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北の大導師の影

ドロシーは背中に柔らかなビロードの感触を感じて心地よい深い眠りから目覚めた、闇妖精は本来眠りを必要とはしない、数週間程度なら飲まず食わずで眠る必要すらない。

だがこの現実界に闇妖精が存在するかぎり肉体と精神に静かに歪みが蓄積していく、だからこうして心地よい棺の中で眠る必要があった、だがなぜ棺でなければならないのかはドロシーにも解らなかった、不思議な事に他の箱でも棺の形をした箱でもなぜか替わりにならないのだ。

だが棺の中で眠る時は夢を見ない、それがドロシーにとって大いなる救いだった。


闇妖精達の間では呪いだと真面目に語られていた事を思い出した、あれはいったいどのくらい大昔のでき事だっただろうか。


ドロシーは真の暗闇の中で目を見開く、彼女は光一つ無い闇の中で総てを視る事ができた。

遠くから子供達が遊びに興じる歓声が聞こえてくる、闇の中で彼女は目を細めた、慈しむ様にも邪悪にも見える不思議な微笑みを浮かべる。


「本当に眷属が増えると力が増すのね」

どこか夢見るようにささやいた、昼間の戦いの疲れはすべて癒えていた。

そして突然ドロシーは闇の中で表情を固く引き締めた、力の発動の予兆を近くで感じたからだ。


「だれ?」


棺の蓋が音もなくズレると床に落ちた、分厚い豪華な木の蓋が床板にぶつかり鈍い音を立てた、そして寝衣を纏った彼女の上半身が幽鬼の様に起き上がる。


そこは美しい白壁の優美な部屋の中だった、部屋の中にマホガニーの小さな執務机、背もたれの付いた可愛らしいお洒落な椅子と大きな本棚が置いてあった。

壁に小さな絵が飾られ、それは幻想的な写実的では無いが強い印象を残す田園の風景画だった。

何よりも異様なのはベッドが無く代わりに豪華な棺が床に置いてある事だ。

窓のカーテンは締め切られていたが布地が薄いのか部屋の中を真の闇で覆う力は無い。


彼女は宙のある一点をそのまま見つめていた、やがてそこが陽炎の様にゆらぎはじめる。

「しつこい」

ドロシーがつぶやいた、そこからうんざりとした想いが伝わってくる。

揺らぎの中から闇が現れる、黒い小さな穴が生まれ次第に広がりはじめた、やがて深淵が生まれ井戸の底を見下ろす様に底知れぬ穴がうがたれると深淵の底に赤い光が二つ生まれた。


やがて深淵の底から陰々と響き渡る声が聞こえてくる、それは低い男の威厳に満ちた声だった、壮年の男のようにも老人の声にも聞こえた。


『我の提案を受け入れると決断がつきましたかな?闇妖精姫様』

「拒否」

ドロシーは間髪いれず迷う余地もなく否定してしまった。

『まだ考え直さぬのか、これが最後の忠告になる、我だけが貴方様を完璧にする事ができるのだ』

「この私こそ完璧」

『我の好意を踏みにじり、礼を尽くした使者に対する暴虐はとても貴婦人の為せる事ではない、その非礼の報いを貴女は受けねばならぬ』

「私こそルール、私こそマナー、お前に定める資格も論ずる資格も無い、笑止」

ドロシーの声は尊大で傲慢で冷酷だ。


『我は忍耐強く長らく交渉してきたが、それを貴女は総て振り払った、今後何が起きようと総ては貴女の咎になるだろう』

「よろしいですこと、みんな細切れにして地べたを這い回る蛭にしてさしあげるわ、貴方の間抜けな手下みたいにね北の大導師様」

非礼で尊大な使者を粉砕し念入りに呪い変性してやった事がある、男は這い回る小さな一匹の蛭になった、今もどこかを這いずり廻っているはずだ、あれは子供達には見せられないと心の中で思う、ドロシーは残忍な顔をしながら苦笑したが突然真顔に変わる。

「ああそうか、貴方の手下の残骸を手がかりに私の居場所を見つけたのね、その術もそれがなければ繫げない、そこらへんに蛭がいるのかしら?」

ドロシーは嫌な顔をしながら周囲をみまわした。

『その詰めの甘さが貴女の不完全さを現している、これが最後だ我に総てを委ねよ』

「いやです」

『話にならぬわ!』

ついに紳士的な相手の仮面が崩れた。

深淵から怒りの波動が吹き上がる、部屋にそれが広がるとドロシーの髪が僅かに吹き流された、その直後に深淵は消え失せた。


ドロシーはゆっくり立ち上がると寝衣を脱ぎ捨てた、部屋の外から遊びに興じる子供達の声が再び聞こえてくる。

「もう眠る気分ではないわ、さてあの子達の相手でもしましょう」




ドロシーの新しい白い邸宅の二階の半分は広いオープンスペースの趣味の良いリビングになっていた、白い壁に調和したダークブラウンの落ち着いた色調の家具で整えられ、壁には著名な名画が飾られていたが模写なのは間違いない、だが素晴らしい出来で凄腕の職人が手掛けた作品なのは間違いなかった。


優美なリビングで呪われた住人達がお茶を楽しんでいた処にポーラが慌た様子でやってくる。

引っ越しの仕事が終わっていなかったのか、彼女の高級使用人の制服は薄汚れ乱れていた。

だが幸運な事に彼女の主人達は庶民的で細かな事は気にしなかった。


「お嬢様お客様がお見えになられました、アンソニー様のご紹介とおっしゃられております、お会いなされますか?」

「先生の紹介?だれ」

ドロシーはその優美な首を傾けた、その仕草がどこか子供じみている、客人の名前をポーラが言い忘れている事に疑問を感じたのだ。

子供達はお互いに顔を見合わせるとエルマが余計なことをささやく。

「先生のお知り合いなら、きっと普通の人間じゃあないわね」

ドロシーは軽くエルマを睨みつけたが眉尻を下げた。

「それはそうね、ポーラその方のお名前は?」


「吟遊詩人とだけ、申し訳ございません」

ポーラが申し訳なさげに謝罪した。

「エルヴィスがそんなこと言ってた、ポーラお客様をお通して、貴方たちは部屋に下がりなさい」

子供達は不平を言いたそうだが大人しく子供部屋に引き上げていく。


しばらくするとポーラの案内で長身瘦躯の男がリビングに入ってくる。

その動きは優美で美しかった、男は20代前半の中性的な美貌の男だ、薄い白にも見える金髪を後ろで束ね背中に流していた、お決まりの吟遊詩人の衣装をまとい、全身を繊細なアクセサリーで工夫を凝らし飾り立てていた。

そんな男を前にしてドロシーは露ほども動じなかった。


「お初にお目にかかります闇妖精姫(ハイネス)、名もなき吟遊詩人にお目通りの栄誉を賜り恐縮至極」

芝居がかって大げさでそれでいて貴族の常識からずれた男のカティシーは舞台劇の役者を思わせた。

「表を上げなさい」

ドロシーの言葉も彼に合わせるように妙に芝居がかる、深く一礼をした男が顔を上げる、男の血のように赤い瞳がドロシーの真紅の瞳と絡んだ。


「なんの御用?」

「貴女様をお守りしたく」

ドロシーは男の顔を凝視した。


「そうか貴方も魔界の神々の眷属なのね、エルヴィスに雇われた?」

「いいえ、貴女様に寄って来るハエが目当てでございます」

ドロシーは驚いたのか僅かに口を開いた。

「はて幽界の神々の眷属がお目当て?」

「北からやってくる者共を討ち果たす為に、すべて私の私情でございます」

「そっちなのね、それはそれでとても助かるわ、幽界の眷属相手で忙しい」

ドロシーは少し機嫌が良くなった。

「さあ、そこで立っていないで座りなさい」

ドロシーが目の前の椅子を示した、部屋のすみで控えていたポーラが茶器をかたずけ始めた、本来下働きの使用人の仕事だがポーラがやるしかないのだ。


ポーラが去ると吟遊詩人は向かいの椅子にすわった、その所作はわざとらしいほど優美だ。


「先生とはどんな繋がりかしら?」

「話が長くなりますれば触りだけを、私めが北の大導師の足跡を追っていたところ、エルトレスクの地にて先生と偶然にも出会いました、先生は死霊術の復活の秘密を追っておりました」


「死霊術は過去三度生まれ二度滅んでいます、五万年前と二千四百年前に滅び、そして三百年前に復活させた者こそ北の大導師、魔の眷属なのか闇妖精なのか、別の何者なのかもはっきりしない、でもあいつは妙に人間的な処がある」

ドロシーは自分の事を棚に上げて薄っすらと笑った。


「人間的?あの者とお会いになられた事がおありですか姫」

「配下を私の元に送り接触してきました、我に従えだそうです私は偽物に過ぎないらしいわ、我に従えば完璧にしてやると言いました、その非礼への褒美に生と死の狭間で永遠に生きられるようにして差し上げました」

ドロシーの瞳に真紅の光が灯った、嗜虐的に微笑むと牙を剥きだしにして微笑んだ、そして血の色をした舌で唇を舐めた。


そこでポーラが茶を入れて居間に戻ってきたので一息入れる事になった。



「ところで貴方、北の奴らに恨みでも有るの?」

「深き遺恨が我と北の大導師とグディムカル帝国の間にございますれば、同じユールの民とはいえ決して一つではありませぬ・・・」

ドロシーは相手の態度から悟った。

「これ以上話したくないのね」

吟遊詩人は頷く。

「いずれお話する事もあるかもしれませぬ」


「ところで私が何かする事ありますかしら?」

「いいえ、私めは好きにしながらあやつらの動きを監視しますれば、貴女様はご随意に」


「いいわそれで」

ドロシーは嫣然と微笑んだ、吟遊詩人はうっそりと頭を下げた。






ドロシーの新居からそう遠くないハイネ旧市街の南西地区は昼間の喧騒も落ち着いていた、工場で働く職人や倉庫街で働く人夫も家路を急ぐ、新市街に家がある者は城門が閉まる前に門をでなければならなかった。

だがジンバー商会がある一角だけは魔術道具の照明と篝火で煌々と真昼の様に照らし出されていた。


商会の敷地の開かずの南門の前に幌馬車が数台ひしめき、その奥の倉庫の間にも幌馬車や荷馬車がひしめいて並んでいた、その隙間を人夫達が動き回り武装した兵と魔術師のローブ姿が見える。

時々大声が上がり指示が飛び交う、まもなくキャラバンは出発しようとしている。

それを監督するように本館のバルコニーから見下ろしているのはジンバー商会会頭のエイベルだった、側に執事長のフリッツの姿も見える。


「しかし本当に今から出るのか?フリッツ」

「会頭、ハイネ・リェージュ街道は渋滞で昼間は使えない、我々は夜間移動し昼間に休息をとらなくてはならないんだ」

「これもグディムカルの蛮族共のせいよ!」

エイベルは忌々しげに吐き捨てた。






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