女神の祭り
朽ちかけた屋敷の古びた板壁にあちらこちらに穴が空き、青白く淡く光る魔術道具に照らしだされたその部屋はまるで水底に沈んだ難破船の様だ。
そして壁の隙間から狂った様な光が部屋に差しこんで、朽ちかけた床の上で白い虫の様にうごめいた。
部屋の真ん中の丸机の上に薬鉢や得体の知れない道具が並べられ、老魔術師ホンザが妖しげな薬を調合し小さな革袋に詰めている。
壁際の長椅子の上でコッキーが片足だけ投げ出して寝息を立てながら昼寝をしている、朝から働き尽くめで一休みしているうちに眠ってしまったのだ。
彼女は先日の戦いの疲れがまだ完全に癒えていなかった、無限の体力を誇る幽界の神々の眷属でも女神の降臨の負荷はそれだけ大きかったという事だろう。
ホンザもアゼルも彼女の眠りを妨げないようにしている。
その時の事だ部屋を照らしていた青白い魔術道具が点滅を繰り返してから暗くなる、長椅子の上に寝転がっていたコッキーがむっくりと起き上がった。
「アゼルさん、暗くなりました!」
大きな声で叫ぶと扉の向こう側から若い男の声が答えた。
「まってください、替わりを持って行きます」
だいぶくたびれたドアが開くとアゼルが居間に入ってきた、その手にランプの形をした小さな魔術道具を持っている、彼の後から白い猿のエリザがついてきた。
アゼルは部屋の片隅の机に向かうと手にした照明道具を起動させる、すると部屋は明るさを取り戻した。
「アゼルよ準備はどうじゃ?」
作業に没頭していたホンザが手を休めておもむろに顔を上げた。
「ホンザ様、私も戦いに使えそうな小道具を作っていますが、慣れない作業で手間取っています」
アゼルは消えかけた照明道具を停止させ置き換えながら答える。
「こっちも同じよ、相手の注意を逸らすだけでも良いからな、しかしまたセザールと戦う事になるとは、あやつは完全に人では無くなっておったよなぁ」
ホンザの言葉は最後力なく消えてゆく、アゼルはホンザの言葉に胸を突かれた。
一時とは言えセザールはホンザの師匠だった事を思い出した、ホンザはもしかしたらセザールとの戦いを本音では気乗りしないのかもしれない。
そしてアゼルは師匠のアンスガル老師の事を思い出す、エルニアのアウデンリートで私塾を開いていた彼の元でアゼルは魔術から学問まで広く学んだ。
老師は故郷のラーゼに帰りそこで余生を過ごしている、老師は上位魔術師だが高齢なので戦いに巻き込まれると不覚をとるかもしれない、そう思うとアゼルは一抹の不安を感じた。
アゼルは部屋の真ん中に歩み寄りホンザの対面の椅子に腰掛けた、エリザが駆け寄るとアゼルの肩に飛び乗る。
「彼は不死者なのでしょうか?私には生けるミイラに見えました」
「死霊術と錬金術の力で不死者の様な何かになった、そう見るがその方法はまったく解らん」
「彼は魔術道具の力で魔術術式を並列で構築していましたね、人の脳を利用しているような事を匂わせていました、あの並列詠唱は脅威です」
「ああ、もしや兄弟弟子の誰かかもしれん、特定はできぬが」
ホンザの顔は苦渋に満ちていた、昔の仲間を思い出しているのかもしれない。
そしてアゼルも同じ私塾で学んだエーリカを思い出していた、今は聖霊教の聖女アウラ=フルメヴァーラを名乗っている、彼女の妖精の様な美貌と白銀の髪を思い出すと心が痛む、エーリカは家族も故郷も捨てアゼルも捨てて一人アルムトに奔った、彼女と偶然ラーゼで再会し生きている事を知り安心したが、彼女の裏切りを知って怒りより深い悲しみを感じた、今だに心の整理ができていなかった。
ホンザがアゼルの変化に戸惑い見詰めている。
「アゼルさん、お爺ちゃん」
二人の話をだまって聞いていたコッキーが話かけてきたのでアゼルは驚いた、彼女がこのような話題に加わって来る事などめったにない。
「アマリアさんからもらった虫の角、ダガーも無くなりましたよ、ベルさんの剣も折れちゃいました」
アゼルとホンザは思わず顔を見合わせた、魔術師なのでつい盲点になり勝ちな事だ、精霊変性物質の武器はこの世ならざる者に対峙する時大きな力になるのだ。
「コッキーやはり不利か?」
ホンザがアゼルの心を代弁した。
「戦えますよ、でも力を大きく使わなきゃならいのですよ・・・」
「危険なのじゃな?」
コッキーは大きく頷いた。
「強い奴と戦うとどうなるかわからないのです」
二人の魔術師は魔神が降臨した先日の戦いを思い出した、そしてコッキーが万全とは言えない事を思い知らされた。
アゼルはルディと武器とベルの切り札を思い出した。
「ホンザ様、殿下の『無銘の魔剣』と、ベル嬢の『グリンプフィエルの尾』があります」
「おお『グリンプフィエルの尾』があったな、まだ使われた処を見たことはないが」
「あれは彼女の力でも大きすぎて使いにくいそうです」
「ふむ、であろうな」
「ドルージュ要塞の廃墟で悪霊の群体をまとめて倒す事ができました、使いかた次第ですね」
「ふむ・・・」
コッキーが長椅子から立ち上がる。
「ベルさん達が帰ってきました!」
その直後に部屋の光が揺らぐとまずベルが忽然と姿を顕す。
「ただいま~」
ベルが挨拶と共に部屋の中に飛び込んで来た、ベルはお気に入りの使用人服をまとい大きな荷物を抱えている、その後ろからいかにも裕福そうな商家の若旦那風のルディが姿を現す、そして少し間を置いて薄汚れた白いローブで身体を隠しフードを深くかぶったアマンダが現れた。
アマンダはフードをはずすと深呼吸をするとルディを真面目な顔で見詰めた。
「わざわざハイネの案内ありがとう御座いますルディガー様」
「気にするなアマンダ、俺も市内の様子を見ておきたかったのだ」
ルディは笑いながら鷹揚な態度で手を振ってアマンダを抑えた。
「これコッキーのお土産」
ベルが布に包まれた一抱えもある荷物をコッキーに見せる。
「わたしにです?」
ベルに近づいたコッキーが彼女の全身をチェックしてから眉のはじを上げた。
「ベルさんなんか汚れていますよ?どうしたんですかこれ、ここに蜘蛛の足が付いていますよ?」
コッキーがベルの美しい使用人のドレスの裾を見詰めている。
「げげっ!!ちょっと屋根裏に忍び込んだんだ」
ベルはコッキーが見詰めていた当たりを慌てて手の平でパンパンと叩いた。
「何をするんですか?今足が落ちましたよ!?」
「あっ、ごめん」
「でもここ汚いですからしょうがないですね、後でまとめて掃除するのです、ところで私にお土産なのです?」
ベルが布に包まれた荷物をコッキーに手渡す、彼女はそれを抱えて不思議そうな顔をした。
「固くて丸いですね、開けていいです?」
「うん」
コッキーが布を広げると眼を丸くした。
中から古風な金属製のホルンが現れたからだ、金属の表面はくすみ傷が無数に付いていたが、それが経てきた長い年月を感じさせた。
「これはメンヤ様のホルンと同じですね、ラッパが戻って来るまでの代わりですか」
ベルはそれに大きく頷いた、ホルンはテレーゼの人々が知っている大地母神メンヤの大地のホルンに形が良く似ていた。
それをルディが話を継いだ。
「神の器が無くなったと思わせない為だ、すでにあのトランペットが疑われている可能性もある、神の器の事など誰も詳しくは知らん、形が変わっても勝手に解釈してくれるさ」
コッキーはそのルディのいい加減な言葉に僅かに眉をひそめた、だがすぐに気を取り直した。
「わかりました大切にします、ありがとです」
コッキーはホルンを取り出すと胸に抱える。
「吹いていいですか?」
コッキーは皆を見回したが異論も無いのでマウスピースを形の良いすこしポッチリした唇に当てる、息を吹き込むと鈍い音がした、だが黄金のトランペットの様な美しい音色は聞こえない。
しばらく吹いていたがやがてコッキーは口からホルンを離した。
「本物とは違います、でもお祭りのホルンに似ています」
「お祭りって?」
ベルがお祭りの言葉に興味を示した、ベルも村祭りに飛び入りで参加するのを楽しみにしていたから。
「ベルさんリネインの近くの村祭りです、占いで選ばれてメンヤ様のお祭りで吹いた事があるんですよ、でもこんな立派なホルンじゃないです」
「そうなんだ」
「毎年収穫が終わったら祭りをするのです、最後に大地のホルンを吹いて女神様に感謝の曲を捧げるのですよ、そしてお祭りが終わったら冬になるのです」
コッキーはまた可愛らしい唇にホルンを当てる、ふたたび息を吹き込むと柔らかな音がした。
コッキーは微笑むとしばらくホルンを吹き鳴らした、それはどこか温かな心に響く素朴な音色がした、もしかしたらテレーゼの古い民謡かもしれない、やがて演奏を止めると口からホルンを離す。
「とても気に入りました、ルディさんベルさん、そしてアマリアさん、ありがとうなのです!」
コッキーはホルンを布で優しく包んだ。