決戦への道
ラーゼ城市を遥か後ろに見ながら、赤い軍装の軍列が白地に赤竜の旌旗をはためかせ街道を西に進んで行く、その街道の遥か先はハイネの北の護り城塞都市マルセランだ。
マルセラン方面から絶え間なくやってくる伝令が、刻一刻とグディムカル帝国軍の動きと味方の情勢を伝え、その内容は時と共に逼迫して行く。
そして新たな伝令が遥か後方の王都ノイクロスターに向けて放たれる、そして眼に見えない精霊通信の短文が無数に飛び交っていた。
それらは移動中の大本営の馬車の中で整理され総指揮コンラート将軍と幕僚達に伝えられる。
「我が軍前衛は本日夕刻マルセランに到着予定」
「ハイネ軍は全軍マルセランに後退した模様、現在マルセランの防衛に配備され、千名程がハイネの守備に向かいました」
「グディムカル軍別働隊、街道南下後に陣地構築を開始したもよう、マルセランの北約三十キロの地点です」
「グディムカル軍、前衛部隊がグリティン山脈を越えこちら側に布陣を開始した模様、すでに山中の街道はグディムカル軍で溢れているようです」
士官たちが報告を絶え間なく伝え、馬上の総指揮官コンラート将軍はうなずきながら士官達の報告を聞き流していた。
「トールヴァルド五世、早朝グディムバーグ要塞を出た模様です」
大柄で馬が小さく見える程の熊の様な大男がギョロ眼を見開いた、コンラートは初めて声を発した。
「なんだと!?早いな」
するとコンラートの副官で細身のブルクハルト子爵が応じる、先程まで彼も将軍と共に静かに報告を聞いていただけだった。
「閣下一日ほど状況の把握に使うと考えておりましたが、一泊しただけで進むとは」
「兵力が集まっておれば別働隊だけでも叩いておけるものを!」
コンラートは大きな拳で鞍を叩く。
「将軍、敵はそれを計算していたのでしょう、遅すぎても早すぎても都合が悪い、そして現れた別働隊五千の戦力で我々との差が縮まりました」
「うむ」
「敵は我らとの一大決戦を望んでいる、小官はそう考えます」
コンラートはそれに大きくうなずいた。
コンラートは大きな太い腕を胸の前で組んで副官を見やった。
「ところでハイネ通商同盟軍をどう見る?ブルクハルト」
「グリティン山脈の戦いは見事なものだとの事、士気は低くはありませんがいかんせん寄せ集めです閣下」
「軍としては機能しないか?」
「当てにできるのはハイネ軍四千、いや三千のみでしょう、テレーゼ諸侯軍は各地の防衛に従事しておりますが二千ほどマルセランに集結しております」
そこにまた士官が報告に現れる、だがその若い士官は幾分慌てていた、マルセラン守備隊との連絡士官の姿に本部に緊張が走る。
「報告いたします、マルセラン近郊に小規模なグディムカル帝国騎兵が現れた模様、現在詳細調査中!」
その報告に本陣にどよめきが生じた。
「閣下、圧力をかけつつ偵察でしょう」
「だろうな、マルセランの護りは五千を越えている強襲で落とすのは無謀、小勢力だからこそこちらの監視網をすり抜けたのだ」
コンラートの野太い声は辺りに良く響くこれで動揺が静まった。
そしてアラティア軍の前衛がマルセランに到着すれば一万五千近い軍が集結する事になる、簡単に崩せる数では無くなる。
「予定通り街の北方に前衛を展開させる命をだせ」
コンラート総司令は最終的な決断を下した、もともと想定としていたシナリオは消え、選択肢は残り少なかった、それがマルセランを背にしての布陣のシナリオだった。
「ハイネに派遣した増援をマルセランヘ向かわせろ、向うにハイネ軍と諸侯軍の一部が入るなら問題あるまい」
山脈のこちら側に新たに現れたグディムカル軍別働隊のハイネ奇襲が消えた今、アラティア軍によるハイネへの後詰は不要と判断したのだ、士官を呼び出すとコンラートはそれを発令した。
少しでも戦力を決戦場に集めたい。
連合国軍とグディムカル帝国軍の一大会戦へとすべてが動き初めようとしていた。
木々に覆われ日も差し込まない深い森の中の道を軍が進んでいく、木漏れ日が旌旗を照らすたび白地に黒い飛竜が浮かび上がる、その旗は有名なグディムカル帝国軍の軍旗だ。
長い兵の列が続くとその後ろから輜重部隊が続きそれを何度も繰り返した。
街道は石畳みで舗装されていたが馬車がすれ違う幅も無い、道は緩い勾配で蛇の様にうねりながら昇って行く。
北側の斜面からグディムバーグ要塞の雄大な姿が見下ろせた、そして広大なグディムカルの大地を遥か彼方まで見渡す事ができる。
緑豊かな風景はどこか涼しげで寂しげだ、ここからでは荒廃した街も村も見ることはできなかった。
やがて一際華美な軍列が姿をあらわす、その華麗な飛竜の旌旗がグディムカル帝国軍の大本営の在り処を顕す。
黒を基調とした軍装の騎士たちと兵士達に黄金の飾りが美しい、その皇帝親衛隊のなかほどに黒き馬上に稀代の英傑皇帝トールヴァルド五世の姿があった。
彼の後ろから未来の帝国の軍事を支える側近候補達が馬を連ね、その中に若き帝国騎士ヴィゴもいた、彼は英雄グルンダルの弟と世に知られている。
そして彼らの周囲を精鋭の中の精鋭の騎士たちが護りを固めている。
「陛下」
背後からの呼びかけにまっすぐ前を向いたまま皇帝は答えた。
「何だ?グラウン」
呼びかけたのは今回の遠征に従軍した古参の家臣、エメリヒ=グラウン伯爵その人だ。
背の高い男で無駄なく鍛えられ、すでに老境に入っているが衰えを知らず、灰色の瞳とその眼光は鋭い、彼もまた黒に黄金が栄える美しい軍装に身を固めている。
「敵は総司令部をハイネに設けるようですな」
「王族を前線にはだせまい?」
トールヴァルドはおのれを棚に上げてそう返して来た、グラウン伯爵はそれを聞いて苦笑いを浮かべる、主人が絶えず前線で戦い続け自分もその側にいたのだから。
「連合軍総司令にホーエンヴァルト殿下が決まり、ハイネ王城で全体の指揮をとるようですな、前線指揮官はアラティアのコンラート将軍、副将にセクサドルのドビアーシュ将軍が決まりましたぞ」
「やっと決まったか遅い」
トールヴァルドは無感動に切り捨てた。
「カルマーン大公が急に倒れましたからな」
そしてグラウン伯爵は静かに馬を主君に寄せた、気配に気づいた彼は初めて振り返る、こんな時は周囲にはばかられる密談をする時と決まっている。
慣れた物で側に控えていた馬上の魔術師が無言で防音障壁を展開した。
「何事だ?」
「アルムトの聖霊教会総本山が非常大司教会議を招集いたしました、これは三百年ぶりとなります」
「聖戦の宣告だな」
「ご推察の通り、大聖女の選定に絡んで紛糾していたようですがここに来て決まったようで」
「ふん、実際に各国が動くわけではないが、参戦の大義名分をばらまいてくれるか」
「ところで聖霊教の大聖女は決まったのか?」
グラウン伯爵は首を振った。
「アンネリーゼ=フォン=ユーリン派と、アウラ=フルメヴァーラ派の間で今だに割れております、庶民の人気は圧倒的にユーリンでしたが、フルメヴァーラも各地の巡見使に加わり人気も高まっているようですな」
アンネリーゼは聖霊拳のグランド・マスターとしてすでに生ける伝説と化していたが、アウラもその圧倒的な美貌と白銀の髪で人々を魅了している、そして彼女は優秀な上位魔術師でもあるのだ。
「しかしアンネリーゼでは先陣を切って突撃してくるのではないか?」
トールヴァルドは楽しそうに笑う、めったに見せることの無い笑みだ。
「まさか聖女が?いやありえますな陛下」
グラウン伯爵も苦笑いをする。
「手は打ってきたのだ、いつまでも人を道具としか思わぬ奴らの思いどおりにはさせん」
トールヴァルドの言葉は聞き取れない程小さい、グラウン伯爵は聞き漏らさぬ様に意識を集めたが主君の言葉を捉える事ができなかった。
「グルンダルが喜ぶだろう、奴はその化け物と戦いたがっていたからな」
トールヴァルドの言葉はいつもと変わらなかった。
「陛下にかかれば聖女も化け物ですな」
グラウン伯爵は声を立てて笑った。
「俺はユールの民だ聖霊教の聖女に敬意など払わん」
トールヴァルドが本気か冗談なのか解らず、グラウンは当惑し曖昧な笑いを返す。