白き魔獣の魔剣
ベルは自分でした事なのに自分の目が信じられなかった、愛剣グラディウスが吟遊詩人の片刃の魔剣を受け止めていたからだ、バターをナイフで切るように大樹を切り刻む白刃の魔剣の攻撃に愛剣が耐えていた。
ベルのサファイアブルーの瞳が揺らぐ、遠い異国の猫の瞳のように光彩が細められグラディウスを見つめていた。
白き魔獣の顔が訝しげに変わるとその力が乱れた、彼の変異が僅かに解ける。
「まさか魔剣、だが精霊変性物質ではない」
ベルは吟遊詩人の言葉から称賛の響きを感じた。
だがベルにも状況が理解できない、グラディウスは普通の剣にすぎない、そしてそれは今も変わらなかった。
そして自分の行動も理解できなかった、アマリアからもらった魔剣が砕かれ無意識にグラディウスを抜き放って攻撃を受けて止めていたのだから。
たしかに敵の刃から回避する余裕が無かった、だから結果として正しい行動だった、だがなぜそうしたのか自分でも理解できないのだ。
混乱して言葉にならない、そしてその衝撃からベル自身の変異も僅かに解けていた。
「予備は備えておくものだろ」
ベルは自分の混乱を鎮めてから落ちていた折れた魔剣の柄を左手に素早く掴む、そして折れた魔剣を軽く目の前で振りながら吟遊詩人に見せびらかせた。
「それは正しい、だが二振りも魔剣を揃えられるとはエルニア貴族は随分と裕福だな」
「なっ?」
そこで慌てて驚きを隠したが遅かった、吟遊詩人の口が微笑むと細い月の形に歪む、そしてベルは吟遊詩人の言葉が芝居がかった口調から変わっている事に気づく。
「君の剣は何だ?まあいいさ試させてもらう」
再び神速の一撃がベルに襲いかかる、それを右手の折れた魔剣を盾代わりにいなす、ベルはまだグラディウスを信じ切れなかった。
白い魔獣は不快げに人らしさを残した顔を歪めた、そしてベルがグラディウスで受けざるを得ない状況を作るべく巧みに攻撃軸を変化させながら鋭い攻撃を加える、絶え間のない連撃がまるでオーロラの様な光の帯と化した。
ベルは次第に彼の圧力に押され後退を強いられた、技と力で吟遊詩人が勝っているように見える、やがてグラディウスが白銀の刀の攻撃を受け始めた。
グラディウスはそれに耐えた、二振りの剣の激突から異界の力が溢れ始めた、何か面白い宝物を見つけた様に白い魔獣の貌が変わる、奴は楽しげに笑っていた。
だがベルの美しい青い猫の瞳は無感動に総てを観ていた。
ついにステップを踏み後退したベルのブーツが木の根を踏みしだき体のバランスを崩す。
それを見逃す吟遊詩人では無い、ベルは崩れ落ちながら剣で攻撃をいなしたがついに腰を地面に落としてしまった。
そこに必殺の斬撃が放たれようとした刹那ベルの左手から何かが放たれる、折れた魔剣の下半分がベルの手首の力だけで吟遊詩人の顔を狙って恐るべき速度と精度で放たれてた。
それを白銀の刃が弾き飛ばす、だがベルが立ち直るには十分な時間だった、そのまま一気に間合いを詰めてグラディウスで反撃を加える、だが白い魔獣は見事な技で受け止めグラディウスの背を叩き打ち下ろした、恐るべき反応速度と剣速と力だった。
グラディウスが激しく揺らぎ金属の悲鳴を上げた、ベルの手から剣の柄が離れかける、その刹那吟遊詩人の赤い瞳は勝利を確信していた。
だが吟遊詩人の瞳は僅かに微笑むベルの凶相を捉えていた、美しい美貌を残した黒い獣が笑っていた、ベルは機嫌の良さげな黒猫の様に愛らしくも凶暴に笑っていた。
その直後に吟遊詩人の目が見開かれ声なき咆哮をあげる。
赤い瞳が動きベルの左腕を見つめた、吟遊詩人の喉に黒い魔剣の先が突き刺さる、ベルは折れた魔剣の剣先を左手に握り占めていたのだ。
ベルの手から血が流れ艶やかな黒曜石の様に輝く黒毛の上を赤い血が流れ落ちる。
白い魔獣は気づいた、敵が戦いながら砕けた魔剣の剣先が落た場所に移動していた事を。
ベルはグラディウスを握り直したが顔をひそめた、手首に力が入らない今の衝撃で骨が折れていた。
ベルは後ろに大きく下がる、そして折れた剣先を大木の幹に投げつけると乾いた音を立て突き刺ささった、そのままグラディウスを左手に持ち替えると構えた、左手でも剣を使えるように長年訓練を積んでいた。
白い魔獣の喉から青い血が吹き出す、そして瘴気の力が膨れ上がった、白い魔物は異界から巨大な力を呼び込み始めた。
ベルも精霊力を高めて力を傷に流し込む、傷が消え骨が元に戻るイメージを心に強く描く、少しずつ痛みが緩和されて行く、なぜかそうするのが良いと知っていたからだ。
ベルは敵が立ち直る前に決着をつけるべく攻撃を仕掛ける、一気に力を解放させる。
その瞬間の事だった。
精霊力の巨大な爆発がいきなり生じた、なんの前触れもなくそれは最大限に高まり、あたりが白い霧に覆われ巨大な雹が降りそそぐ、雪と氷の嵐に周囲を包まれて白一色に変わった。
ベルはこの魔術を知っている、アゼルの切り札『ミュディガルドの氷の軍勢』だ、だが術式構築時に生じる精霊力のノイズを感じなかった、アゼルはアマリアからもらった魔術道具を使ったに違いない、それしかあり得なかった、だがあれが使えるのは一度だけだ再充填しなければ再度使えないと聞いていた。
そして今度は上空から巨大な力の波動を感じて驚く、あの満月の夜に闇妖精と闘った時と匹敵する巨大な瘴気が生まれようとしていた。
ベルの青い美しい猫の瞳が見開かれそして言葉を失った。
空に巨大な瘴気の輪が浮かんでいた、その輪の中心に巨大な虚無の穴が開きそこから瘴気があふれ出ようとしていた。
その向こう側に何かがいる、何かがこちらの世界に現れようとしていた。
だがそれを見届ける猶予は無かった。
吟遊詩人の白銀の刀が迫るのを感じグラディウスで受け止める。
「まだ終わっておりませぬ美しいお嬢様」
金属の刃鳴りが静まるとその白い魔獣はささやく、ベルのその青い猫の瞳が白い魔獣の真紅の瞳を睨み据えた。
「いきなりこれはなんですかマスター!?」
黒い魔術師のローブの若い男が慌てて老師を見上げて叫ぶ、巨大な木の人形が二人に覆い被さるようにして氷の嵐から護っている。
死霊術ギルドマスターのメトジェフは若い弟子を見下しながら鼻で笑った。
「そんな事も解らんのか?これは『ミュディガルドの氷の軍勢』だ」
二人の周囲は防護結界に守られ外部の騒音は緩和されていた、それでも嵐の様な地響きを感じる事ができた。
不機嫌そうな老魔術師は無知な弟子を侮蔑の眼差しで見下す、そうしている間に魔氷の嵐が召喚精霊と防護結界を切り崩していく、先程まで黒い大剣をふるい常識はずれの力を示していたあの大男の姿も嵐に覆われ見えない。
「あの、その魔術術式も詠唱もありませんでした」
「ホンザが地精霊術師と忘れたか?若いひょろ長い奴は水精霊術師だ」
「あっ!」
「やっと気づいたか、結界を上手く利用すればある程度誤魔化しが効く、このように力が溢れている場でわな、あともう一つ可能性が無いわけではないぞ」
メトジェフは戦いの最中に魔術の講義を始めていた、悪いくせだと弟子は思ったが賢明にも何も言わない。
「魔術道具だ」
得意げにメトジェフは笑う。
「上位の攻撃術が使える魔術道具なんて国宝級ですよマスター」
「そのくらいはお前にも理解できるか、まあ有りえん事だ」
その言葉が終わるまもなくメトジェフの召喚精霊『ガイナックの朽木の巨人』が崩壊した。
「くそ、こんな事をしている場合ではないわ!!」
そして弟子を睨みつける、お前が余計な事を話すからだと雄弁に語っていた、だがその弟子の目が見開かれていた、彼は何かに驚いていた。
その時左側から瘴気の放散を感じた、収まりつつある嵐の向こう側で巨大な力が激突している、黒い小山の様な影が崩れ落ちる。
「ヨーナスさんの龍がやられましたよ?」
メトジェフは今更の様に周囲の状況の把握に務めはじめた、辺りを埋め尽くしていた骸骨の軍隊が消えている、そして『ミンサガの死竜スヴェトラゴルスク』もまた魔界に帰って行く。
幸いな事に黒い長い髪の女はコステロ商会の助っ人が抑えてくれた、だがあの黒い長剣の男の相手をしなければならない。
何かしなければと慌てて新しい精霊を召喚する事を決断した。
その最中に頭上に巨大な力の波動を感じたのだ、それはどんな上位死霊術師の行使できる力の限界を越えた巨大な力だ。
空に巨大な瘴気の輪が浮かんでいる、その輪の中心に巨大な虚無の穴が開きそこから瘴気があふれ出た。
メトジェフには理解できる、現在の死霊術の力を越えた遥かに高度な力が行使されようとしていると。
「あれは何ですかね?」
どこかズレた呑気な弟子の言葉にメトジェフは答えなられなかった、ただ天空を見つめる事しかできなかった。