難破船の素描
ハイネ城市の南の新市街にコステロ商会が占める広大な一角がある、赤い煉瓦壁に囲まれたその中にコステロ商会の倉庫群とその武力であるサンティ傭兵団の駐屯地、そしてコステロ商会直属の魔術研究所の三階建ての建物が立ち並んでいた。
広大な敷地の北西の一角に美しい森がある、そこに瀟洒で小さな白亜のゲストハウスがひっそりと佇んでいる、だが森に隠されているのでその建物を知る者は意外と少ない。
その館は今や闇妖精達の隠れ家になっていた、彼らはドロシーが創り出した魔術陣地の中にいた、現実界からずれた世界に彼らは隠れ潜んでいたのだ。
ルディ達が潜む廃村から僅か数キロしか離れていない場所に闇妖精達は優雅に暮らしていた。
白亜の館の二階のリビングで館の主人の闇妖精姫ドロシーが優雅にお茶を楽しんでいた、背後にお気に入りの使用人ポーラが控えている、最近すっかり明るく快活になった彼女は微笑みながらまっすぐ前を見つめている。
「ドロシー、先生が来たわよ」
そこに騒がしい足音と共にエルマが部屋に飛び込んできた、白いドレスを纏った彼女はまるでおとぎ話の妖精の様に可愛らしい、お行儀の悪さを咎める事も無くドロシーは満足そうにエルマを見ている。
「先生?アンソニー先生?」
「そうよアンソニー先生だわ!」
「ちゃんと名前を覚える様に」
エルマが何かを言いたげだがそれは叶わなかった、すぐ後ろから草臥れていたが清潔な服装の学者か教師の様なかっこうの壮年の男がリビングに入ってきたからだ。
「勝手に入らせてもらったよドロシー君」
その男はドロシーに挨拶した、彼は痩せて貧相だが、彼が纏った空気は異様で一目で只者とは思えない、並の人ならば耐えられない程の威圧感に満ちていた、その力に満ちた両眼は彼の第一印象をすぐに塗り替える。
アンソニー博士は大きな包を脇に抱えている、ドロシーの大きな眼がその包に吸い寄せられた。
「私たちは大切なお話があるから、部屋に戻っていなさいエルマ」
ドロシーの言葉にエルマは不満げに唇を尖らせた。
「君たちにもお土産を買ってきたよ、あとであげるから楽しみにね」
先生は微笑みながらエルマをなだめる。
「わかったわ、楽しみだわ」
そう言い残すとエルマは部屋から去って行った。
それを見送ったドロシーは自分の対面の椅子を先生に勧めた。
「先生お早くお戻りでしたわね」
「そうなんだ、もっと時間をかけて調べたかったんだが、漂着船が嵐の夜に流されてしまってね」
「まあ」
先生は大きな包をドロシーの前に置いた、ドロシーはこれは何だと言いたげに先生を見る。
先生がさっそく包を解くと中から分厚い油紙に包まれた平たい板のような物が出て来る。
油紙を解くとその中から分厚い板が出てきた、ドロシーはそれに訝しげな目を向ける、先生は板の側面の金属の留め金を外すと本の様に開いた、その中から白いキャンバスが現れる。
「先生これは!?」
「君の闇妖精姫の知識の助けを借りたいんだ」
「見事な難破船のスケッチですわ、これを先生が?」
アンソニーは苦笑いをしてから否定する。
「残念ながら僕には絵心が無いんだ」
「では?」
「エルニアの海岸で拾ったんだ、いわれはわからない、もしかしたらどこかの密偵が描いたのかもしれないね」
しばらく絵を調べていたドロシーが顔を上げると先生を見つめる。
「アンソニー先生、これは古代王国の様式を継承しています、ですがかなり簡略化が進んでいますわ、飾りとしては良いのですがこれでは本来の意味が失われてしまいます」
漂流船の一部を指しながらドロシーが指摘した。
「やはり君には解読できるんだね?」
どこか期待するような揶揄するようなアンソニーにドロシーは顔をしかめた。
「闇妖精姫の記憶に触れると狂気に侵される、だから最小限にしていますの」
「たいへんだねドロシー君、いやシーリ君もだね」
「先生、もう区別に意味は有りません、もう一人ですもの」
「そうだったね、失礼したね」
ふたたび絵を食い入るように調べ始めたドロシーは先生を見もせず話し始めた。
「東方絶海の彼方に世界間戦争から逃れた妖精族の国があるのですね、もしかしたら闇妖精族かもしれません」
「君もそう思うかい?」
ドロシーは無言でうなずいた。
「すくなくとも妖精族の遺産を継承した文明があるのは間違い有りませんわ、この絵を見れば解りますが七本マストの巨船だわ、今のエスタニアにこれだけの大きさの船を建造する力はありません、彼らは東方絶海を越える航海技術を持っているはずです」
「妖精族の文明はどんな世界だったんだろうね、君はそれに触れるのを嫌がっていたからそれを聞き出そうとしなかったけどね」
どこか夢見るようにドロシーの顔が変わる。
「空を飛ぶ魔術道具や海の中を進む魔術道具がナーサティア世界を動き廻っていましたわ、中には世界境界を越える試みを行おうとした者がいましたが禁忌とされました」
「夢のような世界だね」
「ですが・・・」
するとドロシーは目を見開き震え始めた。
「ドロシー君!?」
アンソニーの声は深刻な焦りを感じさせた、超常の力を持っている彼すら危機を感じたのだ。
だが暫くするとドロシーは落ち着きを取り戻した、そして大きく息を吐いた。
「大丈夫かい?ドロシー君」
「つい油断いたしました、この絵をみて興奮したせいだわ」
「僕のせいだよ、ごめんね」
「いいえ、素晴らしい絵ですわ先生、古代文明の痕跡は古い遺跡や遺物の中にしかありませんでした、それがこの様な生きた形で現れたのですもの」
「あっ!生きた形で思い出したよ、噂話だけどね漂流船に生存者がいたらしいんだ」
「なんですって!!」
彼女らしくもなく叫んで立ち上がると小さなテーブルに体がぶつかり激しく揺れる、先生のキャンバスも激しく揺れたので先生は慌てて抑えた。
「妖精族かしら?」
「僕は本屋に行ってすぐに現地に向かったんだ、酒場で噂話でも集めていればもっと早く気づいたかもしれなかったけど、僕はそう言う事が苦手なんだお恥ずかしい」
「先生はお調べになっていないんですね?」
「うん、テレーゼのラーゼに帰って来た時にそんな噂話を商人から聞くことがあったんだ、でも噂話だよ」
「ひまだし見てこようかしら?」
「とめるべきなんだろうけど、君に何かできる存在なんてまずいないよね」
「エルニアのアウデンリートかしら?」
「それはわからないよ、宿の酒場で聞いた噂話だからね証拠は何も無いんだ」
先生は肩をすくめた、だがドロシーは何かを考えるように黙考しはじめる、やがてついに意を決した。
「噂を確かめる必要があるわね」
先生は微笑みながらうなずいた。
「そうね、とりあえず子供達とお茶を楽しみましょう」
「そうしようかドロシー君」
ドロシーは立像の様に壁際に立っていたポーラに向き直る。
「はい畏まりました」
ポーラは命が吹き込まれた人形の様に動き出す、そのままキッチンに向かって元気いっぱいに歩き去って行った。
「あの娘だいじょうぶかな?」
ポーラの後ろ姿を追っていた先生はそうつぶやく。
「だいじょうぶですよ、前は何か悩みを抱えていたけど、今は吹っ切れてとっても元気で明るくなったわ」
「まあ君が言うならだいじょうぶだね」
リビングに子供達の歓声と足音が近づいて来た。