デートリンゲン嬢への秘密の依頼
「前にルディガー様がいらした宿屋はこの近くでございましたね?」
アマンダが街並みが変わり始めた事に気づくと、ベルの頭越しに先頭を進むルディに話しかけた。
ベルも周囲を見回すと豪邸が少なくなり庶民の街並みに変わりつつあった。
「ハイネの野菊亭の事か?顔を知られているので避ける事にした、彼らに迷惑をかけるやもしれん」
「かしこまりましたわ」
「ルディもうすぐ中央通りに出るよ、どっちに進む?」
ベルが前方を指さした。
「そうだな右に進もう、中央広場に重要な建物が集まっている、アマンダにも頭に入れてもらおう」
「ありがとうございますルディガー様、ハイネの様子を父上達に伝えなくてはなりませんから」
「ああ・・・」
ルディはそう言ったきり歩きながら何か考え事を始めた。
アマンダは主君の思考を妨げる気はないのか返事を促す事もなく最後尾から着いて歩く。
「この前馬車が沢山いたのに少ないね」
ベルの声でルディは我に返った、大通りの様子を見てから軽く眼を見張る。
「おお、たしかにそうだな」
ベルが言う通り先日まで積荷を満載した馬車が大通りを満たしていたからだ。
すぐにアマンダが理由を思いついた。
「市街を避けたのではありませんか?ルディガー様」
「渋滞を避けてハイネ市を迂回しているのかもしれんな」
そして三人は中央広場に向かう、この中央通りの反対側はハイネの南東区で庶民が生活する地域だ、無数のアパートと商店街が混在しひしめきあう活気のある街だ、それでも比較的ましな生活をしている人々が多い、旧市街の工業地区や商業地区で働く者が多いのだ。
本当に貧しい人々は城壁の外側の新市街に住んでいる。
そしてハイネを東西に貫く大通りには数人の隊を組んだ警備兵が巡回している姿が目立った。
やがて中央広場に出る、ここでハイネを南北に貫く大通りと交差し大きなロータリーになっている、広場は石畳みが敷かれ中心部の一段高くなった場所に池が見える。
この施設は卓越したハイネの水道設備を誇示するために作られたと言われていた。
三人は大広場の入り口で立ち止まった。
ルディは大広場を囲む重要な建物を説明しはじめた。
「アマンダ左の緑の屋根の三階建ての建物がハイネ魔術師ギルドだ」
そこに濃い沈んだ灰色の色味の石造建築が立っている、屋根のくすんだ緑色の屋根が異彩を放っている。
「名前だけは知っていましたが、思ったより小さいですわね」
ルディはどう答えようかと困惑したが先を続ける。
「中央通りの西側にあるのがハイネ評議会だ、そして正面の赤レンガの建物がコステロ商会の本店だ」
二階建ての古風な建物で中央に大きなドームが見えた、これがハイネ評議会の建物だ。
コステロ商会は赤みのかかった煉瓦の三階建ての建物で新しい、煉瓦は最近流行りの建材なのだ。
「あれが悪名高いコステロ商会の本店なのですね・・・こんなところに堂々と、テレーゼは無法の地ですわ」
それにベルが答える。
「僕たち一度中に入った事あるんだ」
「何ですってベル!!あら前に少し聞いた様な気がしますわね」
「そうだよコステロ商会の商隊を野盗が襲って撃退した、アゼルが奴らの治療を手伝ったんだ」
「思い出しましたわ、半分の数で野盗を撃退したのでしたわね」
それをルディが継いだ。
「奴らは優秀な護衛に護られていた、サンティ傭兵隊だったか、隊長のツテでコステロ会長に会えたのだ」
「コステロ会長はどのような人物でしたの?」
「胡散臭い男だ、だが部下をしっかりと統率しているようだ、危険な男を護衛にしていたよ」
ベルはこの言葉で若い剣呑な顔の男に暗器を没収された時の事を思い出す、そして目の前に迫ったコステロ会長から感じた違和感を思い出した。
「あの時瘴気の気配を感じたんだ、でも今ならはっきりとわかる、あの時嫌な感じがするとしか思わなかった」
ルディとアマンダの視線がベルに集まった。
「では死霊術と関わりがあるのでしょうか?ルディガー様」
「状況からそれだろうな、先ほどの虫と闇妖精の事もある、さてジンバー商会に行こうか」
だがベルが動かない、彼女はハイネ魔術師ギルドの方を見詰めている、ルディガーはそんなベルに不審を感じた。
「どうしたベル?」
「今、魔術師ギルドに知っている人が入って行った様な気がした」
「誰だ?」
ベルはルディに向き直る。
「前に戦った事のある女魔術師に似ていた、少し太った女の人だよ」
「ピッポとか言う胡散臭い男の仲間だな」
ベルは頷いた。
アマンダはしばらく記憶を探っていたが思い出した。
「思い出しましたわ、ルディガー様の魔剣を盗みコッキーを誘拐した者達ですね?」
「そうだ」
「調べますか?ルディガー様」
「アマンダ、内部は魔術結界が張り巡らされているのではないか?」
「ルディたぶんそうだよ、でも僕がジンバー商会に潜入した時は魔術結界を避けた」
「ベルかわしたのか?」
「うん全部回避した、僕には魔術結界が見える」
三人は顔をお互いに見合わせた。
そして大広間の反対側にいた警備隊がこちらを見ている事に気づいた、こちらを怪しみ始めたのかもしれない。
「南の大通りに向かうぞそこから裏道に入る、ベル中に潜入できそうか?」
「ええ?やって見ないとわからない」
「わかった、取り敢えずここから動こう」
三人は大広場を南に進み魔術ギルドの前を通過すると、ハイネを南北に貫く大通りに向かって歩きはじめた。
テへペロは魔術師ギルドの受付窓口の前に立っていた。
「こんにちわゼリー」
そう呼びかけると石版の内容を羊皮紙に書き写していた窓口担当の魔術師ゼリーが頭を上げる、来客がテヘペロと気付くと黒縁メガネ越しに茶色い瞳が光る。
ゼリーは笑顔をテへペロに向けた。
「おはようございますシャルロッテ様、何か御用でしょうか?」
「ギルドマスターから呼び出しがあったのよ、何かしらね?」
「あら私は何も・・・お持ちくださいすぐに確認いたします」
ゼリーは足早に奥に引っ込んでしまった。
テヘペロは職業紹介所の中を見まわす、人が少なかった女魔術師が二人いるだけだ、彼女達が刺すような視線を向けてくる、テヘペロはそれを鼻で笑うが彼女達と関わり合いになる気は無い。
しばらくするとゼリーが戻ってきた。
「シャルロッテ様こちらへ、ギルドマスターがお待ちです」
ゼリーはギルドの奥に繋がる通路にテへペロを導いた、すると更に灼けるような視線を背中に感じた、テへペロはなぜか人の感情を視線から感じる事ができるのだ、その灼けるような感触は嫉妬に間違い無い、いつのまにかテへペロは薄っすらと微笑を浮かべている。
卓越した炎の魔女にとって慣れっこな刺激にすぎなかった、そして凡庸な者達の感情を本質的に理解出来ないのだ。
「この部屋でございます、後からマスターがお見えになります」
ゼリーがいつの間にかこちらを振り返り見詰めている。
彼女の表情に僅かに訝しむ気配を感じたのでテへペロは心を引き締めた。
彼女が扉を開くとそこは小さな応接間だ、壁は蒼を基調とし百合の花の徽章に彩られ、上品なテレーゼ風の調度品で整えられている。
そのまま高級な革張りのソファーに導かれる。
テヘペロは真鍮飾りの豪華な帽子掛けに自慢の鍔広帽子をかけようとしたがうまくいかない、大きすぎてバランスが悪くすぐ落ちてしまう、すると小さな笑い声が聞こえた。
テヘペロが驚いて振り返るとそこに澄まし顔のゼリーがいる。
「シャルロッテ様、その台の上に置いてください」
部屋の隅にテレーゼ風の豪華なキャビネットがあった。
「ありがとうゼリー」
「ではマスターを呼んでまいります」
テヘペロが帽子を台の上に置いてソファーに深く腰を下ろすのを見てからゼリーは一礼すると立ち去った。
「いったい何のようかしら、いやだわ少し面倒な予感がするわね」
テヘペロは部屋の豪華な調度品を品定めしながら独り言をする、この部屋の格からかなり重要な用件だと推測できるからだ。
しばらくすると部屋の外が少し騒がしくなり足音が部屋の前で止まった。
ゼリーの先導でギルドマスターのカレル=メトジェイと腹心のボリス=アンデルが部屋に入ってきた、ギルドマスターのカレルはまるで巨大なボールの様な体形をしている、そして手足が不釣り合いに長く細かった、何度見ても見慣れる事が無い、それでもこの男はハイネ有数の上位魔術師なのだ。
逆にボリスは縦に長い細身の壮年の男でギルドの実務のトップだ。
テヘペロは無意識に立ち上がり貴婦人の礼をとった。
彼らとは面識はあるので話は早い、二人はテヘペロの向かいの席に座った、するとゼリーは一礼し退室して行く。
テヘペロは一瞬だけ彼女を呼び止めたくなった。
テヘペロもソファーに深く腰をおろして一息つくと彼女から話を始める事にする。
「私になんの御用かしら?」
社交辞令抜きの端的な話の進め方に二人は一瞬当惑したが、すぐにカレルは笑い出す。
「では本題にはいりましょうテヘペロさん」
テヘペロは眉を上げ平静を装った、本気で調べれば自分がテヘペロと名乗っていることぐらいわかるはずだ。
「あらまあご存知でしたのね、私のプライベートを探るなんてあまり趣味が良くありませんわ」
「申し訳ない、この街では個人の事情に深入りしないお約束ですが、そうも言っていられない事情が生まれまして」
「あら、それは?」
テヘペロは素早く頭を回転させる、そしてコステロ商会が関係すると当たりをつけた、だが話は彼女の想定外に転がって行く事になる。
「貴女もご存知のはずですが、大きな戦が近い」
「ええそれと私とどのような?」
カレルはテヘペロを手で抑えるように宥めた。
「まあ、最後まで話を聞いていただきたい」
その話はテヘペロの予想を遥かに越えていた。
グディムカル帝国を迎え撃つ連合軍の総司令部がハイネに設けられ、セクサドル王国の王族アウスグライヒ=ホーエンヴァルト王子が連合国軍総司令官としてハイネ市がお迎えする事になった事。
そして殿下の相談役として女性の魔術師が必要で、条件として美しく教養があり卑しい身分ではない事が求められているとの事だ。
テヘペロはだいたいの事情を察して呆れた、カレルは歪曲な表現を多用したが、だいたい何が求められているのか理解できた。
「もしや女魔術師でなくても良いのではありませんか?」
カレルは苦虫を潰したような顔をしてから乾いた笑い声を立てた。
「ハハッ、報酬ははずみますよ望むなら地位でも、もっともハイネ評議会で出せる地位ですが」
「しかしなぜ私が?」
カレルはまた困惑してボリスを見た、その眼はお前なんとか言ってみろと語っていた。
「向うから提示してきた条件を貴女様が満たしておりました」
ボリスは白髪交じりの頭を片手で掻いた。
「呆れたわね・・・」
テヘペロは胸の中で嫌悪と野心が渦巻くのを感じていた、自分の野心の為なら手段を選ばないはずなのに、なぜか気分が少し悪くなる。
テヘペロはふと頭の上が気になったので天井を見た、自然な木の素材を生かした暗く沈んだ茶褐色の天井板が見えるだけだ。
「どうかされましたがお嬢さん?」
カレルはテヘペロの変化が気になったのか声をかけてきた。
「いいえなんでもないわ、少し気分が悪いだけ」
テヘペロは力なく笑った、その笑みを見た二人の男は驚いたような顔をした。
しばらくしてからテヘペロはカレルをまっすぐに見た。
「条件によりますが受けますわ、高貴な方とお近づきになりたいと想いますの」
テヘペロは心にも無い言葉を紡ぐと微笑んだ。
気分が更に悪くなり視界が暗くなった、その瞬間目の前が赤一色に包まれた、それは炎の色だ部屋全体が燃え上がるかの様に。
「ああっ」
思わず悲鳴がテヘペロの口から洩れた。
「どうかされましたか、デートリンゲンさん?」
その言葉に気づくとカレルが心配そうにテヘペロの顔を覗き込んでいた。
部屋の中はまったく異常はなかった、そしてテヘペロは全身冷や汗をかいていた。
「あらゴメンなさい、なんともないわ」
テヘペロは息を整えるとカレルに笑いかけた、その微笑みは僅かに引きつっていた。
その時天井が僅かにきしんだが誰も気づくものはいなかった。