森の中の軍勢
深い森を真っ直ぐ貫いて走る街道をリズとマティアスはたった二人で歩んでいた、この道はテレーゼ北部とグディムカル帝国の国境のグリティン山脈に沿って走り遥か北の世界を結んでいる。
二人の向かう先に広大な独立諸侯と自治都市が点在する辺境地帯が広がり、その先はアンナプルナ山脈の峠を抜けセイル半島の西海岸に至る長い長い旅が待っていた。
人通りの絶えた寂しい裏街道を進む二人は楽しげで足取りも軽い、二人はルディ達と別れてからとりとめもない会話をずっと楽しんでいる。
数日ものあいだ軟禁され自由も奪われ危険な少女達に絶えず監視されていたのだから。
「ねえマティアス北の国ってどんなところなんだい?」
「またその話かよ、もう忘れたのか?」
「そんな事はないよ、何度聞いても不安が消えないんだ」
マティアスは微笑んだ。
「ああ、大して変わらないぜ、こっちにある物は向こうにもある、いいものも悪いものもな、聖霊教会が無いぐらいさ、代わりにユールの神々の神殿がある、商人や傭兵とかこっちの人間もいるから心配するな」
「何とか生きていけそう?」
「ああ、向こうに着いたら仕事を探そう、お前なら困らんだろ?」
「ならいいけどねぇ」
「情報を集めて腰を落ち着ける土地を探すさ、そこで家を買うか借りるさ」
「い、家を?」
目を見開いたリズの顔が面白くマティアスは笑いかけたが、彼女の頬が薄く赤く染まっているのに気づいて笑うのをやめた。
「何を驚いているんだ?宿屋じゃ金がもたねえぞ?」
「そうだね、二人で暮らすんだね?」
マティアスは声を立てて笑う。
「オイオイどうした?今更だろ」
「うん、改まって聞くと驚いちゃって、心が決まって無かったのかなって」
マティアスは片手でリズの背中を軽く叩いた、マティアスは穏やかに笑っている。
すると背後から馬車の車輪の騒音が近づいて来る。
「マティアス、道の端によって!!」
リズの言葉は緊張を秘めていた、マティアスはすかさず反応しリズと共に街道の端によった、しばらくすると蹄の音と車輪の音を奏でながら数台の大型の二頭立て馬車と護衛の騎兵達が二人を追い抜いて行った。
どうやら商隊のようだ、彼らが去った街道に静寂が戻った、おかげで爽やかな森の空気が肌寒く感じられる。
マティアスは商隊らしき車列が見えなくなった後でリズを見る。
「リズ、今のがどうかしたのか?」
「私たちは御者に見えていないんだよ」
「ああ・・・・そうか、避けないと轢かれるのか」
「うん、そう」
二人はまた旅を始めた、それから一時間ほど歩き続けただろうか、マティアスが立ち止まると街道の先を睨み据える。
「どうしたんだい?」
マティアスの変化にリズは不安げにマティアスを見上げた。
「リズ、こっちだ!」
マティアスは慌ててリズの手を掴むと森の方向に引っ張る、彼の真剣な表情を見てリズは何も言わずについて行った、森の中に踏み込むと街道から少し離れた茂みに飛び込むと、リズも続いて飛び込んだ。
「マティアス何があったんだい?」
リズの声は低く小さい。
「静かに、前の方から何かが来るぞ、ありゃ騎馬や馬車の音だ、かなりの数が近づいてくる」
「ほんとだ聞こえるね、なんだろ?」
「静かにしろ、やり過ごすぞ」
「じゃあ術をかけるよ、向こうに備えがあるかもしれない」
「俺には良くわからん、リズたのむ」
「まかせて!」
リズは続けていくつかの術を矢継ぎ早に行使する、もしこの場に他の魔術師がいたならば、リズの腕前を見てかなりの高位の術師だと判断したに違いない。
やがて轟音と共に騎兵の一団が現れた、だが軍の所属を示す旗が掲げられていない、息を潜めて見守る二人の前を黒ずくめの軍列が次々と通過していく、それは途切れる事無く続くと歩兵の隊列が後からやって来る、二人はその威容に打たれ見守ることしかできなかった。
それでも終わりはやってくる、最後に護衛された荷馬車の一団が通過して轟音が遠ざかって行く、やがて静寂がもどった。
「あれはグディムカル軍だ、装備に見覚えがある」
「そうなの?山を越えてきたのかな?」
「いや、あの山を人は越えられるが馬車も馬も越えるのは無理だ」
「そうなんだね・・・どこへ行くのかな?まさかハイネ」
「俺にはわからねえ、俺の見たところ兵力が五千、輜重が千といったところだが輜重が少ないな・・・」
「どうするのさ?」
マティアスは驚いてリズを振り返った、茂みの中は暗くリズの顔がおぼろげに白く闇の中に浮かび上がる。
「どうするって?俺たちにできることはねえよ、先回りする方法も時間もねえ、あれだけの軍勢だすぐに発見されるさ、それにあいつらを心配するだけ無駄だ先を急ごう」
「でも」
「リズ、おまえ追われている身なの忘れるなよ」
リズは言われてそれを思い出したらしい。
「そうだね、先を急ごうか」
マティアスは茂みから出て周囲を確認するとリズに手を差し伸べた、リズは茂みの中ですこし恥ずかしそうに微笑んでから彼の手をとる。
やがて二人は街道にもどると遥か西の地を目指して歩み始める。