キールの恫喝
ハイネの北西区に有名な魔術街と呼ばれる狭い路地があった、この通りに魔術関係の道具と触媒などを売る店が集まっていた、北側にハイネ魔術学園の学舎があるので、生徒達のために書籍や筆記道具などを売る店も集まっている。
その日も魔術街に立ち並ぶ家なみの隙間から日の光が差し込み街路の石畳みを照らし出した。
戦火を恐れハイネ魔術学園が休校となったおかげで通りから学生たちの姿が絶え、あたりは朝から閑散としていた。
そんな魔術学園に近い通りに面した場所に平凡な魔術道具屋が店を構えていた、軒下の看板に『風の精霊』と書かれていたがとくに特徴のない店だ。
ガラス窓から触媒籠と木の器が並べられた陳列棚、天井から触媒の獣の干物と怪しげな麻袋がいくつも吊り下げられているのが見える。
窓から光が差し込むと、床に倒れていた痩せた男の顔を縞模様に照らし出す、男はこの店の主人エミルだ。
彼は昨日この店に現れた『真紅の淑女』ドロシーに記憶を探られ昏倒しそのまま放置されていた、エミルは意識を取り戻したのか身じろぎすると瞼を開いた。
「どうしたんだ?俺は倒れて寝ていたのか」
頭を振ってからよろよろと立ち上がる、そしてエントランスに近づき扉をあけるとガラスのドアベルが心地よい音を奏でる。
「もう朝なのか?何があった・・思い出せない」
そして扉を閉めると慌ててカウンターの奥に飛び込んだ、戸棚や引き出しの中身を慌てて調べはじめる。
「どうやら強盗では無いようだな」
しばらくしてエミルの安堵の言葉が聞こえてくる。
すると外から足音が近づくとドアベルが勢いよく鳴る、エミルが慌ててカウンターに出たが来客を見て固まった。
「エミル君、久しぶりですね~」
そこにいたのはセザール=バシュレ記念魔術研究所のキールだった。
細面で短く切りそろえた白髪まじりの黒髪と、鋭い猛禽類を思わせる目付き、手入れの行き届いた白髪まじりの口髭を蓄えた初老の男だ、執事服で身を固めてるが、彼は聖霊拳の使い手で1人で数十人に勝る武力を誇る怪物だ。
「キールさん、あの何の御用でしょうか?」
エミルは震え上がった、この男が苦手で怖れを抱いていた。
「偶然ですかね、コステロ商会と魔導師の塔から同時に貴方にラブコールが来ましたよ?何か思い当たる事があるのではありませんか?」
エミルの顔から血が引く音が聞こえる、ハイネの大聖霊教会の地下遺跡の出土品を骨董品収集家に売りさばいて金を稼いでいたからだ、だが価値のある物に手を付けた記憶は無かった、それで少し気を落ち着ける。
「あらら、何か思い当たる事がある顔をしていますね、正当な報酬の一部として下げ渡されたのですかね?そう怯えなくてもいいですよエミル君、君が主犯だとは思っておりません、ですが証拠固めに協力してもらいますからねぇ、長生きしたければ協力してください」
エミルの膝が笑いかわりに顔が引き攣る、そんなエミルにキールは獰猛なオオカミの様に微笑んだ。
「ふむ、あなた耳から血が流れていますよ?何かあったのですか」
エミルは慌てて耳を触ると指に乾きかけた血糊が付いた、そして今更の様に右の耳が聞こえない事に気づいた。
「倒れた時にぶつけたのか?」
「まあいいでしょう、貴方に店を閉める時間をあげます、おかしな事は考えないように、私からは逃げられませんからねぇ」
エミルは追われるように半分泣きそうになりながら閉店の準備を始めた、キールは天井から吊り下げられたコウモリの干物を見つめながら肩をすくませる。
店を閉めるとエミルはキールに追われるように店の裏口から裏通りに出る。
「あの私はどうなるのでしょうか?」
鍵をかけながらエミルはおずおずとキールにたずねた。
「貴方が何をしたのか私は知りませんね、調べが終われば決まりますよ、さあ研究所に行きましょう」
言葉は柔らかいがキールの瞳は冷たい、その冷たさにエミルは震えあがった。
エミルを先頭にして二人は学園前通に向かって薄暗い裏通りを進みはじめる、エミルは歩きながら頭の奥に例えようのない違和感を感じていた。
「エミルくん?そっちではありません左ですよ?」
エミルが学園通りを右折したのでキールが声をかけた。
エミルは頭がはっきりしない事に違和感を感じながら、セザール=バシュレ記念魔術研究所の方向に向きを変えると緩慢に進み始めた。
ハイネ市の遥か西方約二日行程ほどの場所に、街道を取り囲むように天幕と軍旗が林立している、風にはためく軍旗は黒地に白い二頭の獅子が向かい合う意匠、これは高名なセクサルド王国の獅子の軍旗に他ならない、かつて東エスタニアを統一したセクサルド帝国の軍旗と同じ獅子の軍旗だ。
付近の農夫や町人達はセクサルド軍に野菜などを売りつけているが、教養のある者達はその獅子の軍旗を不安げに眺めている。
セクサルド帝国は百年に渡りテレーゼを支配し帝国はハイネを首都にしていた事があった。
帝国時代にハイネは東エスタニア有数の帝国の中心だった、だが帝国が東エスタニアを統一するとアルムトのノイデンブルクに遷都、だがその後わずか10年後にアルヴィーン大帝が崩御しそこからわずか10年で帝国は崩壊してしまった。
帝国崩壊後テレーゼ王国は再び復興したが、王国は四十年前の継承戦争から混沌状態に陥り、王家は断絶し長く戦乱の時代を迎える事になった。
テレーゼの人々が獅子の軍旗を見る目は複雑だ。
その立ち並ぶ天幕の中に一際大きな天幕がある、それはセクサドル軍の大本営の在処を示していた。
朝の会議が終わり士官たちが天幕から散りそれぞれの天幕に帰って行くところだ、最後に足取り重く出てきた若い二人の士官がいる。
周囲では食事を終えた兵達が手早く天幕の撤去を始めていた、まもなく軍が行軍を開始しようとしているのだ、周囲は騒然として騒がしく士官達の命令が飛び交う。
士官の一人はアンブローズ=カメロだ、切れ長の涼し気な目、背の高さは並で育ちのよさそうな若者だ。
もう一人はカメロよりも長身でがっしりとしている、整った容姿の男だがうなだれて落胆を隠せていなかった。
その男はカメロと同郷の男でオレク=エンフォリエ、有力大貴族の子弟だが愛妾の息子で七男なので扱いは平民と変わらない、だが流石に平民には無い気品の持ち主だ。
カメロが薄い赤みを帯びた金髪をかきながらオレクに声をかける。
「落胆するなオレク、殿下の側使えになれたんだ名誉な事だぞ」
オレクは周囲を見渡してからカメロをにらんだ。
「ハイネにいたのでは手柄を立てようが無い」
そして更に声を落とした。
「それに俺は殿下の側にいたくない、取り巻き共がイケスカねえんだよ!」
「お前らしくないな、酒や料理のお下がりがあるかもしれないぞ?」
「そういうお前こそどうなんだ?おれは手柄を立てたいだけだが、お前はもっと望みが高い、お前の事は少しわかっているつもりだ」
カメロは足を止めた。
「そうだ、おれは大会戦に望みたいだがこれも出世の機会だ、殿下のご機嫌取りぐらい耐えて見せるさ、遠回りになっても」
オレクは鼻で嘲笑った。
「お前に機嫌取りなんてできるかよ無理をするな、いやまてよ殿下に嫌われたら配置転換もありだな」
「まて、嫌がらせを受けたら出世の妨げになる、これも俺の策のせいだ、将軍達は俺の策を評価してくれた、真面目に努め上げれば出世の機会だぞ?」
「そりゃそうだな」
「さあ天幕に戻るぞオレク」
先導する一部の部隊はすでに動き始めた。
セクサルド軍の最後尾は西に二日行程の位置で野営をしているはずだ、3万の軍が進むとなると騎兵や膨大な輜重を含めると数十キロの長さになる、軍は細く長く伸びきっていた。
街道沿いの諸侯軍とセクサドル軍の偵察騎兵が広範囲に索敵の網を張っているはずだ、カメロは北の空を睨んだ。
「予定どおりだなここまでは」
そう思わず言葉がもれた。
「何かいったかカメロ?」
「いいや独り言だ」
オレクは肩をすくめると足を急がせる、カメロもそれに続いた。




