死霊術の誓約
輸送隊が動き出すと予想外のトラブルが起きない限り目的地までやる事がなくなる、不慮の事態に対応するために最高責任者がいるような物だ、あとは決められた時刻が来たら休息するだけだ。
フリッツは御者台の上で一息ついた、貴重品を満載した特殊仕様の幌馬車なのでスプリングが良く効くので乗り心地が良い。
すると背後から人の気配が迫り不思議な感覚が通り過ぎる、フリッツはこの感覚が防音結界の気配だと察して眉を顰めた。
背後にいる男にささやく。
「なんだキール?」
「フリッツあなたは聞いていますか?北の別邸で異変が起きたようですよ?」
北の別邸と言えばハイネ市北の高級別荘地帯にあるコステロ商会別邸の事を指す、そこは一部の幹部にのみ知られている事だが、真紅の淑女と呼ばれる怪物の住まいだ、コステロ会長が執心していると言われていたが、フリッツも数える程しか彼女に面会した事が無かった。
初めて対面した時の事を思い出す、彼女は確かに恐怖を感じさせる程美しい、造形も人間離れして美しかった、だが姿が美しいだけなら探せば彼女に届く程の女が居るかもしれない。
だがあの時おのれの血と魂があの女に怖れを感じ慄いた、意識を保つだけで精一杯だった、死の恐怖と戦慄が彼女の美しさに凄みを与えているのは確かな事だ。
そしてあの時あの女は笑った。
『あなた見どころがある』
ずいぶん昔の事だがあの女は今も変わっていない、自分はあれから歳を加えてもあの女は変わる事は無い、わずかに背中に冷気を感じた。
そしてフリッツは意識を回想から戻す。
「なんだとあの淑女様が?」
訝しげな顔をしていたキールが不敵に笑った。
「ええ、今日の昼に何か大きな異変が起きたようです、彼女の身に何かがあったようですねぇ」
「まさか、アイツラか?」
「それ以外に考えられますかフリッツさん、並の人間が束になってかかっても髪の毛一本断つ事すらできませんよ」
「たしかにな、お前にも詳しい事はわからんのだな?」
キールは肩を竦めて苦笑いを浮かべる。
「知りませんよ本館の奴らも口を閉じてます、それでもコステロ会長が随分慌てていたと聞きましてね」
「おいキールまだエイベルも知らされていないぞ?」
「これは最高機密です、真紅の淑女様がコステロ商会に大きな力になっているのかはご存知ですよね?まだどの様な形で組織内部に伝えるか決まって無いのでしょう」
「それを俺に教えて良いのか?」
「それはですねぇ、この輸送隊の指揮者が貴方だからです、前にソムニを焼くと脅迫状をそちらに送ってきたのがたしか奴らですよねぇ?」
「ああそうだったな、真紅の淑女様の援護は期待できないと言う事か、ソムニの輸送とは言え・・・そうか、人間相手なら警備の数を増やすだけですむ、コステロ会長の切り札の方だな」
フリッツは前方の馬車と謎の大きな木箱に視線を走らせた。
「他に知っている者は?」
「たぶんアルマーニ隊長ですかねぇ」
「他はいないのか?」
キールは首を振った。
「多分知らされていないのでは?独自の耳があるなら知っているかもしれませんよねぇ」
フリッツはキールが『ゼザール=バシュレ記念魔術研究所』にコステロ会長から送り込まれ執事として護衛として働いていた事を改めて思い出した。
無法のテレーゼといえ死霊術の研究所に大金を出せる組織はそうは無かった、コステロ商会は研究所の最大の後援者だ、いやテレーゼの死霊術の最大の後援者でもある。
コステロ商会はハイネ市経済の裏と表に隠然とした影響力を誇っていた。
キールは嘲る様に笑った、それは一体誰に向けられた物だろうか。
御者の小太りな男がこちらを驚いた顔で見ていた、だがキールの笑いはこの男には聞こえていない。
輸送隊の前方にサンティ傭兵団の騎兵が進み、その後ろに四人乗りの馬車が三台連なる、その先頭の馬車は濃い茶塗りで地味だが機能性を追求しているのか作りはしっかりとした物だ、ハイネ市の上級役人が使う公用馬車を思わせる。
違うのは馬車の扉に『セザール=バシュレ記念魔術研究所』の記章が描かれている事だ。
雲の隙間から差し込む月明かりに照らされて、塔とそれを取り囲む星の意匠が浮かび上がった。
その車窓から後ろを見ていた大柄な魔術師のローブを着込んだ男が、隣に座る壮年の目つきの鋭い男に向き直る。
「所長、いきなりアレを実戦に突っ込んでいいんですか?」
「塔の命令だ試験を急いでいるようだ、それに奴らと対抗できる駒が少ない」
所長と呼ばれた目つきの鋭い男は『セザール=バシュレ記念魔術研究所』のバルタザール=ファン・デル・アストだ、壮年の端正な顔をした男で上位魔術師でもある、顔に古い火傷の傷がありそれが彼の容姿を鋭い物にしている。
それに対して大柄な魔術師のローブを着込んだ男は若く二十代なかば程で、事情を知る者なら彼が首から下げているメダルが魔導師の塔に関わる上位魔術師である事を示していた。
魔術師にして置くには惜しい程の逞しい肉体を魔術師のローブが隠し切れていなかった、彼は同じ研究所に所属するヨーナス=オスカーだ。
そして彼らは共に上位死霊術師だ。
「奴らは本当に人工の狂戦士だと思います?所長」
「もう一つの可能性も無視できなくなった、セザール様は奴らと闘った事がお有りだ」
「例の神々の眷属の話ですか?
ヨーナスの顔を見れば彼があからさまに疑念を感じているのは明らかだ、それにバルタザールは頷いた。
「神々の眷属なんて100年に一人出るか出ないかと言われてきました、それに今までだって実在した証拠はない、そんな連中が何人も同時に現れますかね?」
「本当に稀な存在だったのか?記録が無い事と実在しない事はイコールではないと俺は考えるようになった、記録に残らないだけでそれほど希少な存在ではなかった、もしくはそれが今増えているとも考えられる」
「なぜそんな考えに」
「コステロ商会が奴らに対抗できる者を集めている、コステロ商会がどこまで情報を持っているかわからんが、奴らは魔術師ギルド連合中枢や聖霊教会内部にまで食い込んでいるとも言われる」
「奴らの正体を把握している可能性は無視できない」
「もちろん作られた狂戦士の可能性を捨てたわけではない、キールの様な力があれば奴らと戦えるからだ、だが我々がやっと実用化目前に到達した技を、他の組織が実用化しているとは・・・」
「我々はこの世界でも有数の魔術師集団です、それも死霊術の遺産を継承しています」
「そうだ、禁忌の知識があって初めて成し遂げられた、長い時間をかけてな、これを他の組織が実用化できるものなのか?それに俺は疑問を感じていたのだ。
ではコステロ商会が集めている者共はなんだ?作られた狂戦士なのか、もしくは他の何かだ」
「確かに狂戦士ならば先を越された事に、他の何かだとしたら・・・なんですか?」
「神々の眷属か、古代の失われた技術か、妖精族か闇妖精か」
「気に入らねえな」
オスカーの言葉使いが地を現す、下町の破落戸の様な言葉を使うと逞しく端正な顔を歪ませた。
「セザール様もそれを気にされている、彼らと闘った経験がお有りだからだ、まだ断言されてはいないが神々の眷属とお考えのようだ、少なくとも奴らの二人は」
オスカーは絶句した初めて聞かされた話だったからだ。
「まさか」
「これは最高機密だがお前には教えておく、メダル持ちである以上、俺の判断で許される、ただしお前も誓約を守る義務がある、死霊術の誓約違反は死だ解っているな」
オスカーは絶句した後で頷いた。