彼女こそ世界を騒がせている異国の麗人その人だった。
彼女は突然目を開くと身を起こす、隣で寝ている大公に一瞬だけ視線を走らせた、彼女の目にあるのは無それだけだ愛情も嫌悪も憎しみも何も無かった。
彼女はシーツをはだけてベッドから降りて立ち上がる、彼女はその見事な肢体に何も身に着けてはいない、浅黒い肌に腰まで伸びた白銀の長髪は芸術品の様に美しい、とても細身でしなやかで女性的な豊満さがかけていたがそれだけに神秘的にまでに美しい。
そのまま窓に近づくと窓の外を見る、外郭の向こう側にアウデンリートの夜景が見えた。
彼女は首を傾げると窓のひさしに小さなコウモリがぶら下がっている事に気づいた、小さなコウモリの両目が小さなルビーをはめ込んだ様に赤く輝く。
初めて彼女は驚いたそして初めて感情を顕にする、その口から異国の言葉が発せられた。
『貴女の言葉は妖精族の言葉に似ているわ、ずいぶんなまってしまっているけど』
その声は異国の麗人の心に直接響いた。
たがて上から青白い優美な足の先が現れた、それはゆっくりと下がって来る、やがて青白いアラバスター人形の様な闇妖精姫の全身の姿が現れた、彼女は巨大なコウモリの羽を左右に広げていた。
緊迫した異国の麗人の口から続けざまに異国の言葉が発せられた。
『貴女は私の事知っているのかしら?あなたから妖精族の血を感じる、もしかしたら闇妖精かしら?でも薄くなっているようね、きっと未知の大陸に人がいたのね』
ドロシーの瞳は好奇心に燃えた、瞳に暗い欲望の炎が灯りドロシーは自分の変化を自覚する、そして小首を傾けた。
「これはアイツの魂が反応しているのかしら?」
それはドロシーの口から思わずこぼれた。
「でも期待はずれだわ・・・・五万年も経っているのね」
ドロシーの瞳が灼熱した、真っ赤に染まり光り輝いた。
『今の事はすべて忘れなさい!!』
その命令は異邦の麗人の魂を侵食した、その負荷に耐えられずに彼女は床に崩れ落ちた。
それを見送ったドロシーはゆっくりと空に昇って行く。
それからどの位時間が経った事だろう、床に倒れ伏した異邦の麗人がゆっくりと身を起こした、床を向いた彼女の顔は見えない、だがそれを見る事ができる者がいたらどうだろうか。
彼女は薄く笑っていた。
その笑みから彼女の内心を窺う事はできない。