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絵画

アラティア王国の南ベラール湾を隔てた南の大地はエルニアだ、西に広大なバーレム大森林が広がり、その西側に東西に走るエドナ山塊を越えるとそこはテレーゼだ、エルニアの南には広大なクラビエ湖沼地帯が広がりその南はクライルズ王国だ。

そしてエルニアの東側は東方絶海と呼ばれる巨大な海洋に面している、人々はその海を絶望の大海と呼ぶ。


エスタニア大陸最東端の公国、エルニア公国の公都アウデンリートは無計画な都市開発により複雑奇怪な迷路として知られている、その街の西側に三百年の歴史を積み重ねた奇怪な姿を晒すアウデンリート城が聳え立っている。


その都も夜も深まり闇の底に沈んでいた、しだいに家々の窓が淡いオレンジの色に染まり始め、アウデンリート城は篝火で明々と照らし出された。


その巨大な城郭の中に大公家の高貴なる人々が居住する一角があった、長子だが庶子のルディガー公子は二年前の神隠し騒動を期にこの一角から退去している、今は正室の男子であるルーベルト公子だけがここに住まう、現在大公家の血をひくものでここに入る権利を持つ者は彼一人なのだ。


主人であるルーベルトは豪華な私室で公務から解放され寛いでいるところだった、だが側に侍る執事達が壁際で控え、そして雑務をこなす使用人達が隣の小部屋で待機しているので一人ではない。

一人になれるのはベッドに入る時だけだ、それも寝室の外に厳しい警備がしかれている。

だが貴人は仕える者達を空気の様に無視する事が求められているのだ。


ルーベルトは私書箱のアラティア王国のカミラ姫からの手紙を読み返す事にする。

私室の本棚の本は読み尽くしてしまった、それ以外の本に実は興味は無い、もちろん学問を積むために書物を読むがそれは今ではなかった。

手をのばすと私書箱の蓋を開ける、壁際に控える執事がさり気なく視線を動かすのに気づいた、ルーベルトは僅かにため息を吐くと一番新しいカミラからの手紙を読むことにする。


すでに読んだ手紙だが彼女からの手紙はいつのころからか繰り返し読むようになっていた、毎週送られてくる彼女の手紙を読む事が為一の楽しみとなっているのだ、学問を修める事を盛んに勤めるテオドーラ大公妃もカミラとの手紙のやり取りを勧めていたので、おかげで堂々と楽しめる一時となっていた。

だがカミラ姫とのやりとりを手を変え品を変えて聞き出そうとする母の態度にいいかげんうんざりもしていた。


手紙を開くと彼女の筆跡が眼に飛び込んでくる、その筆跡は繊細で美しかった、文章は高い教養を感じさせる、行間から思いやりのある控えめな気性が伝わってくる。

もともと美しい麗人と噂のあった公爵令嬢だが、今やアラティア王家の姫君で自分の婚約者候補筆頭になっている。


壁にかけられたカミラ姫の肖像画に視線を移した。


木枠に囲まれた世界から、絶世の美少女がルーベルトに微笑みかけた、北の民の血を引く彼女の肌は白く豪華な金髪と印象的な瞳の色は氷の蒼だ、作り物めいた繊細な美貌に柔らかな微笑みと優しげな眼差しが命を吹き込む。

肖像画は大概美化されている事ぐらいルーベルトも知っていた、だがこの半分でも怖ろしい程の美しさだ。

彼女は女使用人達の憧れの的だと聞いた事があった、たしかに生ける儚い玉石ならば誰もがそれを護り愛でたいと思うだろう、そうだろうと彼は思う。


だがそれ以上にまだ直接会ったことが無い彼女の内面に惹かれ始めていた、真面目で一途な彼女と話をしたい。

彼女とは不思議と自分と好みや趣味が合う、関心事や好きな小説や演劇も似通っていた、そしてその造詣もとても深い。


彼女の手紙を待つまでも無い、こちらから手紙を書こうと心に決めた。







アウデンリートから遥か東の地、東方絶海を望む岩だらけの高台の上に立つ一人の男がいる。

男は古びているが手入れの行き届いたスーツを着ていた、年齢は四十代ほどに見える、知的で温厚そうな人物で革の旅行鞄を右手にぶら下げていた。

一見すると旅の教師か学者に見えるが、あまりにも場違いな場所に彼はいる。


その旅の学者はアンソニー=ダドリーその人だった。


高台の北側にオレンジの光で浮かび上がるリエカの港街の夜景を見下ろせる、港に停泊する船の灯りが海蛍の様にはかなかった。

月のない夜空は雲が低く立ち込めて星一つ見えない。

そして高台の南側は灯り一つ無い暗闇に閉ざされていた、沖を通る船の灯りが一つだけ見える。


男の周囲に奇怪な形をした岩の塊が立ち並び、大きな樹木の姿は無く、背の低い痩せた灌木がさみしげに茂っているだけだ。

高台の先は東に向かってまっすぐ海を割るように伸びている、ここはエスタニア大陸最東端、地尽きるところエリカの岬だ。


彼は気軽な散歩を楽しむ様に、危険な足場をものともせずに岬の先に向かって歩み始めた、やがて南側の断崖に近づくと崖の縁に立って下を見下ろす。

そこは異国の巨大な難破船が漂着したと噂される断崖の近くだった。


遥か下に砕けた白い波頭がかろうじて見えた、だが重い波の音が聞こえてくるだけでそこに巨大な船の影は無い。


「船の破片もないよね、あっても回収されたかな・・・おや?」


そう独り言をこぼすとアンソニーは更に下を覗き込んだ、そして彼は暗闇の中に跳んだ、その先にあるのは何もない暗闇だ。



彼は岩だらけの海岸に立っていた、普通の人間ならば落ちたら命の無い高さから落ち彼は平然としている。

波が足元で砕け飛沫を浴びたるが気にもしない、そして足元の岩に挟まっている薄い大きな革の鞄をつかんで手にとる。


アンソニーはその鞄を見て眉をひそめた。


鞄の大きさは一抱えほどもあるが、頑丈な革のベルトで閉じられ、厚さはアンソニーのアタッシュケースの半分ほどしか無い。

彼は断崖を駆け昇った、文字通り両手も使わずに僅かな岩の突起に足をかけて、いとも簡単に崖の上に駆け上ってしまった。


すぐに頑丈な革ベルトを外すと中から油紙で厳重に包まれた四角い何かが出てくる、期待に目を輝かせたアンソニーが油紙を外すと更に中から厚い板が出てきた。

彼の顔が一瞬落胆に染まったが、板が蝶番で閉じられた二枚の板と気付いた、金属の留め金を外すとその中にキャンバスが納められ見慣れぬ船の素描が描かれていた。


「これは!?」


その船の姿はエスタニアでは見かけない異様な姿をしていた、確かに船体や帆柱の形に大きな違いはない、だが船橋や船尾を飾る装飾と意匠は異質だった、それでいて異質な高度な技術と美意識を感じさせた。

この絵は海岸に漂着した難破船の素描に違いなかった、朽ちかけた船体に折れた巨大な帆柱、それは見事な技量で描かれていた。


「なんて運が良いんだ、魔神に感謝しないとね」


彼の声は喜びに震えていた、宝物を見つけた子供のようだ。


「なぜこの絵がこんなところにあるのかわからないよ、でも僕は優れた画家に感謝するよ」


そっと蓋を閉じると油紙で包み込み鞄の中に納めた、そして頭を上げると彼の顔が訝しげに変わる。

その視線の先に小さな光が見える、その光は僅かに揺れている。


「まだ見張りがいたんだね」


その光は岬に残された警備兵の灯火だ。

その直後に革靴の鳴る音が聞こえると先生の姿は岩場から消えていた。







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