ジェリー=トロット
まもなく正午になる時刻だがハイネの魔術師ギルドの業務斡旋室に人の姿はなかった、戦火が迫り短期の仕事を探す魔術師がいなくなったおかげだ。
だがギルドの奥から喧騒の音がここまで響いてくる、大量の魔術道具の整備と触媒などの手配でギルドは火事場の様な忙しさだ。
だが受付カウンターのジェリーはここですっと暇を持て余していたのだ。
すると階段上から耳障りな老人たちの馬鹿騒ぎが聞こえてきた、最近ギルドで見かける流れの三人の老魔術師達の声だ。
ジェリーの眉がひそめられる、いま業務斡旋室にいるのはジェリー1人だけだから。
やがて三人の老魔術師が姿を現す、スペラビア、インクリア、アヴァリテの三人の老魔術師達はさっそく受付カウンターのジェリーの前にやってくる。
ジェリーは予期していたのか小さなため息をついた。
「ジェリーちゃん一人かね、我々は昼メシを食いに出るから一緒にいかないかい?」
小太りの老魔術師が声をかけてくる、そしてにやけた顔でジェリーを舐め回すように見る。
「インクリアさん、私は勝手にここを離れられません」
感情を込めずに丁寧に断った。
「どうせ誰も来ないよ?流れの魔術師はみんなハイネを逃げ出したからの、ひひひ」
痩せて棒の様な老魔術師のスペラビアが乾いた笑いを上げる、ジェリーの背中が小ギザミに震えた。
「誰も来ないとしても離れる事はできません規則ですので」
「じゃがの、せっかくこのご時世で開いている店を・」
インクリアがそう言いかけたとこで、階段の上から力強い朗らかな女性の声が響く。
「おじいちゃん達ジェリーが困っているわよ、業務妨害で出入り禁止になってもいいの?」
老魔術師達は驚いて階段の上を見上げる、そこに立っていたのは妖艶な女魔術師テヘペロだ。
「おおシャルロッテちゃんじゃないか、どうじゃワシらとメシを食いにいかんか?」
老魔術師達の誘いにテヘペロは苦笑する、そして手にした奇妙な形をした大きな三角帽子をかぶりながら階段を悠々と降りる。
「何言ってるの?私はまだ仕事があるの、それにダイエット中なのよもう」
「もったいない、その姿がいいのじゃよ、若造にはわからんのよ、うひひ」
また棒の様なスペラビアが乾いた笑いを上げるとテヘペロの片方の眉が僅かに角度を上げた。
そしてテヘペロは受付のジェリーの前にやってきた。
「ちょっと込み入った仕事の話があるからお爺ちゃん達遠慮してくれないかしら、食事はいつか落ち着いたら奢ってね」
「今の言葉忘れんからな」
小太りの老魔術師が陽気に笑うと、下から潜めた声が聞こえてくる。
「シャルロッテ殿、コステロ商会に近づかん方がいい」
それは三人の魔術師の一人地精霊術師のアヴァリテだった。
「いろいろ噂されているけど、近づかないと仕事にならないわよ、それにあの件はキャンセルになったわ」
テヘペロは困惑して小柄な魔術師を見下ろした、悪名を東エスタニアに轟かせるコステロ商会だ『今更何を言っているんだ?』その場にいたアヴァリテ以外の者達の眼はそう語っている。
「それなら良いが、いいかねわしの言葉をわすれん事だ、さあメシに行こうかの?」
アヴァリテは気分を変えると陽気に仲間たちを急かす、老人達は大声で騒ぎながら去って行った、そして部屋に再び静けさが戻る。
テヘペロは受付に身を乗り出して声を落とす。
「ジェリーさっきの話だけどギルドから許可が出たわ、ただ表向き魔術師としては付けられないかもしれないって」
「いったいそれは?」
「相手が王族ですもの、とても煩いらしくて、任務が始まると家に帰れなくなるわ、私もハイネ城に部屋を与えられるの、私物はもうそっちよ」
「なるほどわかります」
「あの、本当に貴女はいいのかしら?」
テヘペロは懇願するような、どこか怯える様な貌をしていた。
ジェリーは周囲を見回してから薄く笑った。
「この仕事をしていて良いのか悩んでいました、お願いいたしますシャルロッテ様」
テヘペロの貌が晴れ上がった、そうすると彼女は艶やかでいてどこか少女じみていた。
「具体的な話はギルドから貴女にするそうよ、殿下は明後日にはハイネに入るから直ぐに話があるはず」
そこまで言ってから受付の背後の大きな告時機を見た。
「ああ、もう少し話したいけど直ぐに城に行かないと、任務が終わるまで勝手に出る事もできなくなるのよ」
テヘペロは時間を気にして少し浮足だっていた。
「じゃあよろしくねジェリー」
「はいこちらこそ・・・シャルロッテ」
最後にテヘペロは笑うと軽く手を上げて去っていった。
ジェリーはメガネを外すと遠くを見るかの様な曖昧な表情をした、そうすると繊細で知的な美貌がはえた、だが残念ながらそれを目にする者はここにはいない、彼女の表情から内面を伺い知る事はできない。
テヘペロはハイネ城に到着すると、身の回りをする使用人との面会を行い、使用人を束ねる年配の女使用人長から簡単なスケジュールを伝えられた。
またハイネ評議会の顧問団との面会は朝に済ませてあった。
最後に疲れ果てたテヘペロはハイネ城の賓客室の一つに案内された、部屋の内装から中下級貴族に割り当てられる部屋と見当をつける、これは待遇としては破格の扱いだ、だがテヘペロはそれをなぜか喜べなかったむしろ不安と不快感にさい悩まされる。
「失敗だったかしら、いいえ絶好の機会よ」
思わず言葉がもれた、彼女は一人になると独り言を言うクセがある。
「シャルロッテ様、お荷物をどこに置きましょうか?」
そこにいきなり声をかけられる、テヘペロは驚いて声の主を振り返って更に驚いた、テヘペロは近づかれるまで人の気配を感じる事ができなかったからだ。
そこにハイネ城の高級使用人の服装をまとった若い美しい女性がいた、彼女はテヘペロの私物を入れた四輪のカーゴを押している。
だが先程面会した使用人の中にいなかった顔だ、そしてなぜかこの女性に見覚えがあった。
「貴女前に会ったかしら?まさかジェリーね!?」
「やっとわかりましたねシャルロッテ様」
ジェリーは楽しそうに笑った。
ジェリーはメガネを外してるとは言え、地味な魔術師ギルドの職業斡旋室の受付の女下位魔術師と同じ人とは思えない。
繊細で知的な美貌とほっそりとした靭やかな細身の女性だ、全身を威厳と気品を感じさせる王宮の高級女使用人らしい優美なドレスで身を包んでいる。
「おどろいた別人だわ」
「そうでしょうか?」
ジェリーは小首を傾げた。
「まさか私の使用人として配属されたの?」
「その通りです、それ以外に難しいそうです、ですが使用人ならいつもお側にいられますわ」
テヘペロの顔が引きつり顔色が悪くなる。
「気分が悪いのでしょうか?」
「大丈夫よ、いろいろあったから疲れたのよ」
ジェリーは手際よくテヘペロの私物を大きなチェストに収納して行く。
「ジェリー、あなたその仕事慣れているのね」
ジェリーは手を休めて振り返る。
「魔術の発現が遅くて、良家の使用人をしていた事がありました、何が役に立つかわかりませんね」
「よくある話ね、18歳で才能に目覚めた人もいたわ」
「はい」
ひと仕事を終えたジェリーがテヘペロに近づく、いくぶん彼女に気圧された。
「わたくしは、ハイネ評議会を通さないハイネ魔術師ギルドとの連絡役を承っております」
「そう言うわけか」
「ええ、ギルドに相談なさりたい時は私を通してください、ハイネ評議会を通すと時間がかかります、話によっては握り潰されてしまいます」
テヘペロは言葉もなくうなずいた。
「わたし少し疲れたわ、しばらく一人にして欲しいのジェリー」
ジェリーは何かを伺うような仕草をしたがすぐに身を正す。
「かしこまりましたシャルロッテ様」
ジェリーは一礼すると部屋から下がって行った。
テヘペロは疲れた様に豪華なソファーに深く腰を降ろす。
「迂闊だったわ、ギルドは私の任務をどこまで話したのかしら?」
そして天井の化粧板を見上げた、そこには古いテレーゼの神話をモチーフにした絵画が描かれている。
それは農村の祭りの風景だ、その絵のすみに大地母神の使いの白銀の小さなヘビが村人達を見つめていた。
テヘペロはあの金髪の陶器人形の様な少女に監視されているような気分になって慌てて眼を逸らす。
少女の黄金のトランペットが意識に浮かび上がる。
黄金鏡のような傷一つない完璧な姿、そこから発せられる力の衝撃波はテヘペロの防護魔術を一瞬で破壊した、あれは魔術道具ではない、魔術道具には力の痕跡がある、鋭敏な者はそれを感じる事ができた。
幽界帰りの少女が手にするトランペットはテヘペロに伝説の神の器を思わせた。
証拠は無いが高位の魔術師の感が神の器であると確信していた。
世界の運命の過流の中心に存在すると言われる神の器、何もかも捨ててそれを追いかけたい、そんな願いがふたたび蘇る。
『そんな夢物語より確かな何かよ』それを理性で押し殺す。
「なんで今思いだしたのかしら」
帽子をソファーに置いてからベッドに身を投げる。
ハイネ城の廊下をワゴンを押しながら美しい女使用人が進む、すれ違う男達は彼女に賛嘆の視線を向けた、彼女は薄っすらと不思議な微笑を浮かべながら、そのまま自分に割り当てられた小部屋に向かう。
規則正しい足音とワゴンの車輪が軽やかな音を立てる。