女神の降臨
ゲーラの中央広場にある石造作りの瀟洒な魔法道具屋『精霊の椅子』は開店休業となっていた、その一階のフロアで精霊宣託の準備が着々と進められていく。
店の床に大きな板が置かれ、その上に編み物らしき黒い大きな布が敷かれ、そこに直径1メートル程の魔法陣が描かれていた。
「問いかけたい事は『アマリアに会う道を示し賜え』で良いかな?」
ボンザが重ねて二人に確認する。
「あまりにも具体的だと、まともな答えが得られぬ事が多いのですよ、中位以下の精霊宣託ほどそうなります、立場が弱い精霊ほど能力の問題もありますが具体的な宣託を出しにくいのです」
アゼルがルディに重ねて説明した。
「太古から精霊宣託は数多く行われています、上位の精霊の下した多くの宣託に干渉したり妨害しないように、下位精霊の宣託は曖昧な内容になりがちなのです」
「精霊の世界も我々の世とかわらないんだな」
妙にシミジミとルディがこぼした。
「儂の宣託精霊は大地の精霊でな、このテレーゼに根付いた土地神様の眷属の中位精霊じゃよ」
「幽界とテレーゼに関係があるのか?」
ルディが再び疑問を投げかけた。
「幽界は現世の鏡のような世界でな、現世の事象と間接的だが結びついておるのじゃ、幽界でテレーゼと相関関係のある土地や場所がある、そこの土地神様はテレーゼと深く結びついておられるのじゃ」
「鏡の様な世界か、たしかに以前そう学んだ記憶がある、テレーゼがこのような様では心を痛めておられような」
「よくわからぬ処じゃな、人とは心のあり方に違いが在りすぎるのじゃよ」
床に描かれた魔法陣に、ボンザが精霊請願を魔術的に構築しはじめた。
「拘束事項を最後に確認するが良いか?」
「アゼルとベルの他に何人か教えなければならない者達がいるのだ」
「拘束が緩いほど宣託の精度が落ちるのは理解しておるな?」
「わかっている」
魔法陣にボンザが拘束事項に関する契約を魔術的に構築し追加していく。
「さて、基本の術式は敷設した、あとは触媒を配置していくぞ」
ボンザは魔法陣の要所に決められた手順で触媒を設置していく、触媒は事前に計量済みで幾つもの焼き物の小皿の上に小分けされていたものだ。
何かの灰の様な物質に木の根の皮のような物、鉱物を砕いた様な粉で小さな山を幾つも築いていく。
最後にルディには見当も着かない黒い薬品を塗られた木の板が魔法陣の中央に置かれた。
「さて魔法陣の準備は終った、あまり派手に動かぬようにな、風を起こされると陣が乱れるでの」
アゼルとルディは無言で頷く。
ボンザは己の身に術を支援するための魔法道具を身に着け始めた、ネックレスや指輪など術者を守り負担を軽減する為の道具だ。
そして幾つかの触媒を身につけた、これで準備は完了した。
「さて、今の時間はどのくらいかのう?」
精霊の椅子の天井に近い天窓から差し込む陽を見ながらボンザは満足した様に頷いた。
「だいたい予定通り進んだようじゃな」
「さて始めるぞ」
ボンザは部屋の隅に置いてある香炉に火を付ける。
なにか森の土の様な、古びた地下室か堆肥の様な不思議な匂いが塔に立ち込め始めた。
そして魔法陣の前に戻り詠唱を始めたホンザの胸で乾いた何かが破裂するような音がする、魔法陣の中の触媒の山が次々に反応を始め、不可思議な炎を上げて消滅しはじめる。
それは突然はじまった、高圧の気が魔法陣の内部から放射され始めたのだ。
ボンザやアゼルは当然の事、精霊力に強い感受性を持ったルディもそれを感じとる。
「な、なにが起きた!?」
ボンザの声が震えた、そこから彼の動揺と当惑が感じられる。
エリザが部屋の片隅の小さなテーブルの下に逃げ込み震える。
「なんですか?これは普通ではない!!」
アゼルも混乱していた、アゼルは精霊宣託は苦手で専門では無かったが、精霊術師としては上位魔術師だった、そのアゼルはその圧力が尋常では無いと即座に理解した。
ルディは思わず魔剣を手にしようと荷物に駆け寄ろうとした。
「いや待て!!」
ボンザがそれを止める。
やがて魔法陣の中に激しい嵐が生まれた、何か砂嵐か黒い煙か定かではない者が激しく渦巻き始めた。
その魔法陣の嵐がしだいに薄れ始める、だが魔法陣から来る力の波動はますます強くなる。
「そんな馬鹿な、この力は上位精霊じゃぞ、その中でも更に強力だ!!」
そこにどこからともなく声が聞こえた様な気がした。
(・・ワレガ・・アエテ・・デルコトニ)
「なんじゃとこれは!?」
ボンザは愕然として魔法陣を見つめる事しかできなかった。
人の言語を駆使できる精霊は上位精霊の一部に過ぎない、中位以下の宣託では文字や記号で黒板を通じて宣託を受けるのが普通だった。
極めて高い知性を持った存在が強引に接触を持とうとしている、ボンザもアゼルもそれを理解した。
このクラスの精霊の召喚は人間では不可能だろうと二人はその精霊力から推測した。
やがて魔法陣の中の嵐がしだいに静まり晴れわたると、そこには豊満な半裸の女性が立っていた、だがその向こう側が薄く透けて見えている、実体では無く幽界からの投影である事が明らかだった、その女性は人に似ていたが、非常に大柄で身長が2メートル以上に及ぼうとしていた。
そして手足が長く肌の色は暗い土気色だった、だが人との最大の違いは両眼の間の額にもう一つの目が開いている事だった。
「メンヤ様じゃ、テレーゼの土地女神様よ」
ボンザは呆然としながらもその正体を告げた、そこには感動の響きすらあった、彼女は上位精霊のテレーゼの土地女神だったからだ。
土地神はその地域の精霊に大きな支配力を及ぼす上位精霊で、上位精霊の中でもより上位に位置する強力な精霊だった。
土地女神の上ともなるともはや精霊王しか存在しえない。
このクラスの精霊と契約できる術者は一世代に一人でるか出ないかと言われている。
(セイシンガ・・イシツ・・ユエ・・コノスガタヲトラセテモラウ)
その直後に魔法陣の中の女神の姿が消えて、なんとそれはベルの姿に変わった。
「なに!?ベルじゃないか!?」
ルディが思わず一歩前に出る、だが魔法陣周囲の障壁にぶつかり前に進めなくなった。
「これは先程の娘じゃな?」
ボンザが呆然とした様に呟いた。
『僕を間において通訳させる、会話が面倒でしょうがないからね』
「ベルなのか?」
『偽物だ、僕の総ては把握しているし、知識も総て吸い上げたよ』
「本物のベルはどこだ?」
『二人共もう帰したよ、僕の性格から言ってどこかで昼寝でもしてるんじゃない?』
「二人だと!?」
『もう一人はこれからお前たちの役に立つかもね』
口調や仕草はベルに似ているが尊大な態度だ、そして凄まじい気の圧力は変わっていない、そして瞳は黄金色の光に塗りつぶされている、ベルの顔を直視していられなかった。
『さて急がなくては、僕がわざわざ出たのには理由がある、僕の知識の中のそこにいるルディの情報がきっかけだ、二人共いいね?僕は知っている』
ボンザが驚いてルディを見た。
ルディとアゼルはベルの姿をした土地神の言っている事を理解していた。
土地女神がルディがエルニアの第一公子のルディガー=イストリア=アウデンリートであることを知っている、そしてエルニア大公妃の精霊宣託の内容を知る為に、精霊魔女アマリアに接触しようとしている事を知っていると言う事だ。
『最初に言っておく、あの宣託の内容を教える事はできない、僕が支配できる相手ではないからね』
これはエルニア大公妃の精霊宣託を降した精霊を支配する事ができない事を意味していた。
「なぜあなたが降臨されたのですか?」
ボンザが契約精霊の支配精霊に向って最大の疑問をぶつけた。
『時間が無いので手短に伝える、お前達が精霊魔女アマリアに合う為に成すべき事と,我の願いが一致するからだ、そして例の精霊宣託の内容と無関係ではないから』
「精霊宣託の内容と関係があると?」
『ああ、これ以上は言えない、それに残された刻が少ない、よく聞け』
『精霊魔女アマリアへの道は、テレーゼを覆う死の影を打ち払う事で開かれる、それを為す過程で進むべき道が指し示される』
「それは死靈術の事なのか?」
ルディにはベルの顔をした女神の口の片端が僅かに上がった様に見えた、それをルディは肯定と捉えた。
『精霊魔女アマリアへの道を塞いでいる闇を打ち破れ、そしてお前達だからこそ僕が直々に現れた』
「我々だからこそ?」
『そうだ、人の魂の流れが大きく乱されているのだ、それを正して欲しい』
ベルの姿をした女神は慈悲深いとさえ言える微笑みを浮かべた。
『うむ、人の化身を使うのは良い考えだった、僅かな仕草や表情で契約をすり抜けられるではないか、僕はなかなか便利だね、契約は言葉と文字に縛られるからそこに穴があるのさ』
ベルの姿をした女神は皮肉に妖しく笑う、それはベルにはまったく似合わなかった。
『最後に道を示してやろう、ロムレス帝国時代の古き予言を知るが良い』
しだいに魔法陣の中のベルの姿が変わり、豊満なテレーゼの土地女神メンヤの姿に戻って行く、その人ならざる姿の三眼がルディ達を見下ろしていた。
やがて土地女神の姿は次第に薄れて消えていく、ホンザは身じろぎもせず女神が去った後の虚空を見つめていた。
言葉もなく魔法陣を見つめていたルディがアゼルに向き直る。
「アゼルよベル達の身に何か起きたな」
「はい、女神の言うことが正しければ、一応無事なようですが」
そう言いながらアゼルは何気なく店の扉に目をやった。
その時『精霊の椅子』の扉が外からノックされた。