魔神と大地母神
異界の精霊力と瘴気が干渉し生まれた霧がしだいに薄れると、ベールの奥に隠れていた異界の上位存在をルディの感覚が光と闇の巨大な塊としてとらえる、その禍々しいまでの巨大さに息をのんだ。
そこに裸の女性の巨大な上半身が対地から聳え立つ、豊満で土色の肌をした巨大な女神がそこにいた、彼女の下半身は溶けるように大地と融合している。
彼女の額には縦に細長い第三の目が青い光を放つ。
彼女の目鼻立ちがはっきりした容貌はどこか異国的だ、肉感的な唇は僅かに微笑むように歪み、その隙間から白い牙の先端をのぞかせていた。
そして黒い髪の毛は豊かに波打ち腰まで伸び、髪の毛に銀粉を撒いたように光が星の様に燦めいていた、その黒い髪の波濤の中から巨大な二つの胸が突き出す、彼女が豊穣と生殖の女神である事を思い出した。
その姿はハイネ聖霊教会の大礼拝殿の近くにある、大地母神メンヤの小さな礼拝堂の古い石像の姿にとても良く似ている、だがあの石像より桁違いに大きい、その身体は魔界の女神より遥かに大きかった。
そして彼女の黒い目はゴールドアイシャドウで華やかに強調されている、土気色の彼女の肌の色にとてもよく映えた。
その黒いガラスの様な瞳は目の奥の異界の光を透過し宝石の様に美しく輝いた、その視線は魔界の女神を真っ直ぐに捉えている。
「あれが大地母神メンヤなのか?」
思わず漏れた言葉に胸のペンダントが答える。
『間違いないルディガーよ』
「女神メンヤの方が大きいのか?」
『神々の実体は幽界と魔界にあるのじゃ、現実世界でどこまで再現できるかは召喚者の力量と魔力量で決まる、あれでもほんの一部が顯現化したに過ぎぬよ、そして倒しても元の世界に還るだけで滅びる事はない』
あらためてメンヤを観察すると彼女の肌を得体の知れない謎の生き物が数匹這いずりまわっている、この距離ならば牛や馬ほどの大きさがあるはずだ、妖艶な女神に心を奪われかけたが、彼女は死と破壊を司る破壊の女神なのだ、ルディは改めて心を引き締めた。
だがコッキーが変化した白銀の大蛇の姿が見えない。
メンヤはゆっくりと右腕を上げる、その手に黄金色に輝く光輪を握りしめていた、それは眷属にして幽界の大精霊でもある白銀の大蛇だ。
その光の輪が少しずつ形を変えはじめる、やがて鈍く真鍮色に輝く古風なホルンの形に変化して行く。
そのホルンを抱えた姿を良く知っていた、ハイネ大聖霊教会の大地母神メンヤの小さな祠に祀られた石像も古風なホルンを抱えていた。
下半身が大地と融合し、両腕に大地のホルンを抱えたその姿はテレーゼの土地女神メンヤの姿そのままだ。
ルディはテレーゼに来てから頭に叩き込んだ知識をなぞる、メンヤは古代テレーゼの土地女神で聖霊教に取り込まれ大精霊とされた存在だ、生と死を司り豊穣と性愛や繁殖そして破壊と腐敗の守護神でもある、人にとって善悪定かではない強大な大精霊は世界の運行の一端を担っているとされていた。
「殿下、あれは大地のホルンです」
アゼルの声が震えていた、古き友もこの変事に動揺している。
神々達が同時に人智を越えた魔術術式を高速で行使する、その速度から生じる不快な波動が神経をさいなむ、今まさに二柱の女神が超高位魔術を繰り出そうとしていた。
『まずい!!』
ペンダントが絶叫した、巨大な力が二柱の女神に収束すると爆発的に解放された、光と暗黒が瞬時に生じお互いに食い合い無に還って行く、だがメンヤの力が上回るのか白い光が暗黒を飲み込み始めた、溢れた光が魔界の女神を飲み込む。
魔界の女神の周囲で紫の光が燦めいた、女神を護る魔術結界の輝きだ、直後に爆風と衝撃波が街道に放置されていた輸送隊の馬車を吹き飛ばしながらルディガー達のいる場所に向かってくる。
反射敵に身体を地に伏せた。
だが爆風と衝撃派が見えない壁に防がれる、周囲が白い輝きに包まれ何が起きているのかわからない、やがて光が薄れると全身が崩壊しかけた黒い女神の姿が現れた、メンヤが大地のホルンを構えそのマウスピースを肉感的な唇に当てた、だがメンヤの動きが止まり目が直後に見開かれた。
巨大な瘴気の竜巻が上空から降りて来たからだ、そして魔界の女神を包み込んだ、魔神が現れた天空の瘴気の輪から高密度の瘴気が供給されている。
そして南東の方角から耐え難い不快な気配が迫りつつあった。
ルディは思わずその方角を見る、地を這うように漆黒の瘴気の雲が迫っていた、たしかこの方向に何かがあったはずだ。
そして思い出すこの方角にド=ルージュ要塞の廃墟がある事を。
『ド=ルージュの瘴気じゃ、あそこにテレーゼ中から集められた瘴気が集まっておる、奴はそれを利用するつもりじゃ』
瘴気の雲に包まれ何も見えなくなった、アゼルが照明用の魔術道具を使うと、周囲が青白く照らしだされた。
「殿下、我々はここから離れるべきです!」
轟々とした風の音だけが女神の防護結界の中に聞こえてくる、ルディは悩む女神の結界がどれほど耐えられるか解らない。
「さっきの攻撃を受けたら、もう一度ぐらいしか持たない」
ベルが立ち上がるとまっすぐルディの目を見つめる、その瞳の奥の黄金色の光が青い瞳を内側から照らしだしていた、その姿に今のベルはベルでは無いそんな不安を感じる、それを意識から振り払った。
「わかったベル、次の一撃を受けたら北東の方角に向かって全速で走る、アゼル達は今の内に魔術で身体強化をしてくれ、ホンザ殿は大丈夫か?」
「おお、それくらいはできる」
ホンザが術式の構築を始める。
「私も心配いりませんわ」
アマンダも体を軽くほぐして準備をしはじめる。
魔術術式がまた高速で行使された、何も見えないが不快な波動が神経を苛む、結界内部に浸透するほどの術式が行使されようとしていた、それに結界が耐えられるのかわからない。
だがそれを表には出さない、今更心配しても打つ手など無いからだ、あと一回女神の結界が耐える事を期待してここから離脱する。
巨大な自然災害を相手にするように無力、幽界の力を借りる自分達ですらこの有様だ、人は太古の昔から神々の前に為すすべも無かったのだろうか、そう思うと唇をかみしめる。
術式構築が完成した。
「皆んな始まったぞ」
漆黒の障気の雲が吹き飛ばされ、また白い光に飲み込まれた。