お茶の時間
夜の闇に包まれたハイネ=ヘムズビー街道を囲むように無数の篝火が取りまいて輝いていた、白い天幕の群れがオレンジ色に照らし出され、隙間に獅子の軍旗が林立していた。
セクサドル軍の野営地は昨晩より警備が厳重になり、兵達は気を張り詰めて周囲の闇の向こう側に厳しく睨みを効かせている。
そんな野営地の中心に一際厳重に護られた大きな天幕があった、篝火に煌々と照らしだされ昼間の様に明るい。
その光の中に絢爛豪華な獅子の大軍旗が掲げられ、軍旗の金糸が光を反射し輝いた、その大軍旗こそセクサドル軍の大本営の所在を示す。
やがて大本営の天幕から疲れた様子の青年士官が一人姿を現す、彼は一度立ち止まると背伸びをしてあくびをしたので、大本営の衛兵が厳しい視線を彼に向けたが、その青年士官は気にもせず自分の天幕に足を向けた。
彼の薄い赤みを帯びた金髪が鈍く篝火の灯りを反射した。
「戻ったぞ」
アンブロース=カメロは天幕の中に呼びかけて入り口をくぐる、薄暗い天幕の中で折りたたみ椅子に腰をかけてオレクは居眠りをしていたが、カメロに気づいたのか慌てて背を伸ばす。
「おまえか、どうだった?」
「すでに手配を済ませたそうだ、上もいろいろ考えていたようだ」
そう言いながら自分の椅子に座る。
「たしかカルマーン閣下が連合軍総司令、前線部隊の総指揮はアラティア側が取る予定だったんだよなぁ」
「ああ内密にアラティアと取り決めていたんだ、だが我軍の総司令が殿下に変わってしまった、ハイネに総司令部を下げる案は採用されたよ、余計な口出しできない様に殿下と取り巻きを接待漬けにする、それはハイネが引き受けてくれるそうだ」
「羨ましいぜ、大きな声では言えないが殿下のアレコレ伝えたのか?」
「国の恥だが殿下に余計な事をさせないなら安いものだ、俺たちの命がかかっているからな」
「でも男の夢だよな羨ましい」
オレクはまんざら冗談でもなさそうにつぶやいた、酒と料理と女に囲まれた夢のような生活を妄想したのだろう、カメロは友人を普段から良く観察していた。
「前線部隊の司令はアラティアのコンラート将軍、副司令は我軍のドビアーシュ閣下になるだろうな、正式な公布は向うに着いてからだ」
「まあ、それが落としどころか・・・」
「連合軍の前線司令部は予定通りマルセランに設けられる」
「殿下をハイネに隔離できるなら予定どおりだな、俺も酒と料理と女に囲まれたいぜ」
オレクの頭の中が予想通りだったのでカメロは苦笑いをうかべると残った仕事に手を着けた。
やがて妄想から醒めたのかオレクはまたカメロに話しかけてきた。
「向うの状況はどうなっている?」
カメロは仕事の手を止めた。
「ハイネ軍はグリティン山脈から撤退しマルセランまで下がりつつある、かなりの物資を放棄したらしい、砦や防護柵を焼く煙が山の至る所から上がっているそうだ、山火事も発生しているとさ」
「敵は?」
「こちら側に現れた部隊はやはり東に向かっている、山越えを支援する目的だ、グディムカル軍も急速に前進をはじめたぞ、そして皇帝の本隊も明日にもグディムバーグ要塞に入るだろうな」
「コリャ野戦になるなカメロ」
ぼそりとオレクがつぶやいた。
「ああ大会戦になる、両軍合わせて十万を越える大軍がテレーゼ大平原で激突する」
カメロの声は僅かに興奮をはらんでいた、それに目ざとく気づいたオレクは気がかりな顔で友人をみ見つめていた。
セクサドル軍の野営地から遥か東方、ハイネ市の南の新市街に高い壁で囲われた一角があった。
貧しい人々の住む街に囲まれたそこに煉瓦造りの建物と倉庫の群れと傭兵隊の駐屯地がある、そこに美しい小さな人工の森まで整えられていた、その中に小さな白いゲストハウスの屋根が見える。
その広大な区画に悪名高いコステロ商会の施設が集まっているのだ。
森の中の小さなゲストハウスは今は闇妖精たちの住処になっている、もちろんその館にいるわけではない、僅かにずれた世界に築かれた魔術陣地の中で彼らは息を潜めていた。
二階の広いリビングの白い瀟洒なテーブルの前にエルマが絵本を眺めていた、腰まで波打つ薄い金髪が魔術道具の青白い光を反射して幻想的に輝く。
「エルマお嬢様、お茶の時間でございます」
「ひえっ!!」
後ろから急に声をかけられたエルマは悲鳴の様な声を上げた、そして声の主を見て呆れたような顔をする。
そこにポーラの使用人の制服を着たドロシーがいた、彼女はティーセットを運ぶ豪華な木製のティートローリーを軽々と片手の手の平で持ち上げ、まったくバランスも崩さずに平然と立っていた、大の男でも持ち上げる事すら困難な代物なのに。
トローリーの豪華な真鍮の車輪が美しく輝き不思議と絵になっている。
「まだ使用人ごっこしているのドロシー」
「誰?ドロシーは死にました・・・それに新しい服が来るまでこのまま、迷惑?」
エルマは慌てて頭を横に振っる。
「でもドロシーのお茶とお料理って」
エルマはその先を言い淀んで口を閉ざしてしまう。
「美味しいでしょエルマ?」
ドロシーの瞳が力を孕むとエルマは気が遠くなった、そして無意識に頷いている、闇妖精の高位眷属ゆえにかえって彼女に逆らう事ができない。
「お、美味しいわ、あのどこで覚えたのかしら?闇妖精のお姫様なのに」
その圧力から逃れる為に話題を変える。
「昔教わったのよ、昔の話・・・だから貴方達にかわりに作ってあげたいの」
「かわり?」
誰の代わりなのかつい好奇心からたずねてしまった、ドロシーは時々昔の思い出に浸っているかのような言動をする事があるのだ、そんな時に彼女に関わってはいけない。
エルマはドロシーの眷属になって三ヶ月だがそれを理解できる様になっていた、だがそれをつい忘れてしまう事もある。
ドロシーの威圧が更に高まるとエルマは眼を白黒させる。
「わかったわ、お茶にしましょうよドロシー」
「はい!エルマお嬢様」
闇妖精は嬉しそうに微笑むと澄まし顔を作る、模範的な造り笑いはポーラにとても良く似ていた。
「ところでマフダとヨハンは?」
だがそれは一瞬で消えさり闇妖精姫に戻る。
「ヨハンはお屋敷の周りを探検しているわ、マフダはお菓子の研究よ」
「よし呼ぶ」
ドロシーは口を薄く開けると液体の様な濃厚な瘴気を吐き出した、ドロシーが気合を入れると瞬時に拡散し消える。
「ひいっ!!」
エルマは恐怖のあまり悲鳴を上げる。
「近いわよ、それ心臓に悪いんだから!」
「お嬢様ただいま戻りました」
二人が争いかけたところで部屋の入口からポーラの声が聞こえる、二人がそちらを見るとポーラが小さな荷物を抱えてそこに立っている。
「お疲れ様ポーラ」
ドロシーがポーラを労った。
「お嬢様これを何処に置きましょうか?」
ドロシーは片手で持ち上げていた大きなティートローリーを完璧なバランスで床に降ろした。
「確認します」
ポーラはまったく冷静さを崩す事無くドロシーの側に歩み寄る。
「改めください」
荷物を主人に手渡すと金属の板を小物入れから取り出してドロシーに引き渡した、その板を受けとる時にドロシーは僅かに顔を歪めた、そしてドロシーは荷物の中身を確認すると微笑んだ。
「そろっているわ、ご苦労さまポーラ」
「ねえその板は何かしら?嫌な物なの?」
好奇心にかられたエルマがそう尋ねた瞬間ドロシーは重い巨石の様な威圧を発した、先ほどの威圧など比較にならないほと重い。
エルマは喘ぎ意識を失いかけて言葉が出ない、だがその威圧が突然消えた。
「ごめん・・・これは魔術師ギルドの会員証だけどめったに使わない、コステロ商会を経由しないときに使う」
しばらくするとエルマの呼吸が落ち着いた。
「それドロシーの物なの?」
「とっくの昔に死んだ魔術師のカード、古い仕様だけどまだ使える」
「そうなんだ・・・」
聞きたい事はたくさんあったがそれ以上は止めた方が良いと感が働いてエルマは諦めた。
そこに闇妖精の眷属の二人が戻って来くる、ヨハン少年と宿屋の娘のマフダだ。
「なんの用だよ?」
「ドロシーお姉さま何かありましたか?」
二人とも慌てた様子だ。
「さあお茶の時間よ、ふたりともポーラも座りなさい」
すこしドロシーの機嫌が良くなった。
「えっ?ねえちゃんがやるの?ポーラにまかせようよ?」
ヨハンが不平を言うがドロシーの顔を見て表情を真顔に変えた。
ヨハンとマフダは自分のお決まりの席に急いで座る、ドロシーはポーラを強引に自分の席に座らせると、さっそくお茶の用意を始めた、楽しそうなドロシーに引きかえ眷属達の顔は引きつっている。
エルマ達はすがる様にポーラを見て驚く、ポーラは薄っすらと柔らかく微笑んだまま真っ直ぐ前を見ていたからだ。
三人は顔を見合わせてから観念する事にした。