ハイネ魔術師ギルドの一幕
「ほんといやね」
テヘペロは愚痴をこぼすとコステロ商会の魔術会館のエントランスの階段を降りた、お尻の当たりに視線を感じたので背後を見ると若い男の門番がいた、門番は厳しい顔をしていたので微笑んで魅せたが無視されてしまう。
軽く肩をすくめて正門に向かった、すると左の小さな森の小道から急ぎ足で出てくる女がいた。
焦げ茶色の大きなローブで体を隠しフードを深く被っていたので顔は見えない、だが足元に女性用の黒いローヒールが見えたので女性だとわかった。
女はそのままテヘペロを追い越して外に向かって足早で去って行く、だがその後ろ姿になぜか見覚えがある、だが思い出そうとしても思い出せなかった、そこに突風が吹きローブがめくり上がる、その下から古風で品の良い高級使用人のドレスの裾が現れた。
「あっ!」
テヘペロは思い出した、以前ハイネ魔術師ギルドから尾行したコステロ別邸の女使用人だ、名前も聞いた事があるような気もするが忘れていた。
「関わらない方がいいわ、でも」
すでにテヘペロは西の新市街の自分のアパートに帰る気を無くしていた、好奇心にかられ使用人の追跡を開始する。
女はそのまま旧市街の大通りを北に進むと大広場を東に折れる、そのままハイネ魔術師ギルドの緑の館に入って行ってしまった、これでテヘペロは拍子抜けした。
「あらら、でも都合がいいわね」
一人言を言いながらハイネ魔術師ギルドのエントランスをくぐった、廊下はギルドの職員達が箱や荷物を運び騒然としていた、大広間に入ると数人の魔術師達の姿が見える、一番奥を覗くと受付で女魔術師のジェリーと高級使用人の制服をまとった若い女性が話をしていた。
女は焦げ茶色のローブを脱いで抱えていた、間違いなく先ほどまで追跡していた女に間違いない、そのまま二人に近づく。
女魔術師のジェリーが真っ先にこちらに気づいた。
「シャルロッテ様しばらくお待ちください」
ジェリーがそう呼びかけてくる、使用人の女も何事かと背後を振り返ったのでテヘペロは喜んだ。
「あら、このまえここでお会いしましたわね、私はシャルロッテよ覚えていますかしら?」
テヘペロはトレードマークの大きな鍔広帽子を脱ぐと体の前に揃える、使用人の女も訝しげな顔をしていたが急に何かを思い出した様子だ。
「もうしわけありません、すぐ気づきませんでした、私はポーラ、ポーラでございますシャルロッテ様」
だが若い使用人に不気味な何かを感じて慄く、知らずにテヘペロは半歩だけ後ろに下がっていた。
そんな自分自身の行動に驚いてその理由をさぐった、そして彼女の瞳の光とほんのりとした彼女の微笑みに危うさを感じたのだとその原因を突き止めた。
『いやな感じがするわね、何かしら?』
冷静になるとテヘペロは女の容姿や言葉使いから、目の前の若い侍女はそれなりの身分だと改めて確信した、そしてセカンドネームを隠そうとしたと憶測する。
間違いなく彼女は良い家の生まれだが何かが心に引っかかる。
そこに少年の様なギルド職員が小さな木の箱を持ってやって来た。
「ポーラ様、お持ちしました改めください」
ジェリーとポーラが箱の中身の確認を始めた、それが終わるとポーラは箱を抱えテヘペロに別れを告げ魔術師ギルドのエントランスから出ていってしまった、かなり急いでいる様子だ。
それをテヘペロはしばらく見送っていた。
「シャルロッテ様、シャルロッテ様?」
名前を呼ばれていた事に気づいたテヘペロは受付を振り返る、窓口に当惑顔のジェリーがいた、メガネの奥の茶色の瞳が気がかりそうだ、いくら呼びかけても気づかないテヘペロに困っていたに違いない。
「あらごめんなさいね、考え事をしていたわ」
「あの今日もお仕事ですか?」
「違うわ仕事が決まったのでジェリーに教えたくて、でも魔術師ギルド会員なのは変わらないからこれからも顔を出すわ」
ポーラを尾行して来たのだが正直に言うつもりなどなかった。
「おめでとうございます、シャルロッテ様」
テヘペロは微笑んでから真顔になった。
「ねえ二人きりの時は様はいらないわよ?」
「いえ、そうは言いましても・・・」
ジェリーはまた困り顔に変わったので話題を変える事にした。
「さっきの人、高級使用人に見えるけどなぜ下働きの様な事しているのかしら?」
「いろいろ事情があるようです」
テヘペロはジェリーに顔を近づけて声を潜めた。
「もしかして虐待されているのかしら?]
ジェリーは慌てて顔を横に振り声を更に潜める。
「事情はわかりませんが、めったな事はおっしゃりません様に、そして詮索を辞める事を忠告いたします」
「コステロ商会ね?」
ジェリーは沈黙で答える、彼女は態度でテヘペロの言葉を肯定した。
そこでテヘペロは深入りを止めてまた話題を変える事にした。
「ずいぶん騒がしいわねココ」
「シャルロッテ様はご存じですか?」
「何かあったのかしら?」
「まだ噂だけですが、グディムカル軍が山を越えたそうです」
「そうなのね?」
ジェリーはテヘペロの反応に驚いたがすぐに気づく、テヘペロはテレーゼの生まれではない。
「テレーゼとグディムカルの間には山があるのです、敵は山を越えなければテレーゼに入れません」
「そうなのね・・・」
「山で防げないと平地で大きな戦いになるのです」
「あっ、だから大騒ぎなのね?」
「はい」
テヘペロは騒然とした廊下の入り口を見た。
「ギルドの在庫の魔術道具を根こそぎ運びだしています」
「ヤバイわね、この街も戦場になるかもしれないわねぇ」
「アラティア軍とセクサルド軍も近づいているようですわ、大きな戦になるとみんな噂していますよ」
「いやね・・・あなたはこの街でがんばるのかしら?」
「ええ、他に行く所もありませんし」
すると目の前のジェリーが急に態度を改めて背後の誰かに向かって一礼する。
「おお、いつ見てもお美しい、デートリンゲン嬢お久ぶりですな」
直後に陽気で明るい声が背後からかけられる、テヘペロもよそ行きの貴族の令嬢らしく取り繕うと声の主を振り返った。
そこにボールの様な体形のハイネ魔術師ギルドのマスターのカレル=メトジェイが立っていた、背後にいるのは対象的に背の高い細身の壮年の男だ、ギルドの実務のトップのボリス=アンデルだと思い出した。
今まで二度ほどあった程度だが特徴ある二人なので忘れたりはしない。
そしてこの二人が気配を消していた事に気づき、これからは警戒すると心に決めた。
「あら、カレル様ボリス様、お久しぶりですわね」
テヘペロが取り繕う様に品よく微笑むとカレルは僅かに顔を赤らめた、そしてボリスは品定めするようにこちらをお眺めまわして来る。
テヘペロは下心で見られるのは慣れていたが、品定めされるのは気に食わないのだ、テヘペロはこの僅かな時間でボリスを敵だと認定した。
そして軽く鼻で嗤うとボリスの眉が極僅かに揺れる。
「お元気で何より、だが悪いが我々も多忙でな、失礼ながら行かねばならない、お嬢さんはゆっくりしていってくれたまえ、いずれ親睦を深める機会を儲けよう失礼するよ」
そう言い残すと二人は奥の会議室に向かって行ってしまう。
そして広間にいた魔術師達がテヘペロを見る視線が厳しい事に気づく、それを心の中で嗤う。
「ふう、私もそろそろ引き上げるわジェリー、遅くなると警備兵に尋問されるのよ」
「ええ、そうですねシャルロッテ・・様」
テヘペロは楽しそうに笑う、それは自然な微笑みだった。
「ではさようなら、ジェリー・・様」
そう言い残すとギルドのエントランスに向かった。
大部屋にいた女魔術師の敵意の視線、男達の熱い視線を集めながら、それをまったく意にも返さずゆったりと進んで行く。
ジェリーはそれを見送った、彼女は不思議な微笑みをしばらく浮かべていた、その笑みから彼女の感情は読み取れない。
ギルドの大広間に離接する会議室で、部屋に入ったばかりのギルドのマスターのカレルに向かってボリスがいきなり話しかける。
「例の馬鹿げた話の答えが見つかりましたな」
「例の?」
カレルは話がわからず当惑している。
「セクサルド軍司令部からの要請ですよ」
「ああ、ってまさかデートリンゲン嬢か?」
「それ以外におられますかな?」
マスターのカレル=メトジェイは天を仰いだ。
「たしかにあの馬鹿げた条件にあっているなあ」
「さきほど彼女を見て驚きましたよ、灯台下暗しとは言いますな」
それを聞いてカレルは苦い笑いを浮かべた。
「女盛だが年増すぎる事は無く、何よりも胸と尻が大きい事、滴る様な色気があり太めの方が好み、それでいて教養と知性と品がある事、だが高級娼婦の様な商売女では駄目だとさ」
陽気で軽薄なギルドマスターもどこか疲れた様な顔をしている。
「なんと言いますか、高級娼婦で良いならこちらに話など回ってきませんな、馬鹿げています」
「ボリス、踊り子酒場の宣伝にあるだろ『清純派の踊り子○△今夜デビュー』だ、ははっ!」
カレルは乾いた笑い声を立てた。
「だが彼女は上位魔術師だぞ?身元を洗う必要があるな、簡単にやんごと無きお方に近づけるわけにはいかん、そしてどうやって協力させる?上位魔術師ともなると簡単にいくか」
「マスター、いずれ彼女に接触し報酬を提示するしかないですな、金か地位かはわかりかねますが」
カレルはそれに頷いた。
「しかしこんなお方が総司令官で大丈夫ですかなマスター」
「大丈夫じゃないからここに連合軍最高司令部を設けて閉じ込めるつもりだろう、俺はそう読むね」
カレルは風船の様な体を揺すりながら笑った、今度はそれにボリスがうなずく。
「では、評議会の方に報告だけしておきますよマスター」
「たのんだ・・・さて議題に入ろうか」
カレルとボリスは長机の前に腰を下ろすと分厚い資料を上に広げ始めた。