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ピッポの新しい職場

ハイネ市の北西区は帝国時代にテレーゼ有数の裕福な市民を相手にした高級商業区として繁栄していた、今もハイネ全盛期の面影をところどころに残している、特に魔術街は東エスタニア有数の魔術の知識が集約した場所とされていた事もあったのだ。


魔術街の北側にハイネ魔術学園の学舎がある、整美された美しい木立に囲まれた趣のある緑の屋根が城壁の北側の水濠に緑の影を落としている。

学園の隣には赤いレンガの三階建ての新しい瀟洒な建物が建っていた、学園の古風な様式の建物とそれは美しいコントラストを成していた。

研究所の建物の入り口の金属製の柵扉に金属のプレートが掲げられていた『セザール=バシュレ記念魔術研究所』と金色の象嵌でその名前が刻み込まれている。

だが扉は昨晩から固く締め切られたままだ、その鉄柵門は普段は一階の魔術道具屋に通う魔術師達の為に開かれていた、その店が臨時休業となっていたからだ。


その研究所の三階の所長室の窓からバルターザールは街並みを見下ろしていた、彼は壮年の長身の痩せた男で、貴族的な端正な容姿と知的な容貌そして薄い灰色の瞳が彼に対面した者に冷酷な印象を与える。

既に大きく傷ついたスーツを着替えて今は身だしなみを整え、その上から魔術師のローブを纏っている。

そして考え事をする時にこうして街並みを眺めながら精神を集中する癖があった。


その所長室に廊下の喧騒が遠くから聞こえてくる、所員達は昨夜の爆発の後、影響を受けた魔術道具や薬品の検査に忙殺されていた、ヒステリックな喚き声がここまで聞こえてくる、バルターザールは不快げに顔を歪めた、彼らの態度は魔術師に相応しくないのだ。


「所長オスカー様がお戻りになりました」

扉が開け放たれたままになっていた控室から事務員が声をかけてくる。


「戻ったかすぐにここへ」

バルターザールは目線で下がれと命じた、しばらくすると若い魔術師が部屋に入ってくる、彼は上位の死霊術師だがその体格と豪快な性格からとても魔術師に見えない。

事務員が一礼して下がると扉を閉じる、ヨーナスはまず一言語る前に防音壁を魔術術式で構築しはじめた。


「発見できたのか?」

「ええ、奇跡的にエッベを回収できました、魔道師の塔から派遣された魔術師は死んだと思われますね、まあ中位じゃ逃げ切れないかな」

バルターザールはヨーナスの軽口を聞いていくぶん呆れた様に睨む。

だがヨーナスはまったく堪えていなさそうだ。


「あの光を浴びて耐えたのか?」

ヨーナスは首を横に振った。

「死霊術に依る部分がかなり損壊しているようですね、今地下に運び込んだので見ますか?なんとか人間の形を残している感じですね」

「そうだな『魔道師の塔』から引き取りにくるまでこちらで調べさせてもらうぞ」


バルターザールはヨーナスを引き連れて地下に降りる、廊下を行き交う所員達が壁際に寄り彼らに一礼し道を譲った。



地下向かう幅広の階段を二人は降りた、何も無い石造りの階段は青白い魔術道具の光で照らされていた。

階段を降り右に曲がるとすぐ目の前に金属の扉が行く手を塞いだ、その扉の前に一人の魔術師が立っていた。

その魔術師は二人に気づくと驚いた様にささやいた。


「これは所長・・・オスカーさん」

その声は壮年の男の声だった。

「開けろ」

バルターザールの短くも鋭い命令に見張りの魔術師は慌てて扉を解錠した、この扉は機械的な鍵ではなく魔術的に鍵がかけられているのだ。

軋むような金属の音とともに両開きの扉が開かれる、その先はかなり広い部屋だ、カビ臭い湿った風が奥から吹き出してきた。

部屋の中も階段と同じ照明で照らされていた、無数の機材と器具と触媒の棚がその光の中に浮かび上がる。

部屋の中に黒いローブの数人の魔術師が忙しげに動き回っていた、その中の一人が来客に気づくと足を止めてこちらに黙礼する。


「見せろ」

「こちらです」

たったそれだけだったが魔術師はバルタザールの意思を汲み取り部屋の奥に二人を導く。

部屋の奥の巨大な実験テーブルの上に大きな何かが置かれている。


「これです所長、こいつは死んでいます」

「なんだこれは?」

流石のバルターザールもそれに困惑した、それはたしかに人の形に似ていた、だが皮膚を失った肉塊にチーズの様に不気味な無数の穴が空いている。

「これが本当にエッベなのか?」

だが死霊術師らしく酷い死体に慣れているのかすぐに平静さを取り戻した。


「ここに残された認識プレートのおかげで俺も判断できたんですよ、その板は魔術的な物で奴の皮膚の下に埋め込まれていたものです」

ヨーナスが初めて言葉を発した、彼の指し示す先に小さな金属のプレートが見える。


「魔術的道具としての機能は失われましたが、こいつのお陰でわかりました」

「大きな剣で切られた跡があるな・・・」

すこし近づいてエッベだった物を観察していたバルターザールが背を伸ばす。


「もしかすると再生しかけていたかもしれませんよ所長」

バルターザールはうなずいた、そしてヨーナスの顔を初めて見た。

「傷の再生が始まった痕跡がある、だが死霊術と錬金術に依る物質が緑の光に焼かれたようだ、この穴はそれで生じた」

「俺もそうだと思います、でも向こうに引き渡したくないな」

「同感だがそうもいかん、直ぐに魔道師の塔に伝えなければならん、ヨーナス上に戻る」


バルターザールはヨーナスを急かすと地下室に踵を返した。







私物を小さな背嚢に背負いピッポは魔術街を北に向かって歩んでいた、だが久しぶりに訪れた街の雰囲気がいつもと違っていた、魔術学園に通う生徒達の姿が消えている。


「イヒヒ、寂しくなりましたな」


特に面白い事がある訳では無いがこれが放浪の錬金術師ピッポの口癖になっていた。

だがそれは街が寂しくなっただけではない、この男は長く旅をともにしてきた仲間達の事を思い受かべていた。


手先の器用な時計職人のテオ=ブルースは袂をわかったまま行方知れず、若い怪力自慢のジム=ロジャーもジンバー商会に潜り込んでから連絡が途絶えたままだ、そして妖艶な炎の魔女のテヘペロもここ最近顔を見ていない。

そしてジンバー商会に転属したリズとマティアスが行方不明になっている事はピッポは知らなかった。


「『テレーゼは流れ者が流れ着く街、そして出ていった者はいない』良く言ったものですなあ」

人の絶えた街並みを眺めてから足を急いだ、正面に学園の正門が見えてきたがその門は固く閉ざされていた、どうやら戦の足音が近づいたので学園の生徒達は実家に帰ったのだろう。

彼らの多くはテレーゼの比較的裕福な家の出の生徒が多くハイネの生まれではなかった。


ピッポはそのまま左折すると学園通を西に進む、やがて前方に街路樹の緑に映える『セザール=バシュレ記念魔術研究所』の建物が見えて来た。


ピッポは正門の前を通り過ぎると西側の細い通路を曲がる、その先に研究所の通用門があった。

通用門の外からも中の騒然とした空気が伝わってくる、門番の若い男がいかがわしい不審者を見る目でピッポを睨んでいた、内心に不快に感じたが愛想笑いを顔に貼り付ける。


「今日からここで働く事になりまして、イヒヒ」

門番に金属の通行書を手渡すと、男は疑わしそうに改めピッポと見較べていたが最後に渋々と認めた。

「通っていいぞ」

通り過ぎてから無駄にへりくだり過ぎたと後悔して門番の後ろ姿を睨んだ、そして三階の所長室を目指した。

研究所の通路と階段は木箱を運ぶ魔術師達の往来が激しい、彼らの会話や響き渡る罵声から魔術道具や薬品の検品で忙しい事がわかってくる。


「やはり昨日の爆発ですな、死霊のダンスはここまで酷くは無かったですな、さては地下にあったから?」

ピッポは慌てふためく魔術師達を内心で嗤いながら階段を昇る、普段から気取り屋でピッポを内心で見下しているのが丸わかりの魔術師達をピッポは嫌いだった。

リズ=テイラーや死霊のダンスの向かい席の若い魔術師は例外だった。

そして旧友のテヘペロも表向きはそんな態度を見せた事は無かった事を想う、だが彼女は感情豊かに見えて本心を仲間にすら見せた事はなかった。


「もたもたと歩くな!」

考え事にふけりかけたピッポにぶつかりそうになった魔術師がヒステリックな罵声を浴びせてきた。

ピッポはそれににやけた笑みを返しただけだ。

所長室の前にたどりつくと扉は閉ざされていた、だが隣の控室の扉が開いている、そこから中を覗き込むと執事服の若い男が疑わしい目でピッポを睨み返してきた。


「何の御用でしょうか?」


「今日からここで働く事になりました錬金術師のピッポ=バナージです」

愛想笑いを顔に貼り付けながら男に羊皮紙を手渡した、それはピッポの配属に関する書類だ。

だがピッポのこの嘘くさい愛想笑いが胡散臭さを増幅している事に本人だけが気づいていない。


錬金術師と解ったからか執事の態度が少し改まる。

「暫くお待ち下さい、所長は多忙なのですぐに会えないかもしれませんが」


「お忙しいところご迷惑を、イヒヒ」

執事の顔を一瞬だけ流れた不快な感情の色をピッポは見逃さなかった。







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