街道の戦い再び
ドロシーは指を美しい形をしたあごに軽くあてる、それを見た子供達が不思議そうな顔をしながら見上げた、普段ドロシーがしない仕草だったから。
そして背をかがめて子供たちに精巧な細工物の様な頭を近づけた。
「テレーゼで死霊術がどうどうと存在しているのは貴方達も知っているわね?そして取り締まるべき聖霊教会の上の方は腐っている」
子供達はどう反応したら良いのか困惑して顔を見合わせた、姉が何を言いたいのかわからない。
「聖霊教会総本部が重い腰を挙げ始めたの、聖霊教の巡検使がすこし前に来たの知ってるかしら?」
エルマとヨハンは頭を横に振った、だが一人マフダがうなずいた。
「お姉さま知ってるわ、聖女様がハイネにお見えになられたの、見に行ったけど人が多すぎて何も見えなかった」
「彼らはテレーゼに探りを入れに来たの、当然教会の密偵は前から入っていたはず、偵察と警告を兼ねていたのよ、聖霊教会を本気にさせると聖戦を宣告されるわ、今まで何度も魔界の力と戦う為に布告されたものよ」
「ドロシー良く知っているわね」
「魔術師ギルド連合本部の記録にある」
また子供達はお互いに顔を見合わせた。
「聖戦を避けたい、それが二つ目の理由」
「あの、じゃあ三つ目はなによ?ドロシー」
「私は静かに暮らしたいだけ、面白いこと楽しい事しながら、ゆっくりと静かに暮らしたいだけ」
「ドロシーの力があれば何でもできるでしょ?」
エルマが可愛らしく頭を傾げる。
「安らぎの地を作る為あの人に力を貸してきた、光を遮る覆いがなければ私は生きられないの、あの人が私の為に影を作ってくれた、私が闇の王国を作る必要が無いようにね」
ドロシーは棚の側に歩み寄ると死者の軟膏が入った壷を手に取って愛おしげに見つめた。
「コステロさん親切なのね」
「あの人の大切な人はみんな死んでしまったから」
子供達はわけが分からず顔を見合わせた、だがそれを尋ねる勇気は無かった。
「生き残っている人はほとんどいない、先生も生きていると言えるのかしら?光を代償にあの人は多くの物を手に入れた、エスタニアの闇の帝王と呼ばれるぐらいに何もかも手に入れたわ。
私は彼の手助けをしたの、私が生まれ変わったあの日から、一緒に闇の中をどこまでも歩いて行こうって約束してくれた、だから私まで消えるわけにはいかないの」
ドロシーは壷を抱きしめた。
「あなた達はまだ子供だから、でもいつか全部教えてあげる、私の大切な家族ですもの」
ドロシーは壷を元の場所に戻した、そして壁の時計を見て顔を少し歪める。
「こんな事していられない作戦を考えないと、貴方達にも今度は手伝って貰う」
「えっ!?」
誰かが驚きの声を上げた、今までドロシーはエルマを除いて戦いの場に連れ出した事が無かったからだ。
「今度は味方に期待できるわ、奴らを叩き潰すのに出し惜しみはできない、だから貴方達にも働いて貰います、力を使うのは危険だけどやるしかない」
「危険なの姉ちゃん?」
ヨハンが約束を忘れてついそう呼んでしまったがドロシーは気にしなかった。
「私が力を使うほど闇妖精がテレーゼにいる事が知られてしまうかも、総力戦になったらもうお茶なんて飲んでいられない」
「大戦争になるのかしらドロシー?」
「エルマも皆もよく聞いて、彼らを迎え撃つ為に不死の大軍団を作らなければならなくなる、でもそれで勝ったとして何が得られる?
私の魂はもう魔界の闇の中で生きて行けない、だから中途半端なこんな処で光を羨ながら生きているのだから」
ドロシーは得体の知れない笑みを浮かべた、そして子供達を見回す。
「私達の世界を壊したくない、これが三つ目の理由よ」
ドロシーの合図で子供達が周りに集まる、そして次の瞬間全員の姿が瀟洒な居間からかき消えた。
壁際で控えていたポーラがテーブルに歩み寄りカードと茶器を片付ける、彼女はほんのりと微笑んでいた、その動きは機械の様に素早く正確だった。
だが彼女の目はガラス球の様に透明でどこまでも澄み切っていた。
森に囲まれた夜のハイネ=リエージュ街道を輸送隊が南下していく、ハイネ市街から離れるとそこは広大な森が広がっていた、人口が半分以下に激減したテレーゼの大地はその多くが長い年月を掛けて森に帰ってしまったのだ。
街道からかなり離れた森の中の茂みに隠れながらルディは仲間たちにささやいた。
「異様な気配を感じる」
「私も嫌な感じがしますよ、闇妖精と違う感じがしますルディさん、あの大きな箱が嫌な感じがしますです」
ルディが背後にいた声の主を振り向いた、そこに気配を殺した愛くるしい少女がいた、彼女はコッキーだ。
「闇妖精で無いとしたらなんでしょうか?」
アゼルの声が聞こえてきた、アゼルは下位の精霊術で姿を消しているので姿は見えなかった、アゼルの説明では下位の術式で術者が話しただけでは解除されないが隠蔽力が弱いらしい。
ルディの感覚は生命の光としてアゼルを先程から捉えていた。
「ルディガー様、私も別の何かを感じますわ」
それはアマンダの力強く低く艶のある美声だ、ルディは驚いて声の主を探した、聖霊拳の上達者が本気になれば小虫程の気配しかしなくなるのだ。
「何を感じたアマンダ?」
ルディは疑問を感じて闇の向こうに呼びかけた。
「直感にすぎません、私の同類がいるような気がしただけですわ」
闇の中からにじみ出る様に長身の影が浮かび上がる、鋼鉄の様な揺るぎない存在感を感じさせる肢体が星明かりに浮かび上がった。
密かに髪を黒く染めていなければもっと映えただろうとルディは残念に感じた。
そして再び街道を進む隊列に視線を戻した、魔術道具に照らされた馬車の車列と護衛の姿がゆっくりと進んでいく。
「そうだ思い出したぞアイツだ、たしか名はキール」
ルディは魔術街の近くの裏街で聖霊拳の達人と闘った事を思い出していた。
「アマンダに前に話したか覚えていないが、俺は一度聖霊拳の上達者と闘った事がある、そうだベルも奴と闘った事があるぞ」
少し考えた後でアマンダは頭を横に振った。
「初めてお聞きしましたわ、でも変ですわね聖霊拳の上達者は魔術師より遥かに数が少ないのです、どのような者でしたか殿下」
「初老の鷹の様に鋭い目つきの男だ」
「堕落した使い手の中にいるのかもしれませんが、私は聖霊教会の者では無いので調べる事はできません、もうし訳ありません」
「しかしあの箱の中身はなんじゃ?」
沈黙を守っていたホンザの声だ、藪の中から老魔術師が姿を現す。
ふたたび隊列に視線を戻した、幌馬車の前に巨大な箱を載せた馬車が見えた、魔術道具のオレンジの光に照らされていた。
ルディはその箱を見てると胸騒ぎを感じる、嫌な毒虫を踏み潰してしまった時の様な不快感を感じていたのだ。
「さて奴らから離れすぎないように動くぞ!」
その想いを振り切るように指示を出した。
「ルディさんいつまで追いかけるのです?」
走りかけたルディはふたたびコッキーを振り返った、彼女は隊列を早く攻撃したいのだ、腰の周りに怪しげな革袋を幾つもぶら下げていた。
「ベルと合流するまでだよ、コッキー」
ルディがそのまま森の中を進み始めると、全員彼の後を追いかけ始めた、殿はアマンダが務める。
「ここが新しい隠れ家なのか?」
荒廃した部屋の様子に我慢できなくなったマティアスは口を開いた、ベルに運ばれている間は振動と衝撃でずっと話すことができなかった。
すると背後で小さな物音がすると小走りに足音が近づいてくる。
「マティアス!無事だったんだよかったよぉ」
部屋の隅で寝ていたリズが物音に気づき目を覚ましたらしい、半泣きのリズがマティアスに抱きついたが彼は身動きができなかった。
ベルは二人にかまわずマティアスを床に下ろすと縄をほどきはじめる、リズが鼻水を流しながら喜んでいたが縄の結び方が特殊なのかベルは彼女を無視して終始無言だった。
「リズ、みんな行ったの?」
縄を解きながらベルがささやいた。
「うんアンタが出ていってからルディさん達も出かけたよ」
「僕もすぐに行かないと、もし朝まで僕たちが戻らなかったら好きにしていいよ、朝になれば二人がここから出れるようになる、ホンザさんから聞いた?」
リズはそれに頷いた。
「俺たちを見張る奴はいないのか?」
少し驚いた様子でマティアスがベルに尋ねる。
「総力戦だよ全力で行く、僕たちが無事だったらその時はテレーゼから出るまで送って行くよ」
「リズが危ないんだよろしく頼む、情けねえが俺の力だけで守りきれそうもねえ」
「アンタ達って義理堅いね、あんたらのせいでこんな事になったけど、それでも感謝してるよ」
リズは情けなさそうな顔のまま礼を言った。
「じゃあ僕は行くよ」
「無事を祈る」
「いってらっしゃいベル、マティアスをわざわざ連れ出してくれてありがと」
ベルはリズの言葉から本当の感謝の気持ちを感じて奇妙な気分になってしまった、自分達にマティアスを助ける義務も無い、そして二人から感謝を期待できる立場でも無かった。
死霊術師とは言え二人の生活をメチャクチャにしたのもベル達なのだ。
「じゃあねまた会おう」
陳腐な再開を願う言葉が今までどれだけ裏切られて来た事だろう、そんな言葉を残してベルは外に飛び出して行った。
開いた扉から狭間の世界の狂った美しい夜の森の景色が一瞬だけ見える、二人はそれから慌てて目を逸してからお互いに見つめ合う。