穢れし淑女
エルヴィスは金縁の遮光メガネを外し白いテーブルの上に置いた、そして眼に置かれた大皿の縁を掴んで手元に引き寄せる、精緻なアラバスター細工のような闇妖精の姫の顔が迫る。
「ドロシー異界の神を呼んだそうだな?」
「そう」
「なぜそんな事をしたんだ?」
ドロシーはどう答えようかと目をくりくりとさせた。
「白銀の大蛇を倒すため・・・」
「あの娘はやはりそうか、で失敗し大地母神メンヤを召喚されたと言うわけかよ?」
「そう」
エルヴィスは呆れた顔をしたがどこか面白そうにニヤける。
「アレが大地母神メンヤを召喚すると予想できなかったのか?」
「できなかった、幽界の大精霊が物質界に顯現する事は許されていないの、上位世界から禁じられている、でも魔界の大精霊はそれに縛られない」
「だが降臨したんだろ、なぜだ?」
「最終戦争、世界間戦争が起きた時ふたたび解放されると予言されているわ、でもそれは今ではない、たぶんメンヤは上位世界から特別に許されて顯現したの、きっと」
ドロシーは眼をエルヴィスから逸して語尾を濁した。
「最後に二柱の神が消え焼け野原になった森が再生した、それも上位世界とやらの介入なのか?」
「ある一点から精霊力の大爆破が起きました、私の身体を利用した依代が浄化されると魔神も魔界に返りました、私の頭だけはかろうじて護りましたが」
エルヴィスは苦笑するとドロシーの額に指を延ばして軽くつつく。
「今の口調はシーリだぜ?」
ドロシーは芸術品の様な美貌を嫌悪に顔を歪めて叫ぶ。
「その名前を聞かせないで!」
「嫌いなのか、お前自身なんだろ?」
「私はあいつが嫌いなの、あいつも自分自身が嫌いだけど」
「まだ許せないのか?」
「もう混ざりあってしまったけど、今も記憶の中にいる、眠るとまだ現れる事がある、あいつは私が羨ましかったのよ、いえドロシーが羨ましかった・・・」
エルヴィスの指がドロシーの額から繊細な鼻筋を下った、彼女はどこかうっとりとした貌を魅せる、そして唇に指先が触れるとドロシーを黙らせた。
「で、いつまで首だけなんだ?」
「まだ魔界の門を創れない、門を創る力が貯まれば一気に再生できる」
「瘴気が必要なのか?」
「瘴気を集める力が弱くなった、あと人の命の力があれば」
「さすが吸血鬼だな、さっきの使用人の血は吸わないのか?」
「ポーラがそれを望まないなら吸わないわ」
「ポーラか思い出したぜ、あの女いろいろ訳ありだったがお前には逆らわないと思ってお前の専属使用人にしたんだ」
「もう事情を教えてもらったわ、お気に入り」
「珍しいな人を気に入るなんて、眷属にする気は無いんだな」
「うん、仲良くしたいけどみんな怯えてしまって・・・隅っこの人はそれを制御している、よほど良いところで働いていたと思ったけど本当だった」
「ははは、まあそうだろうな、あの女は身の上を話したくなさそうだったので罰としてお前の処に送り込んだ、どこかの密偵でも何もできないと思ってね」
「そう何もできない、上位魔術師でも優れた戦士でも私に逆らう事はできない」
「あの女はアラティア人だな?僅かな訛でわかったよ」
「正解よエルヴィス、ダールグリュン公爵家で働いていて宝石を盗んで逃げたって」
エルヴィスはその家名がアラティア王家に連なる屈指の名門の名だと即座に気づく。
「はは、それはなかなか大物だ、あの女とてもそうはみえねーな」
「使用人が主人の貴重品を盗むのはよくある事よ、でも盗みは主人の管理責任になるから大っぴらにならない事もあるの、それに大家の使用人は良いところの家の生まれの者が多いから、そこが盲点になるのよ」
「さすがに詳しいな」
ドロシーは僅かにむくれて目線を逸した。
「余計な事を言った」
「いいんだ、ふと昔を思い出したよ」
エルヴィスは穏やかな貌で皿の上の恋人の残骸を見下ろした。
「そうだ魔道師の塔はお怒りだったぜ?」
「冷凍ミイラが何言おうと知らないわ」
「奴が溜めていた障気をごっそり使い込んだらしいな?」
ドロシーは目をくりっと逸らした、そしてエルヴィスを真っ直ぐ見返す。
「まさかメンヤが召喚されるなんて想定していなかったもの、でも皆んな元の世界に送り返された」
「あの精霊力の爆発の正体はわからないのか?」
「・・・わからない、何者かが介入したのは確か」
「何者か心当たりがあるな?」
ドロシーはうなずきかけたが首が動かない、苛ついて小さくうめく。
「精霊王」
僅かな沈黙の後でエルヴィスは僅かに目を見開いた。
「セザールの奴も同じ考えだ、敵の大男が持っていたペンダントが精霊魔女アマリアの遺産だそうだ、今になって手の内を明かしやがった、今まで俺達に隠していたのさ」
「そのペンダントなら見た事あるわ、綺麗な大きなエメラルド、でも造り物ね今の錬金術師に創れる物ではないわ」
「精霊魔女アマリアは精霊王と契約しているんだろ?」
「そう精霊魔女アマリアは幽界帰り、白銀の大蛇の娘と同じ、私が闇妖精姫にならなかったら永遠に知ること叶いませんでした」
少し上目使いになったドロシーが血の様な赤い瞳を潤ませ、口から血の色をした舌の先を出すとエルヴィスの指の先を舐めた。
それ自体独立した生き物の様に蠢く真紅の舌はおぞましい、だがエルヴィスはそれを平然と彼女のするに任せた。
「なあ、どのくらいで元に戻れるんだ?」
「二~三日あれば魔界の門を開く力が溜まる、それまでここに隠れているわ」
「しょうがねえな」
肩を軽くすくめて懐に手をいれた、取り出した手は小さなカッターを摘んでいる、その小さな刃で中指の先を小さく切り裂く。
指の先に血の球が生まれて少しずつ大きくなった。
ドロシーが鼻を鳴らす音が聞こえた、彼女の瞳は真紅の光に内側から照らされて輝いた、そしてあさましく舌を伸ばす。
その唇から白い牙の先が頭をのぞかせる。
苦笑しながらエルヴィスは傷ついた指先をドロシーに近づけると、動けないのがもどかしいのかドロシーの頭がガタガタと揺れて皿を鳴らした。
そしてエルヴィスの指先を、砂漠で餓死しそうな旅人の様にあさましくも真紅の長い舌を伸ばし舐めまわしはじめる。
「どうだい?」
ドロシーは舌を口に仕舞ってから満足気に微笑んだ。
「美味しい」
「そうかい」
エルヴィスは嘲けるように笑うと指をドロシーの口の中にいきなり突っ込む、ドロシーの目が混乱し騒がしく動いたが、そのまま指先を咥えると目を閉じ指先から血をすすり始める。
「ごめん大損させた」
急に彼女が指を離したのでエルヴィスは驚いたが朗らかに笑った。
「お前を守る為に組織を造ったんだぜ?」
ドロシーはエルヴィスを見上げてから柔らかく微笑む。
何かを言いかけたドロシーの口にエルヴィスは指を突っ込んだ、彼女は眼を閉じてふたたび血をすすり始める。
エルヴィスはそれを愛おしげに見下ろしていた、もし観察力に優れた者がこの場にいたならば男の赤く染まった瞳の奥に狂気の光を見る事ができただろう。
リズ達を乗せた二頭立ての快速馬車はハイネのはるか北を北西に向かって疾走っていた、今夜は小さな師宿場に泊まり明日の早朝から旅を続ける予定だ、明日の正午過ぎに大森林地帯の手前に到達する。
徒歩ならば五日以上かかる距離を一気に走り抜ける。
高級な快速馬車の乗り心地は上等なスプリングのおかげで信じられない程快適だった、ベルは居眠りを始めたリズがマティアスの肩にもたれかかるのを見て少しイラツいていた。
隣が静かなので気になって眺めるとアマンダが背筋をまっすぐ伸ばしたまま眠りに落ちていた。
「マティアス」
「ん?」
何の話かとマティアスは僅かに警戒の色を浮かべ身構える。
「ハイネに知り合いとかいないの?別れも告げずに出ただろ」
マティアスはあからさまに安心の色を見せた。
「まあな、挨拶ぐらいしたい奴もいるが足が付くとお互いに危険だ」
「リズはどう?」
マティアスはリズの寝顔をみて微笑む。
「こいつの友人も知人もハイネに少ないんだ、俺の知り合いの錬金術師と仲が良かったがな、魔術の研究以外に興味が無かったんだ、それにもともとハイネの人間じゃねえ」
「誘拐同然に連れて来られたって言ってたね」
マティアスはよく知っているなと言った貌をした。
「ああ、死霊術師のスカウトが世界を廻っているそうだぜ・・・」
「それはホントだよ」
何時の間にか眼を醒ましたリズがそれに応える、彼女は少し慌てて身体を起こしローブを整える、彼女の頬が少し赤く染まっていた。
「私なら奴らを見分けられる、もし万が一遭遇したら倒すしか無いかな」
「勝てる?」
「スカウトは下位の術師がほとんどだよ、奴らは何か特殊な魔術道具を使って素質のある子供を見分けているのさ、道具は魔道師の塔が厳しく管理しているから詳しい事はわからないのさ」
「たしかリズは中位だったよね?」
「うんそうよ!」
そう答えたリズはどこか誇らしげだ。