ベドナーシュ博士とバルタザール
古めかしい石造りの部屋に窓は無く、魔術道具の暗い青白い光だけが部屋の中を照らし出している。
この部屋はハイネ城の地下深くにあった、王国時代に地下牢に利用されていたが今は魔導師の塔が利用している。
ハイネ城にこのような陰惨な場所がある事は人々に忘れられていた、ここが牢獄として使われていたの遥か昔の事だ、新しい牢獄はハイネ市街の外に設けられている。
この上に豪壮なハイネ城がどっしりと構えていた、先ほどテヘペロが貴賓室を充てがわれたその地下深くに地獄があったのだ。
その部屋の中に弱々しい人のうめき声が響く、部屋はそう広くはない、安宿の大部屋ほどの広さだ、うめき声はその部屋の中央の石の台の上から聞こえてくる。
「さて、他にどのような品を流したのかね?助司祭殿」
台を取り囲む黒いローブ姿の一人が石の台の上に寝かされた小太りの男を覗き込みながらささやく、助司祭は革の拘束具で拘束され物の様に無造作に扱われていた。
「たいした価値のないガラクタだと思ったんだ、詳しいことなんて覚えていないんだ、もうやめてくれ」
助司祭と呼ばれた男は辛うじて哀願する、口から泡をふき白目をむきかけで息も荒く乱れていた。
ローブ姿の男は立ち上がると同僚達をみわたしてから頭を横に振った。
「無知ゆえに何をしたか理解できておらぬか」
「あれは、なんなのだ?」
助司祭の切れ切れの質問にローブの男は言いよどむ、だが侮蔑したように答えを返す。
「極めて貴重な古代の触媒だ、偉大な魔術師だけが理解し活用できる、お前ごときが知る必要など無い」
突然ローブの男が周囲を見回す、すると部屋全体が陽炎の様に揺らめき闇が口を開けた、その直後に禍々しくも絢爛豪華な渦が生まれた。
漆黒の布地に金糸で編まれた古代文字を象ったローブがはためく、その姿は魔導師の塔の支配者セザール=バシュレその人だった。
『お前の愚かさはお前の判断で価値を定めた事だ、それ自体が罪と知れ愚か者、お前が得た僅かな財貨は真の価値の万分の一にも満たぬ』
その声は暗く目の前の豪華なローブ姿からなのか、はるか遠くから聞こえてくるのか定かではなかった。
助司祭は何者が現れたか知った、恐怖に震え声にならない叫び声を上げる、慈悲を乞うているのかもしれないがまともに言葉にならない。
セザールの黒いフードの奥の朽ち果てた眼窩の奥で燃え上がる蒼白い鬼火が哀れな助司祭を見下ろす。
『こやつめが売り払った物を追跡できるか?』
セザールは責任者の男に青白く輝く眼窩を向ける。
「すでにハイネ聖霊教会のこ奴の部屋の資料を押さえました、またこやつの協力者を拘束しつつあります、必ずや厳格な調査を行い横流し品の行き先を突き止めます」
そこに部屋の扉が軋みながら開くとバルタザールが入ってくる。
彼はセザール=バシュレ記念魔術研究所の所長で、セザールの高弟の上位魔術師で長身の貴族的な雰囲気の壮年の男だ。
『バルタザール判明したか?』
それにセザールは待ちかねた様に声をかける。
「コステロ会長はハイネに不在、本館支配人のクレメンテと接触してきました、発掘品の横流しに気づいた理由ははっきりとはわかりません、ですがコステロ商会は古美術品や古い魔術道具の取引をしています、この関係から横流しの動きに気づいたと匂わせていました」
普段は冷酷で尊大な態度のバルタザールからは信じられないほど畏まった態度だ。
『なるほど・・・魔術的な価値が低い発掘品は向こうの取り分だ、こやつら鑑定前に勝手に抜きおったな』
バルタザールはそれを肯定する様に頭を下げた。
「セザール様コステロ商会が研究所のキールを動かし魔術師の一人を拘束しました、我々の傘下の術師ではありませんが」
『あの聖霊拳の男か、で誰を拘束しタ?』
「エミル=ヴラフという魔術街で魔術道具屋を営んでいる男です」
セザールは興味がなさげだ、だがエミルが幽界の眷属達と接触した事があると説明され初めて興味を抱いた。
『それはおもしろい、その男はコステロに拘束されておるのだな?引き渡すように交渉せよ』
「コステロ商会は古美術品や古い魔術道具の取引をしています、それに手を付けたわけで組織の掟としてケジメをつけさせるつもりです」
『・・・真紅の淑女に関してナニカ触れていたか?』
セザールの唐突な問いかけにバルタザールは驚きを隠せない。
「いいえ、私が接触したのは本館支配人のクレメンテですがそれに関してはなにも、彼女は魔神の召喚で大きなダメージを負ったとされていますが、北の別邸に大きな動きはありません、ただし監視の報告から防護結界が大幅に強化されています」
『監視を継続せよ、どんなダメージを受けてもかならず再生するのが闇妖精だ』
「かしこまりました」
セザールは苦痛で呻く助司祭の男を見下ろしたがすぐに興味を失った。
『この問題が片付くまで活かしておけ、私はしばらく戻らぬ』
黒いローブの男たちが頭を下げる、その直後に空間がゆらめくとセザールの姿が消えた。
誰かが息を吐く音が聞こえると安堵の空気が広がった、誰もがセザールを恐れていたのだ。
「こやつを独房にいれておけ」
バルタザールは指示をだすと下働きの物達が哀れな助司祭の周りに集まる。
「ここはまかせる」
責任者の男に声をかけるとバルタザールは隣り合う実験室に向かった。
尋問室の隣の広い空間は魔導師の塔の研究施設に割当られていた。
部屋の中に実験机が整然と並べられ、魔術師でなければ用途もわからない無数の機材が並べられ、触媒や薬品瓶の棚がひしめく。
以前の戦いで幽界の眷属達に破壊された研究施設はすでに復興されていた。
部屋全体は薄暗い魔術道具に照らしだされていた、その中に天井の大きな光源に一際明るく照らしだされた一角があった。
黒いローブ姿の影が何かを取り巻くように立ちならんでいる、フードを深く被っているので顔は見えない、尋問室を出たバルタザールはそこにまっすぐ向かう。
黒いローブ姿の一人が近づくバルタザールに気づいた、バルタザールはその人物に声をかける。
「どうだ?再生できるか」
その人物はこの場の責任者らしい。
「死霊術に依存する物質がすべて失われていますが、昨日無理に稼働させましたので、完全に復活させるにはそれらを再構築しなおす必要があります」
その声は張りのある女性の声だ、そう言ってから彼女は頭を横に振った。
バルタザールはその黒いローブ姿の人の輪に加わると、真ん中の台の上に横たえられていた巨大な肉の塊に眼をやった、台の上に大きく傷ついた巨人エッべが無惨な姿をさらしている、狂戦士病を発症し人間兵器にされた大男の亡骸が横たわっていた。
「ベドナーシュ博士、できるか?」
バルタザールが台の側で熱心に資料を読み解いているピッポに声をかけた。
ピッポは声をかけられた事に気づかない、だが近くにいた魔術師に催促され初めて気づいた。
「ああ、所長おかえりですか」
改めてバルタザールが問う。
「ベドナーシュ博士、できるか?」
「これは素晴らしい成果ですぞ、私が関わっていた頃より遥か先に進んでおりますな・・・失礼、再生に必要な薬物ですが原料と触媒があれば不可能ではないです、ところで今まではどのように確保されていたのですかな?」
「残念だが総て外部からの調達だ、入手先は具体的には教えられないが複数、だが君が原料と必要な触媒を指定できるなら可能なかぎり揃えよう」
「私が関わっていた頃より進化しておりますな、当時克服されていなかった問題が解決されているとしますと、不可能ではありませんが簡単ではありませんぞ?」
「わかっている」
「これは錬金術と死霊術の結晶です所長、そして幽界の門にあたる構造を魔界の門に書き換えるとは、これは精霊術師を死霊術師に変える事ができる可能性を秘めておりますぞ!」
その場にいた者たちがそれを聞いてざわめく。
「可能性を秘めてはいるが話はそう簡単ではないのだ博士」
「と言いますと?」
「狂戦士病は制御の効かない異界への穴でしかない、故に狂戦士病患者が精霊術を行使できるわけではない、たんなる荒れ狂う力だ、精霊術師は異界の精霊の力を借りる事により初めて現象を引き起こす事ができる」
「た、たしかに」
「君が研究していた薬物はその穴を阻害する薬物だ、ちがうか?」
ピッポはかつて狂戦士病の原因の究明と治療薬の開発に関わっていた、そこで禁忌に触れ総てを奪われ追放されたのだ。
「異界への通路を阻害できるなら、逆に開くことができるかもしれない、私はそれに気づき道を外れましてね、いひひ」
ピッポは妖しい曖昧な笑い声を立てる。
「必要な材料と薬物を整理したら報告したまえ、機材と人を貸す用意が在る」
ピッポはその言葉に改まった。
「俺はすぐここを離れねばならん、期待しているぞ」
そう言い残すとバルタザールは踵を返して去って行く。
「所長!!」
それにピッポが呼びかけた、バルタザールは何事かと足を止めて振り返る。
「できるかぎり早く見積もりを立てます、そして私に声をかけてくださり感謝いたしております」
そこにいるのは旅の詐欺師のピッポではなかった、錬金術師ベドナーシュ博士がそこにいる。
バルタザールは軽くうなずいただけでまた歩み始めた。