シャルロッテ=デートリンゲン
その大きな部屋はハイネの新市街の『死霊のダンス』の地下の作業場に似ていたが、遥かに金のかかった備品と道具がところ狭く並び、壁沿いの本棚に貴重な書籍が収蔵されている、もし目利きがここにいたらヨダレを垂らしながら年老いるまで読書に耽る事間違いない。
「ここが攻撃魔術道具研究室ね?みなさまこのたび正式に採用されましたシャルロッテ=デートリンゲンよ、今後ともよろしくねっ」
艶やかな女の美声が部屋に響き渡る、部屋にいた魔術師達は仕事の手を止めて声の主を見る、そしてある者は敵意をこめた視線を投げ、あるものは賛嘆を、あるものは下卑た熱の籠もった視線を彼女に向けた。
声の主はそんな視線に慣れているかのように、むしろ満足げに少し厚めの口の端をかすかに持ち上げた。
魔術師達はヒソヒソと何か噂話を始めた、火と無属性の上位精霊術師がコステロ商会の魔術部門で働くことを希望している事は少し前に噂になっていたからだ。
だが先日の異変と被害の対処でそれどころでは無くなってしまう、そして少し落ち着いたところで噂の主が現れたのだから。
声の主はゆったりと部屋に入って来る、彼女の形の良いブルネットの頭の上に載っているのは、先が複雑に折れ曲がった魔術師の三角帽だ、数年ほど前に女魔術師達の間で流行りすぐに廃れたデザインの鍔広帽子はとても良く彼女に似合っていた。
そして彼女のぴったりとしたスカートは膝下まで丈があるのに、彼女の豊かな腰と太ももを強調して至って艶めかしい。
上着は魔術師らしく学研の徒のような地味なスーツ姿だ、それが豊かすぎる胸を強調している。
それほど若くも無いし少々豊かすぎる体型だが蠱惑的な美女であるのは間違いない。
彼女はゆったりとした黒いローブを羽織っているが、そこから覗く肢体をかえって刺激的に魅せる。
まるで高級娼婦が好奇者の上客に披露する計算し尽くされた女魔術師の仮装にしか見えない。
そして彼女を見る女魔術師達の目は敵意と軽侮と嫉妬と怖れが混ざりあう、この街にテレーゼ中の上位精霊術師が集まっていた、だが火と無属性の二系統で上位を使いこなせる精霊術師はいない。
なかには複数の系統を使う者もいる、ホンザ=メトジェイは土の上位精霊術師で中位の精霊宣託師でもあった。
アゼルも水の上位精霊術師で風は下位までしか使えない、基本的に得意な系統以外は下位までの者がほとんどなのだ。
伝説の偉大なる精霊魔女アマリアは風と水と土を使いこなし、風の極上位精霊術師と伝えられている、同じく史上最大の魔術師と呼ばれるアイゼンドルフ=ザロモンは全系統の上位精霊術師と語られていた。
それだけ複数系統の上位精霊術を使いこなせる魔術師は珍しいのだ。
無属性は無属性ゆえに高位の術と共存し易いと言われているが、魔術術式の効率が悪く非常に魔力を浪費する、それを上位まで使用可能と言う事は精霊力の基礎的な総量が極めて大きいことを意味していた。
もしそれが攻撃的な火精霊術に総て投入された場合の破壊力は皆理解できるのだ。
そしてここにいる者は知らぬ事だが、シャルロッテ=デートリンゲンことテヘペロ=パンナコッタは裏世界の稼業でその力を磨き、苛烈で狡猾な戦いぶりで悪名を轟かせ炎の魔女と呼ばれた事もあった。
その後ピッポ達と世界各地をせこい稼業で気楽に稼ぎながら放浪の旅をしてテレーゼに流れてきたのだった。
しかしテヘペロに声をかける者が現れない。
「ここの責任者の方はどなた?」
テヘペロは声を高めて少し首を傾ける。
「私くしですわ、私はササラ=バイヤボーナ、ここの責任者です」
痩身の女性が部屋の奥で立ち上がる、黒いスーツにスカートを履いていたが、テヘペロの相手をするのが嫌な態度を隠そうともしない。
年齢は三十代半ばで知的だが髪に白髪が混じり顔色が悪く疲れを感じさせる、そして少し苛立っている。
それが彼女を年齢以上に老けて見せる。
傍若無人だが感が鋭いテヘペロは適当にあしらおうと素早く決意した。
「貴女の事は館長から伺っておりますデートリンゲン様、ですが一応貴女の魔術師ギルド会員証を見せていただきませんこと」
テヘペロは薄く笑うと、部屋の奥のササラの執務机の前に向かった、魔術師達の視線が彼女を舐めるように交差した。
上着の小物入れから金属のプレートを取り出すと、金属プレートの表の小さな魔術陣を指で触れる、そしてササラの前に金属のプレートを置いた、テヘペロが触れた場所が薄く赤く光っている。
ササラはその金属のプレートを手にとり裏表を確かめた。
「たしかに本物のようね、この合金と個人識別は魔術師ギルドにしか作れないわ、でもこれが事実なら貴女は良いところのお嬢様よね、なぜこんな処にいるのかしら?」
テレーゼのような土地に流れてくる魔術師は何かしら問題を抱えている者が多い、テヘペロは先ほどの決意をあっさりと覆してしまった。
無意識に見事な体の線を誇示するかの様なポーズをとり馬鹿にするように鼻で嘲笑った、これが相手を一番煽ると長年の経験から染み付いている。
「人の過去を詮索するなんて下品だわ、それで貴女こそここで何をやっているのかしら?私もコステロ商会が何なのかぐらい知っているわよ?」
テヘペロの大胆なセリフに周囲がざわついた。
「上位魔術師が流れてくるなんて珍しいからよ、そして危険でもあるわ詮索しない方がありえない」
ササラは賛同を求める様に周囲を見回すと、みな関わり合いに成りたくないのか目を逸してしまった。
ササラは舌打ちしたがそれを聞いたテヘペロはクスリと嘲笑う。
「私は認めないわ、今の状況で外部の人間を入れるなんて危険すぎるわ!」
そして机を拳で叩くと机の上の筆記用具が音を立てる、そして部屋から駆け出し出て行ってしまった。
「あら困ったわホント子供かしら?、今日はこれで引き上げるわよ、やっと手続きがおわったんだもの」
呆れたようにテヘペロは眉のはじを困った様に下げる、そしてさらりと部屋を見回してからヘラリと微笑んだ、そしてササラの出ていった開け放たれた扉に向かう。
彼女のゆったりと揺れる豊かな肢体に若い魔術師の視線が釘付けになる。
「ではお先に失礼」
そう別れを告げるとテヘペロの魅惑の後ろ姿は流れる様に廊下の奥に消えて行く。
彼女の姿が消えた直後に部屋の中が騒然となった、テヘペロの悪口が女魔術師の口から溢れる、それに上司のササラの陰口も交じった、男達の何人かはテヘペロの体形の品評を始めた。
「忘れていたわごめん」
入り口にテヘペロが立っている、室内は死んだように静まり返った。
「私の席はどこかしら?」
テヘペロの問いかけに若い魔術師がおずおずと答えた。
「明日、事務員が用意するそうです」
「ありがとう、では今度こそおやすみなさい」
彼女は軽く手を振ると今度こそ入り口から姿を消した。




