環状の蛇の娘
眼下に地を這うように燃え上がる炎が見える、そしてどこまでも広がる暗い空、闇に沈んだ地上は黒い絨毯の様に森がどこまでも広がっていた。
そして私が何者なのか知らない事に気づいた、名前も覚えていない、何か忘れていけない事があったはずなのに何も思い出せなかった。
体が軽いそして大いなる力に満たされていた、体をうごかして外界を見下ろす、そこに漆黒に光る巨大な何かが佇んでいた、それは人にその姿形が似ている。
それは私にとって当たり前の事だった、人が神々の姿に似せて作られたのだから、それを良く知っていた。
そして巨大な人の姿に似た何かが敵だと知っている、人を作りし女神にして神々の裏切り者の姿をその黄金の瞳が捉えた。
数万年の時を越えた怒りと憎悪が己の中で膨れ上がり殺意に満たされた、だが敵はまったく動きもせず虚空を見つめていた。
空をかけ敵の頭上から襲いかかった、体を敵にぐるぐると巻きつけ締め上げた、敵が初めてこちらに意識をむけた。
アーモンドの形をしたその目に瞳はなかった、ただそこには虚無がある、瞳の向こう側から深淵が覗いていた。
体を伸ばしてその嫋やかな首に牙を突き立て噛みしめた、敵の全身を締め上げて押しつぶそうと更に力を込めた、敵の体から不気味な音が聞こえてくる、青く輝く牙が敵の滑らかな漆黒の皮膚に突き刺さり毒液が肌を滴り落ちた。
ついに虚無を湛えた女神の目が白銀の大蛇を捉えた、黄金に灼熱する白銀の大蛇の瞳と、魔界の女神の虚無の瞳が交差した。
人形の様だった魔界の女神像に命が吹き込まれた様に動き出す。
自由に動ける巨大な腕が握りしめた神具を魔銀の鱗に護られた大蛇の体に叩きつける。
神具の打撃を魔銀の装甲が受け止めると魔界の力と幽界の力が衝突し爆発を生じる。
それをものともせず大蛇は更に全身に力を加え締め上げて更に牙を深く食い込ませ毒液を流し込んだ、やがて傷口から紫色の煙が吹き出し大蛇の口から溢れて広がる。
魔界の力が女神に集まり始めた、人の魔術師の数百倍いや数千倍の速度で複雑な術式が一瞬で編み上げられ、古代文明人すら知り得ない超高位術式が完成した、その巨大な力は大蛇を己の体に巻き付けたまま行使された。
大蛇は意識の片隅で己が使える上位存在の意思を感じとった。
スベテヲ ウケトメ コチラニ ステヨ
人の言葉に直すとそのような意味を為す言葉が意識の中に流れ込んでくる。
その直後の事だった生きとし生ける者総てに致命的なダメージを与える暗黒の光が女神の腕から放たれる、その力を白銀の大蛇は魔銀の力で反射せずあえて体に吸収した、それでも死光の一部は反射されて周囲に死をばらまく。
森の木々がたちまち白い灰の塊となって戦いの余波で砂の様に崩れ去った。
さらに自由に動く二本の腕が攻撃を加える、神具の打撃に魔銀の鱗が弾け跳んだ、鱗はたちまち精霊力となり光の粒子となって消える。
だが大蛇の傷は見る間に再生される。
女神の美しい唇が僅かに歪む、その直後から連続的に巨大な超高位魔術の連続攻撃が始まった、だが大蛇は女神の首に食らいつき離さなかった、女神が放った魔界の力を取り込みそれを幽界の門に捨て続ける。
だが敵の魔力は巨大すぎ捨てきれずに次第に体の中に蓄積して行く、体が痛み燃え上がるように熱い、それでも毒液を流し込むのを辞めなかった、そして毒液は世の常の毒液ではない、存在を構成する理そのものを崩壊させる幽界の魔水そのものだった。
女神の首の溶解が急激に進むと魔界の女神の首が傾むきはじめる、やがて美しい美貌をはりつけた巨大な頭が地に落ちた、頭はたちまち崩壊し青色の瘴気にかわる、だが新たな瘴気が女神の頭があった場所に集まるとそれは物質化して新たに女神の顔を形作った。
そこに何事も無かった様に魔界の女神の美貌が白銀の大蛇を見下ろしていた、そしてその口が初めて微笑を浮かべる、何を考えているのかわからないエキゾチックな微笑みを浮かべる。
その唇の隙間から白い牙の先が頭をのぞかせた。
再び魔界の女神は超高位魔術の連続攻撃を開始する、女神が放つ魔界の力を真銀の鱗が取り込み大蛇の体が灼熱し輝いく。
その苦痛と熱の中で再び私の意識が混濁して行く、自分が何物だったのか忘れたままこのまま消えていくのだろうか、その恐怖と絶望の中である言葉が浮かぶ。
おかあさん・・・
敵の魔術攻撃が途絶えた、朦朧とした意識が僅かに戻る、背後の景色が回転していた、絡みついていた魔界の女神ごと倒れようとしていた。
その視界の端に小さな黒い影が精霊力の激しい尾を曳きながら流星の様に消えて行く。
なぜかその精霊力の主を大昔から知っている気がしたのだ、そして重い衝撃と共に大地に叩きつけられた。
何が起きたのか観察すると女神の左足の膝から下が消滅していた、そして女神と目が合った、その瞳のない女神から深い怒りを感じる。
ふたたび女神は超高位魔術を行使する、今度は女神の体が魔界の炎に包まれた、女神の全身が青白く灼熱し青白い煙を全身から吹き上げる、そしてついに魔銀が溶け始めた。
その熱の余波でまだ残っていた森の木々が燃え始めた。
モウヨイ タメタチカラデ モンヲ ヒラキナサイ
またあの意思を感じた、何をすべきか良く知っていた、太古の魔界の神々との戦いで進撃路を開いたのは世界境界の守護神にして世界の始まりたる環状の蛇、その環状の蛇の娘の一柱こそ自分なのだ今それを思い出す。
現実界は幽界の影、幽界は現実界の影、幽界の大精霊達はそれぞれ対応する現実界の土地を管理している、自分はテレーゼの土地女神であるメンヤを補佐する役割があった。
魔界の女神の灼熱した体から体を解くと地に降り輪になる、そして自分の尾の先を咥えた。
舞踊術式は不要、白銀に輝く光の輪となり上位存在にのみ許された無詠唱の高速術式を編み出した、魔界の力の根源は現実界から盗まれた力に過ぎなかった、それを還元し幽界の世界境界に通路を開くのだ。
禁忌の行いだが例外があった、それは現実界に魔界の神々が顕現した非常事態のみ。
数千年に一度の大変異が今始まろうとしていた。