ルディガーの密談
朽ちかけた古びた屋敷は、もともと豊かな地主の屋敷だったのかもしれない、時代遅れだがそれなりに金のかかった家具や調度品が残されていた。
窓は固く締め切られて暗いリビングを照らすのはテーブルの上のランプの明かりだけだ、壁板の隙間から赤い明滅する光がにじみ出ている、屋敷の外は狭間の世界の狂った景色が広がっているので、窓は固く締め切られていた。
そのリビングの真ん中の古びた肘掛け椅子に年老いた老魔術師が腰掛けている、眠っているのか船をこいでいた。
丸テーブルを挟んだ反対側に若い魔術師が三脚椅子に腰掛け読書にふけっていた、彼の肩の上に白い毛並みの猿がちょこんと腰掛け、文字が読めるはずも無いのに肩の上から本をじっと見つめている。
壁際の長椅子の上に灰色のワンピースを着た少女が横になっていた、目を閉じた彼女の寝顔は精緻な陶器人形の様に美しい、こんなところにいるのが間違であるかの様に古びた部屋から浮いていた、そして彼女の胸から黄金のトランペットの姿は失われていた。
アゼルとコッキーとホンザの三人は、仲間がリズとマティアスの二人を国境まで送り戻って来るまで苛烈な戦いの疲れを魔術陣地の中で癒やしていたのだ。
それからどれほど時が経っただろうか、壁の隙間から滲み出る赤い光が鈍く変わる頃、美しい陶器人形が瞼をあけた、そこから澄み切った蒼い瞳が現れる、まるでテレーゼの空のように深い深い蒼だ。
そして陶器人形はゆっくりと上半身を起こした。
「ルディさん達、戻ってきたのです」
そして陶器人形は田舎町の少女に戻った。
「ほう、そんな時間か?」
ホンザがゆっくりと立ち上がると薬草茶の準備を始める、アゼルも本を閉じてルディを出迎える為に立ち上がった。
それと同時に馬車の車輪の音と馬の嘶きが響き渡った、すぐにベルとアマンダの口論が壁の向こうから聞こえてきた、その直後ベルが元気よく部屋に現れた。
「ただいま」
続いてアマンダの姿が現れた。
「ただいま帰りましたわ」
最後にルディが姿を現す、だが誰も驚いたりはしないすっかり魔術陣地に馴れていた。
「二人は無事に送り届けてきた、話さねばならぬ事も多いが、俺はまず馬の世話をしてくる」
「ルディがんばってね」
ベルがコッキーの隣に座ろうと長椅子に向かったが、いきなりルディに後ろから捕まえられてしまった。
「やはりベルにも馬の世話を覚えてもらうぞ、貴族の令嬢に必要の無い事だが、クラスタ家の令嬢には必要だ」
「な、なんだって!?」
ベルは首をルディの頑健な腕で抱かれてあたふたしている。
「騎士でもどのような状況に陥るかわからん、だから最低限の事ができるように訓練する、それが生死を分ける事もあるんだぞ」
「そりゃそうだけど、馬に乗った事あるけど世話した事なんて・・・」
「馬は可愛いぞ?それにあの馬達はかなりの良馬だ」
それが聞こえたのか外から馬の嘶きが聞こえてくる。
「狂った景色から守ってやらねばならん、古い納屋を修理したがまだ完全ではない、そっちも手伝ってくれ」
顔を赤くしながらベルはルディの腕を振りほどいた。
「わかったよ、手伝うから」
ベルはそのまま屋敷の外に連れて行かれてしまった。
「あたしは晩御飯の用意をするのです」
コッキーが立ち上がるとリビングに接したキッチンに駆け込んでしまう。
あとに残されたのはアマンダとアゼルとホンザの三人だけだ、アゼルは外を気にするような風でアマンダに話しかけるた
「アマンダ様何か有りましたか?」
アゼルは先ほどのルディの言葉から何かが起きたと察していた。
アマンダは落ち着いて先ほどコッキーが寝ていた長椅子に腰をかける、アゼルも丸椅子に腰を落ち着けた。
「私たちが二人を国境近くまで送った帰りの事でした、その日の夜の事です、ベルが宿場街の北東の方向に無数の人の気配を感じました、それを偵察した結果グディムカル軍の部隊と判明いたしました、数は約数千になるそうですわ」
アマンダはその時ベッドで酔って寝ていたのだがそれは省略されてしまった。
「いつのまに山地を越えていたのでしょう?」
「それはわからないわねアゼル、部隊はほぼ東の方向に進んでいるようです、ルディガー様はハイネとグディムカル帝国を結ぶ街道を封鎖、山を越える帝国軍を支援する作戦だとお考えですわ」
「なるほど、とは言いましたが私はそう軍事に詳しくは御座いません」
「連合軍は山越えの道の出口で敵を迎え撃つ戦略だったのかもしれないとお考えですわ」
「なるほど、山道を少数で進んでくる敵を迎え討つわけですねアマンダ様」
アゼルは少し感心したような顔をしている。
「そのようですわね」
すると部屋の中に芳しい薬草茶の匂いが立ち込めてきた、ホンザがキッチンから小さな薬缶を持って出てきた。
「茶でも飲もうぞ」
「ありがとうございます、ホンザ様」
アマンダは少し改まって感謝の言葉を述べた、そんな彼女を見るホンザの目は憂いに満ちていた。
「敵がテレーゼ平原に出てくるとなると大戦になるのう」
「ホンザ様・・・」
アゼルは慰めの言葉をかけようとして思いつく言葉が無かったのか口を閉ざした。
ホンザは薬草茶を木のカップに注いで並べる、アマンダも立ち上がりテーブルのところまでやってきた。
そしてホンザは肘掛け椅子に深く腰を降ろす、そして木製のティーカップを掴むと薬草茶を口にふくみ一息つくと語りはじめた。
「若いころこの国は乱れ戦乱で荒れた、その後セザールめとイザコザがあって外国に逃げた、戻ってきたのは10年前よ、この国はすっかり変わってしまった、ゲーラの街だけが昔のままだった、だから店をあの街に構えたのよ」
そしてまた茶を飲んで一息いれる。
「大戦になるとまた国が荒れようぞ」
「絶対に許さないのです!!グディムカルなんてやっつけてやるのですよ!」
キッチンでコッキーが叫ぶと強大な精霊力の爆発が生じた。
ここにいる者でそれを感じる事のできない者はいない、だがアゼルもホンザも圧倒され動くことができない、先日の異界の神々の戦いを感じさせる力に体が動かない。
アマンダすら動きが遅れたのだ、いや何をすべきかとまどっていたのかもしれない。
「コッキー!!」
ベルの叫び声が聞こえると彼女が屋敷に飛び込んでくる、そのまま台所に突入した。
すぐに精霊力の噴出が静まり、落ち着いたベルの声が聞こえてきた。
「落ち着いてコッキー」
それに答えるのはか細い弱々しい少女の声だ。
「落ち着きました、おどろかせてゴメンなのです、リネインの街がも、燃えた時の事を思い出して」
アゼルとホンザは思わず顔を見合わせた、アマンダはなんとも言えぬ顔でキッチンの入り口を見つめている。
やがて開け放たれた入り口にルディが姿を表す、アゼルはもう大丈夫だと主君に向かってうなずいた。
食事が始まったが全員が席につける大きなテーブルはない、ベルとコッキーが仲良く二人で長椅子に座り、探してきた細長いダイニングテーブルを前に置いて食事をとっている、残りの四人は窮屈そうに丸いテーブルを囲んでいた。
みな重要な決断に迫られていたが、どれから話を進めようか迷いお互いに切り出せなかった、やはりルディが最初に語り始める。
「言い方は悪いが、二人を解放し動きやすくなった、味方でも無く護る必要があるので足手まといだった」
その二人とはリズとマティアスの事で間違い無い。
ベルはその身も蓋もない言い草に苦笑するしかなかった、そしてわざわざ彼らを国境まで送ってやるお人好しに呆れると同時に、後は自分の身は自分で守れと言うルディらしい考えに改めて感心していた。
「俺たちの主目的はテレーゼの死の結界を破壊する事だ、ソムニの樹脂の破壊は従目的だがこれはかなりの打撃を与えたはずだ」
「ではゼザール=バシュレを倒しますか殿下?」
「そうしたい、だが闇妖精がどうなったか不明なのだ、北の森の戦いで消滅したのか確証が無い」
ホンザが頭を振ってからため息を吐いた、ホンザの言葉はどこか独り言めいている。
「女神メンヤ様が降臨した戦いの時、闇妖精の眷属共が姿を現したが闇妖精は姿を表さなかった、アマリア様の助言が欲しいの」
ルディは目の前の三人を見回すと言葉を継いだ。
「まずゼザール=バシュレを叩く、ハイネ城の地下の様子はこの前の攻撃でだいぶ解っている、魔導師の塔を叩きたい、闇妖精よりゼザール=バシュレの方が組みやすいと俺は考える」
全員その意見に頷いた。
「殿下、たしかにゼザール=バシュレは強大な術師ですが、あの闇妖精の様な底の無さは感じませんでした、上位魔術師数人と優れた剣士が連携すれば十分対抗できます、これは戦った私の実感です」
「弱いところから切り崩すこれが兵法の鉄則だ」
「私もお手伝いいたしますわ」
アマンダがそう宣言したのでベルが驚いた、パンの切れ端を加えたまま目を見開いた。
「帰らなくていいの?アマンダ」
「私が帰る時はルディガー様もご一緒ですわ」
それに応じたのは意外にもコッキーだ。
「私は・・ハイネから動きません、ハイネが負けたら次はリネインです、司教様や修道院長様みんながいるのですよ!」
みな驚き視線がコッキーに集まった、彼女は感情を抑えているのか精霊力の暴走を抑えている。
「あたしはもう何もできない女の娘じゃないのです、目にもの見せてヤるのですよ」
「戦うのコッキー?」
半分呆れたベルの声にコッキーは俯いたまま頷いた、それを見たルディの顔は悲痛な色に変わる。
「お母さんもみんな死にました、あの骸骨のせいなら敵を討ちたいのです、その変な結界も壊したい、でもその後の事は私がアタシが決めます、アマンダさんと行くことはできません」
アマンダは当惑してルディを見た。
「すべき事が終われば俺もアラセナに行こう、だが今はその時ではない、すまぬなアマンダ」
「父からはルディガー様の説得を命じられましたが、私はルディガー様のご気性を良く存じ上げております」
アマンダの答えにルディは皮肉な笑みを浮かべる、だが不思議と感情が読めない曖昧な笑みだ。
それを見たベルはそれに僅かに引っかかりを感じた、それはルディが身内に見せないような外向きの微笑みを思わせたからだ。
それを断ち切るようにアゼルがルディに問いかける。
「殿下、連合軍に加担するおつもりですか」
ルディは当惑の表情を浮かべるとコッキーを思わず見てしまった、俯いていたコッキーも驚いて顔を上げた。
そしてルディは慎重に言葉を選ぶように答えた。
「グディムカルは侵略者だ、だがその悪も人の理の中にあるのだ、異界の力を得た我らがそれに干渉して良いのであろうか?」
それを聞いたコッキーの表情は氷つく。
「でも私はそれでも戦うのですよ、私の気持ちがメンヤ様の気持ちと同じかもしれないじゃないですか?」
それを聞いたルディの顔が今度は驚きに変わった。
「そうだな、神々も欲や私情で動く存在だったか」
ルディは皮肉に嘲笑った、エスタニアに残る神話は神々の欲と理不尽な怒りに満ち溢れていたからだ。
「殿下、はるか上位世界の存在は宇宙の運行に関わる神々とされています、もし禁忌にふれるとするならば彼らの理に属する事でしょう、むしろ我々はなすべき事を成す、それが神々の意思に沿ったものなのかもしれません」
そのアゼルの言葉に皆の視線が若い青き魔術師に集まる、肩の上のエリザが怯えて部屋の片隅の暗がりの中に逃げ込んでしまった。
「そうだな、まっすぐに己の成すべき事、成したい事をすべきなのだ、コッキーの気持ちのほうが神々の御心にそうのかもしれぬな」
ルディが誰ともなく語ると場は沈黙に覆われた。
「皆それぞれ考えを纏めてくれ、また明日語り合おう」
そしてルディは空気を変えるべく昨晩の宿屋の酒宴のバカ話を始めたのでそのまま会議は流れてしまった。
食事の後でホンザとアマンダは読書を始めた、そしてキッチンからコッキーの鼻歌が聞こえはじめた。
やがて外の仕事を片づけたベルとルディが戻ってくる、ベルはそのまま長椅子に横になってしまった。
ふとアゼルはルディが入り口から手招きしている事に気づいた。
「アゼル、馬車の防水に関して意見を聞きたい」
アゼルは何かを感じて立ち上がるとルディに従って屋敷の外に出た。
狭間の世界の夜空は狂っていた、ギラギラと不安定に輝く星々と、見たことも無い星座、その星座をみていると何か忌まわしい寓意に気づきそうになって不安になる。
「アゼル、空は見ない方がよい」
親友にして主君の忠告にしたがいアゼルは地面を見た。
そして厩舎代わりの納屋に入るとルディは馬をなで始めたので、アゼルは顔を上げてから驚いた。
ルディが口の前で指を立てていたからだ、これは声を出すなと言う合図だ。
ルディは馬車の雨漏りの心配を語り始めたのでアゼルはそれに適当に話を合わせる、そして目で合図を送ってくる、アゼルはローブの中の魔術道具を起動させた。
直後に狭い防音結界が生まれた。
「殿下これで大丈夫です、彼らにすら話せないお話があるのですね?」
「すまんな、俺はアラセナへ行く事はできない」
「それはまた、何か理由がお有りですね」
「時間が無いので手短に話す、ブラス殿達が将来エルニアに戻り復権を計るなら俺を旗印にするだろう、だが自立を計る場合はどうなる?」
アゼルは驚愕したが総べを理解した。
「ブラス殿もエリセオ殿も信用できるお方ですが、何よりも己の家の繁栄と安寧を求める領主です、彼らの権利を庇護してくれる者に忠誠を尽し奉仕すると言う意味での信用です。
エルニア大公家との契約はすでに破棄されています、それもエルニア大公家から破棄しました、エルニアに殿下を売りアラセナの既得権を認めさせる可能性も無いとは言い切れません」
「そうだアゼル」
アゼルはうめき声を上げた、クラスタ家はルディガーの実母の縁戚でエステーべ家はルディガーの養育と教育を担った家だ、彼らとは家族同然の関係だ、そんな関係であっても政治の世界では完全な信頼など無いと言っているに等しい。
「この事は頭の隅にいれておいてくれ、これ以上は不自然だ」
アゼルはうなずき魔術道具を止める、二人は馬車の防水についての議論を再開する。
だがアゼルの心は乱れていた、鷹揚で人の良い友人にして主君の深淵を覗いてしまった様な、それに恐ろしさと不思議な頼もしさを感じていた。
エルニア建国の英雄ギデオン大公がルディガー公子に目をかけていた事を思い出す、権謀と戦略の天才で家臣と領民に愛され恐れられた、ルディガーはアゼルの知らぬところでどのような薫陶を得ていたのだろうかと思いをはせた。