余波
グディムカル帝国軍テレーゼ平原に突如現れる。
その衝撃は連合国の各方面に火の様に広がり、変事を伝える精霊通信がハイネに向かって進軍していたセクサドル王国軍の本隊を震撼させた。
ビューグルが吹き鳴らされ全軍に停止命令が伝えられた、命令はリレーされながら細長く進軍する全軍に伝わって行く。
本営付き武官のカメロ達はまっさきにその一報に触れる事となった、だが詳しい内容を知ることはできなかった。
軍が停止するとさっそくカメロ達は軍議の準備をしなければならない、オレクは雑役兵を指揮し街道脇に陣幕を張らせた、これが壁になり内部が外から目撃される事が無くなる。
カメロは並べられた折りたたみ机の上にテレ-ゼ北部の地図を選別しその上に広げる、最高機密で貴重な地図に触れる事が許されているのは特定の士官だけ、これはカメロに与えられた任務だった。
そして必要になるかもしれない資料を想定し用意し求められたらいつでも提示できる様にしなければならなかった。
やがて遠征軍の副将ドビアーシュ将軍が側近とともに現れる、カメロはそれを敬礼で迎えた、将軍達はさっそく用意された席につく。
やがて本隊の部隊長達が集まり始めた、本隊だけで1万近い戦力を擁しているので、総ての部隊長が集結するのはなかなか至難の技だ。
最後に総司令官のアウスグライヒ王子が側近を引き連れ姿を現す、全員起立し総司令官を迎えた。
カメロが総司令官を身近に見ることができたのは今回の遠征が始まってからだ、田舎貴族出のカメロでは王族の姿を間近で見る機会は少ない。
我らの総司令官は白を基調とした華麗な元帥服をまとい、それに濃い色の金髪がよく映える、そしてアイスブルーの瞳が印象的だ、その見かけだけは豪華な容姿を見たカメロは鑑賞物としては悪くないなと王子を品評していた。
王子が皆に鷹揚に挨拶すると正面の華麗な椅子に着席するのを待ってみな着席する。
だがカメロやオレクのような本営付き武官に席はない、天幕近くに直立したまま待機しなくてはならなかった。
だがカメロは会議を傍観者の立場から観察できるので密かに満足していた、遠征が始まってから繰り返される茶番劇、自分が仕える者達を近くで観察できる絶好の機会と考えていたからだ。
そしてグディムカル帝国軍がテレーゼ平原に現れたその一報を受けた時から、自分の危惧があたっていた事が証明された、自軍の危機のはずだが心のどこかでそれを喜ぶ自分を感じていた。
カメロは曖昧で心が読めないと一部からは不気味がられる整った顔を僅かに綻ばせていた。
アウスグライヒ王子が形ばかりの臨時会議の開催を告げると、ドビアーシュ将軍の副官が状況の報告を始める、カメロは本営の高級士官達とは違い情報の核心に触れる事はできなかったので、一言も聞き逃さじと聞き耳を立てた。
その報告は数千人規模のグディムカル軍がハイネ北西方向の大森林地帯に現れた事、騎兵と歩兵による混成部隊で南東の方向に向かって進軍している事を告げた、これで会議の場が騒然となる、騎兵などの装備が国境の山脈を越える事はできないのは明白な事実だ。
「辺境の自治領か自治都市が取り込まれたか?」
誰かのうめき声が聞こえてくる、カメロはその可能性も否定できないが、それだけでは連合国が各地に放った密偵が気づくと考えた。
「奴らの目的は何だ、ハイネ奇襲か?」
その疑問に将軍の副官が答える。
「その可能性もありますが我軍の参謀から上がった意見として、グリティン山脈の出口を抑えグディムカル軍の展開を支援する可能性です、もちろんハイネ奇襲も想定しアラティア軍が援軍をハイネに急派する予定です」
総司令のアウスグライヒ王子は会議に関心が無いのか、それでも退屈さを押し殺して澄ました態度だったので、カメロはほんの少しだけ王子を見直した。
そこで部隊長の一人がおずおずと発言を求める。
「しかしそれが総てとは限りますまい、あの、南東方面に移動している敵部隊以外に存在しないとは限らないと言う意味でして、別働隊が我々の行軍を妨害してくる、もちろん可能性にすぎませんが」
カメロはその口下手な部隊長の意見に賛同した、極めて少数の兵力でもこちらに嫌がらせぐらいはできる、それに備える為に我軍のリソースを割くことができれば儲けものだ。
だがこれに我らが総司令官殿が激しく反応してしまった。
「ドビアーシュ!!ハイネに到着するまではほぼ安全だと言っておったな」
その叫びはドビアーシュ将軍を糾弾する響きを帯びていた、将軍は刮目したがしばらく反応しなかった。
本営が襲われる事を王子が危惧しているのは明らかだ、その危惧は当然だが敵がこちらの頭を狙うのもまた当然だとカメロは思った。
やがて将軍が静かに答える。
「戦場に絶対安全などありませぬ殿下、ゆえにほぼ安全と申し上げました、ここは広く開けたテレーゼ平原です、そして我軍は密に偵察部隊を放っておりますので奇襲の可能性は低い、それでも絶対はありませぬ、それが戦場に立つ者の当然の心構えでございますれば」
将軍の口調は丁重だが相手をするのが面倒くさいと言う老将の心根が滲み出ていたので、カメロは不謹慎ながらニヤけた笑いを浮かべてしまう。
だが対面で控えているオレクは場の空気がいたたまれないのか顔が強張り顔色も悪かった。
「だが殿下に万が一の事があれば将軍の責任を問うことになるぞ」
今度は王子の取り巻きの一人が口を挟む、カメロは名前を忘れていたが王子の遊び友達の高位貴族の息子だった、軍装に身を包んでいたが何の役にも立たない男だ。
「それは心得ておる、殿下は陛下よりお預かりした至尊の存在、全力を持ってお守りいたす覚悟」
ドビアーシュ将軍はそう重々しく応じながら王子の遊び友達を睨みつけた、王子に対してそうするわけにもいかないので、高位貴族の息子とは言え家督相続もしていないその男は将軍より身分は遥かに低い。
だからその男を王子の身代わりに睨みつけたのだ、カメロはそれを腹の底でせせら笑いながら眺めていた。
だがこれでアラティアやハイネ通商連合と巧くやれるのかと改めて不安を感じた、危機が身近に迫ると王子の薄いメッキが剥がれそうだ、これにカメロの危機意識が目覚め始める。
だがこのやり取りで軍議の場が沈黙に覆われてしまった、そんな重苦しい沈黙を副官が破る。
「我軍の基本行動は変化ありますまい、警戒を密にしつつハイネに行軍します」
そして彼はドビアーシュを見た、どうやら事前に打ち合わせができていたのだろう。
「ハイネまでの行動は変わらぬ、だが敵の動きによってはグディムカル軍との決戦に臨む事になる、各員それを心得るように」
そう発言したドビアーシュはアウスグライヒ王子に目線を移した。
会議の締めの言葉を求めたのだ、彼こそ総司令官なのだから当然と言えば当然なのだが。
だが王子の言葉はいつもの形通りの言葉では無かった。
「万が一我が身に何かがあれば王国の根幹がゆらぐ、その事を心に刻むように、よいか!?」
「ははっ!!」
一同力強く唱和した、もっともこう言われたらそうするしかなかったからだが。
そしてカメロは王子の非常識だが彼の生の言葉を初めて聞いた様な気がして奇妙な感動に浸っていた。
そして突然カメロは思いつく。
ハイネに形だけの総司令部を設けそこにアウスグライヒ王子達を封じ込めてしまうのはどうだろうか?
マルセランに実戦部隊の司令部を置けば良いのだ、総司令が王族である事から後方に置いても不自然でなかった。
「これでいい」
カメロが呟いたので隣に立っていた士官がカメロを思わず見るがカメロは気づかなかった。
急な思いつきだがそう悪くないと思う、彼らに酒や女をあてがっておけば総てが巧く行くような気がしてきたのだ。
カメロはドビアーシュ将軍にその案を上申する事を決めた、もしかすると将軍もそのつもりかも知れないと思ったが、参謀からの提言ならば彼も動きやすくなるはずだ。
軍議は解散し身分の上の者から退出して行く。
カメロは地図と資料を片付けながら心の底に掴みどころの無い焦燥感を感じていた。
参謀は何の権限も持たないかわりに責任を問われる事もなくある意味気楽だ、だがそれを思うと心の片隅がチリチリと焦げるのを感じる、今のカメロにできる事は少ない事も理解している。