偽物の若旦那と使用人とホルン
「精霊王の大地の恵みに感謝いたします」
この中で一番聖句を唱えるにふさわしいアマンダのリードで食事の前のお祈りが始まった、ベルはスープの干し肉の量が少ない事に気づいてスープ皿の底を見詰めていた。
ベルの変化にコッキーは目敏く気づく。
「ベルさん、しばらく節約する事にしたのですよ」
ベルは顔を上げてコッキーを見る。
「そうか戦争だものね」
「はい、ハイネが勝てばいいのですが、何が起きるかわからないのですよ」
その日の朝食はなんとなく気まずい空気のまま静かに終わった。
そしてルディとベルがハイネ市街に買い出しと情報収集に出る事に決まる、アゼルとホンザは襲撃の準備を行い、高齢のホンザは先日の戦いの消耗がやっと癒えたところだ、魔術陣地の維持と回復に備える事になった。
そしてコッキーは留守番で二人の魔術師の護衛として残る事になった、彼女も神を自らに降ろした影響なのかあまり調子が良くないらしい。
コッキーはホンザとすっかり打ち解けていた、暇な時は魔術陣地の外を偵察しながら過ごすと言う。
そしてアマンダはお目付け役としてルディとベルの二人と行動を共にする事に決まる、ベルは微妙に嫌な顔をしたがアマンダにスルーされてしまった。
そして準備を整えるとルディとベルとアマンダの三人は廃屋敷の魔術陣地を後にしてハイネ市街に向かった、すでに陽はのぼり相変わらずテレーゼの空は蒼く深い、三人は静かな森の小道をひたすら北を目指した。
ルディはいつもの若い裕福な商人風の服装で背中の大剣を珍しく外していた、ベルは高級使用人の制服で身を包み主人の後から慎ましく進む、すぐ後ろに汚れた白いローブで全身を包み、大きな薬の行商人の扮装をしたアマンダが続いた、非常に奇妙な一行だがこのあたりは人の気配も無く行き違う通行人もいなかった。
「殿下、やはりその御姿はあまり似合いませんわ」
アマンダが背後から声をかけてきた。
「そうなのか、古着屋で手に入れた物だが?」
「服装は商人の若旦那に見えますが、殿下は姿勢が良すぎるのです、貴族か騎士が商人の扮装をしている様に見えますの」
「ベル、お前は思わなかったのか?」
そこでルディからベルに話が振られたので彼女は顔をそらす、これは心にやましい事がある時の態度だった。
「ベルおまえもそう思っていたな?なぜ言わなかった!」
ルディは怒ったがその眼は笑っていた。
「思っていたけど、面白いしルディが自分で気づくまでそのままでイイかなって思ってた」
そしてさらに目を逸した。
「ベル!!それが臣下の態度ですか?世を忍ぶ立場とはいえそれを弁えなさい!!」
だがそれに怒ったのはルディではなくアマンダだった、ベルは思わず背後を振り返る。
アマンダの白いローブ姿が蜃気楼に包まれた様に揺らいだ。
「冷静に!僕が悪かったよ、ルディってどこかズレたところがあるんだもの」
「しょうがない娘ね」
前を向き直ったベルはペロリと舌をだした、背後からアマンダのため息が聞こえる。
「ズレているのは貴女も同じだわ」
続くアマンダの言葉に今度はベルが怒り始める。
「どこがだよ?清楚でお上品な大貴族の使用人に見えるだろ?クラスタ家の使用人とか観察したんだ」
「ふーん、わざとらしいのよね、まるで演劇に出てくるお上品な使用人に見えるわ、歩き方から仕草まで」
その指摘にベルは息を飲んだ、何か思い当たる事があるらしい。
「ずいぶん昔の事だけど、貴女と街に出て演劇や大道芸人の芝居を見たの覚えているかしら?登場人物の使用人に似ているのよ」
「そうなの?」
今度はルディを上目遣いに見上げる、ルディはベルに朗らかに微笑んだ。
「なかなか見事な演技だ、たしかにわざとらしく大げさかもしれないが魅力的だぞ、これから直せばいいじゃないか、さあみんな進もう」
ルディに毒気を抜かれたベルとアマンダはふたたび静かに歩み始めた。
それから一時間を過ぎた頃、ハイネの新市街の南の端が見えてくる、新市街は城壁に囲われておらず、戦時には真っ先に焼かれる事になるだろう。
それが解っていても人々はそこにいる、荒廃したテレーゼ各地から流れて来た人々がここにいるのだ、故郷を失った彼らに行くところなど無かった。
一握切りの富を得た者、縁者が他の地にいる者は既にこの街を後にしていた。
「アマンダこっちだよ、サビーナさん達の聖霊教会の跡だ」
新市街の外れに到達すると街路を左に曲がった。
南の聖霊教会の修道女サビーナとファン二と孤児達はアラセナで新しい生活を始めていた、アラセナまで彼女達の護衛を務めたのがアマンダだ。
アマンダはアラセナに帰る度に彼女達の様子を見る為に聖霊教会を訪れるらしい。
だがアマンダは彼女達がいた聖霊教会の事は知らなかった、ついでにその場所にアマンダを案内する事になったのだ。
しばらく進むと建物のない空間が現れる、綺麗に何も無い石の土台だけが残っていた、石材はすべて焼け焦げている。
「何も残っていないのね」
アマンダの呆然とした言葉にベルは気まずそうな顔をした、念入りに放火したのはベルなのだから。
「この道を進むとセナ村があるんだ、僕たちは前はそこのお屋敷にいたんだ」
話題を変える様にベルが南に進む細い道を指差した。
「この先にセナ村があるのね?そうだファンニさんの手紙を持ってくれば良かったわね、セナ村にご家族の方がいらっしゃるのよね?」
「村の顔役で大きなお屋敷の娘さんだよ」
「サビーナさまのご家族は?あの方はあまり触れてほしくないように感じたわ」
「詳しい話は聞いてない、子供の頃に戦乱で新市街に流れてきたような話を聞いてるけど、新市街にいるのかもしれない」
「わかったわ、戻ったら聞いてみるわね」
ベルはそれに頷いた。
「心配だわ」
アマンダが呟いた。
「ああ戦が近い、さあ行こうか」
ルディに足されれ三人は聖霊教会の跡地を跡にして旧市街を目指す。
新市街は人通りが少なくいつもにぎやかな露店の客引きもまばらで閑散としている。
やがて南西の城門に到着したが城門の警備は何時にもまして厳しくなっていた、城門だけでは無い普段は無人の楼閣の窓が開かれ兵が配備されている。
そして城門を出入りする人と荷物は厳重に取り調べを受けていた。
三人も例外なく警備兵に念入りに調べられた、特にアマンダは薬箱の中身を調べられたが警備兵は呆れた顔をしただけで通行許可を下した、だがベルは派手な使用人服の上から細い腰に帯剣ベルトを締めグラディウスを下げていたせいで胡散臭い目で見られる、脅威と思われて居ないようだが不信を抱かれたらしい。
そこでルディがベルのかわりに説明を始めた。
ルディはかなり砕けた態度で警備兵に話かける。
エルニアのリエカの大商人の名前を出し自分はその当主の息子だと名乗る、有名な豪商の名前でベルも面識があったので内心呆れた。
「この姿は格の高い大貴族の使用人を側に置いて見たいと言う俺の道楽なんだ、それに彼女は私の身の周りの世話をしてくれるし剣の腕もなかなか立つ」
警備兵達はいかにも育ちの良い若旦那と帯剣した倒錯的に美しい使用人服の女性を見比べて何かを察したように頷いた。
とどめにルディは銅貨を警備兵達に握らせた、それは多すぎもせず少な過ぎもしない、多すぎてもかえって不信を抱かれるからだ。
そして三人は城門を騒ぎを起こすこと無く通過する事ができた。
「若旦那と使用人の設定は止めた方がいいかも」
旧市街に入ってからベルがささやく。
「なぜだ?ベル」
それをルディは聞き逃さない、だがルディの口調は何かをおもしろがる様子だ。
「気づいたんだ、絶対嫌な想像された」
「今まで気づかなかったのか?金持ちの人の良さげな放蕩息子と若い女性の使用人だぞ?」
「・・・・」
「お前のアイデアじゃないか、大商人の名前を使うだけで嫌がらせを抑え、賄賂を使っても怪しまれない、そして無害と思わせる事ができる」
賄賂で局面を突破できる時に乞食の扮装ではそれは不可能だ、戦士や魔術師は警戒される、それでいて旅をしても不自然では無い存在、金持ちの商人の馬鹿息子は理想的な姿なのだ。
商人以外となると旅芸人や吟遊詩人や聖霊教の修道僧あとは薬売りぐらいしかいない。
「それはそうだけど、考えてなかった」
ベルの頬は少し赤らんでいる、ルディはそれを見て僅かに驚いたがベルは気づかない。
アマンダのため息が聞こえてきた。
「小さかった貴女にお芝居を見せたの間違いだったかもしれないわね」
ベルは何も言わなかったアマンダの答えを聞きたくなかったからだ。
そのまま三人は旧市街の北西地区を目指した、比較的裕福な人々の為の商店が集まる、そして有名な魔術街がある一角だ、三人はベルがドレスを修繕した高級服飾店がある通りを目指す、だが今日はその店に用は無い。
「あった骨董屋だ、よかったまだ開いてる」
ベルは骨董屋の看板を指差す、その絵柄はロムレス時代の金属製の容器を模したものだ。
三人が中に入ると店主は売り物を整理しているところだった。
「すまんな店主」
店主は奇妙な客に驚いたがすぐに態度を改める。
「申し訳ありません、店仕舞をしておりまして、扉を閉めるのを忘れていた私の手違いですな」
「このご時世だからな」
ルディは苦笑した。
「ところで何か御用でしょうか」
「ああ、ここに旧い時代のホルンがあったはずだ、それが欲しくてな」
「ホルンですか?たしかに御座いますが」
店主はそれに不信を抱いた様子だ。
若旦那は使用人に来るように促す、すると美しい使用人が店主の前に進み出た。
美しい使用人は美しい声で語り始める。
「お店の展示窓に旧いホルンが飾られていたのを見たことがありますの、旧い楽器を集めるのが趣味でして、でも我がままと思うと旦那様に言い出せなくて、でも万が一の事があれば」
そこで若い使用人は言葉を濁した、すると少しにやけ気味に使用人を見ていた店主の顔が変わる。
「確かに、あなた方はこの街の御方では無いようですな、少しお待ちを!」
店主は急いで荷物の山をかき分けると古いが立派な革張りのケースを取り出してきた、それを使用人の前に持ってくると蓋を開く、中に単純な作りの小ぶりの金属のホルンが納められていた。
かなりの年代物で錆が浮いて細かな傷が無数に生じていたが保存状態はかなり良い。
「これで間違いはございませんか?これはテレーゼの南西のエッサラで発掘されたものです、400年前に作られた一品ですよ」
若旦那はそのホルンに展示窓の値段通りの額を気前よく支払った、店主は手のひらに乗せられた帝国金貨に目を見張る。
それを大切にしまい込むと穏やかな微笑みをうかべる。
「商人は利を求めるものですが、売った物が世の為になるのなら喜びは倍になるものです、いわんや歴史的な価値のあるものです、生き延びて後世に残ってほしいと願うものです旦那とお嬢様」
「貴方はこの街に留まるのか?」
若旦那の疑問に店主は苦笑いを浮かべた。
「テレーゼは治安が悪いのです、信用のおける護衛を雇えないと護衛が強盗に変わりますよ、ははは」
「ではこれは?」
若旦那は梱包された商品の山を眺めまわした。
「大きな声では言えませんが地下室に隠してから階段を埋める予定ですよ」
店主は半ば諦めた様に肩をすくめた。
目的を一つ達成した三人は店を出て閑散とした街路に出る。
「次は愛娘殿の店があった場所に行くぞ」
若旦那が後ろを振り返ると後ろの二人を促した。