蠢く死者
深夜のバーレムの森は静寂に包まれ、夕刻に激しい戦いが繰り広げられた天然の花園は、満月の月の光に照らされていた。
木々の向こうから幾つもの二対の光が花園を覗う、その光が刻々と増えて行く、森の捕食者達が血の匂いに惹かれ集まり始めているのだ、だが獣達は何かを警戒しているかのように動かない。
花園の泉から黒い霧のような何かが少しずつ湧き出し、それが泉の上にわだかまり大きくなっていく。
やがて黒い霧の固まりは分裂しながら花園に横たわる兵士達の屍に向かって静かに漂い始めた、霧は屍の上に到達するとゆっくりと降下して屍を覆い尽くして行く。
屍を覆っていた黒い霧が消えたとき、ゆっくりと屍が動き始めた、最初は手足を不自然に痙攣させるように蠢くだけだったが、やがてノロノロと立ち上がる、それはゾッとするような不自然な動きだった、そして声もなく歩き始める。
すでにその時には先程まで花園を取り囲んでいた獣達の眼光は総て消え去っていた。
狩猟小屋の中でルディガーは目を覚ました、それは何か動物的な感とでも言うしか無いだろう。
「なんだ・・」
「ルディも目が覚めた？」
「なんとなく目が覚めた」
「追手か？」
この二人には夜の見張りなど不要らしい、ベルが狩猟小屋の扉を開き外を調べる。
「夜の森を移動するのは余程慣れた奴にしかできないよ、捜し物なんてもっと無理」
「なんだ嫌な感じがするな」
ベルが耳を澄ますと、木の枝をこすり上げる音、下草や枯れ枝を踏みしめるような音が遠くから微かに聞こえてきた。
「何かが来るぞ！？幾つもの音がゆっくりと近づいてくる、泉の方からだ」
「俺にはまだ何も聞こえないが、ゆっくりか、まだこちらに気がついていないのか？」
ベルは小屋の中に戻ると、壁に立てかけた長さ６０センチ程の布に包まれた梱包の紐を解いた、中から刃渡り５０センチ未満の小ぶりの抜き身の剣が現れた、一見すると刺突向きで軽量そうな両刃の剣だった。
「こいつの鞘がこの前ボロボロに壊れてしまったんだ」
ベルは再び小屋の外に出ると、ルディは既に愛剣の柄を掴み森を睨み据えている。
「さっきより近くなってきた、でも相変わらず鈍い」
「ああ、俺にも聞こえてきたぞ」
そろそろ姿が見える・・二人は同時にそう思った。
やがて音の主達が二人の前にその姿を表し始めた。
「なんだあれは？」
「お化け！？」
目の前に現れたのは昼間戦った追跡者達だった、見覚えのある顔もある、なかにはベルが倒した者も。
彼らの装備は血まみれで傷ついていた、剣も持たずに緩慢にノロノロと向かってくる、彼らの目は虚ろで何も映してはいない。
ルディはベルがかなり動揺して怯えているのを見てとった、彼女は精霊や幽霊といったものを胡散臭い物として見る現実主義者だった。
「ベル恐れるな、幽界には屍体に取り付き動かす下等な質の悪い者共がいる、死んだものはこれ以上殺せないが、破壊すれば問題ない！！」
「わ、わかった！！」
ベルは愛剣を小屋の壁に立て掛け昼間に敵から奪った剣に持ち替えた。
「ベル・・ずるいぞ？」
「あんなの僕の剣で切りたくない」
見る限り敵は６人だった、はたして人と数えて良いのか判らないが。
動きは緩慢でその目にルディ達が見えているとは思えなかった。
「奴ら恨みで動いているの？」
「屍体に残った記憶を利用していると言われているがはっきりとした事はわかっていない」
「やはりこの敵はお前と相性が悪いな、俺が蹴散らす、屍を傷つけるのは気分が悪いだろう？」
ベルの剣技は刺突や切り裂きが中心だがこの敵には大して意味をなさなかった、更にルディの剣は切れない者を切る事ができる。
ルディガーは長剣で動く屍を手当たり次第に粉砕した、それは僅かな時間で完遂され屍体は総て動きを止めた。
戦い自体はあっと言う間に終わってしまったが、周囲は破壊された死体が散乱する惨状となった。
ベルは鼻白見ながら目を背ける。
屍体から黒い霧が滲み出てきたが、それを剣で払うと黒い霧がかき消えた。
「ルディ、その黒い霧が幽界の精霊なの？」
「幽界は物質と精神の中間の世界でな、こちらの世界で活動するためには物質の依代が必要なんだ、中には屍体に取り付く奴がいる」
「誰かに呼び出された？」
「呼び出す事もできるらしいが、ほとんどの事例では幽界からはみ出してきた下等な精霊の仕業らしいな、追手の仕業としては温すぎる」
「今までコイツラと戦った事は？」
「いや初めてだ、知識は有ったがな」
「あの泉は神秘的な場所だったけど、こんな気味が悪い事になるなんて」
「確かに、あそこには不思議な力が有りそうな場所だった、屍体と血で穢されたのがまずかったのかもしれんな」
「でも冷静になるとこいつら弱い」
「そうだ、心理的な脅威の方が大きい、死んだはずの家族や仲間が襲ってくると想像してくれ」
「うん・・・」
「そうだ、これだと森の掃除屋がやって来る」
「本当は屍体は総て焼くのが正しいのだがな・・」
ベルは首を横に振った、薪が少ないし有ったとしても火葬の明かりが敵に見つかる可能性がある。
「ベル今の時刻は判るか？」
「月の位置から言って、だいたい１時から２時といったところかな」
「それでも５時間は寝たのか」
「早めに動こうか？」
寝る前にほとんどの荷造りは終わっている、ベルは短弓と愛剣を布で包み背嚢に縛り付け、落ちていた鞘を拾い敵から奪った剣を収めて腰から下げた。
「アイツはどうする？」
「たぶん物置の中にいれば大丈夫だろ？」
「じゃあ行こうか」
二人はエドナの鼻を目指し夜の森に踏み込んだ。
