新しい隠れ家
静寂に包まれていたセナ村の屋敷の裏口が騒がしくなった、ルディ達がジンバー商会から奪った二頭立ての馬車が乗り付けられた。
魔術陣地が発見されて壊された為に速やかに住処を移動させなければならなかった。
馬車はルディの手により新品のように整備されていた、馬達も健康そうで毛並みも良くすっかりルディに懐いている。
みな荷物をまとめて次々と裏口から出てきた、アゼルの肩の上に乗っていた猿のエリザは馬に怯えたのかアゼルの背中に隠れてしまう。
ベルとコッキーの手で大きな荷物が次々と馬車に積み込まれる、道具と書籍が積み込まれその上に食材と衣類の入った大きな麻袋が乗せられた。
「もうこれでおしまいか?俺とホンザ殿が御者台に座る、すまないがベルとコッキーは道まで馬車を押してくれ」
ルディの指示で二人が馬車を押すと切り開かれた森の中を馬車はどんどんと前に進み始めた、やがて馬車は細い田舎道に出る、道は狭くてかろうじて馬車が走れる幅しか無かった。
ルディはリズに声をかけた。
「俺たちと本当に一緒に来てもいいんだな?」
「うん、戻ってもきっと生きていられないよ掟だからね、それに前からあそこにいたらいつか破滅しそうな気はしていたのさ、でもあたしゃ行くところが無かったんだ、研究するしか生きる意味が無かったんだよいろいろあってね、でも今は違うんだ」
リズは子供の頃に死霊術師の導師に見出されハイネに連れて来られた、それをまだ彼らに話していなかったがマティアスには話してしまった、これも厳密には掟に触れるのだ。
「わかった」
そしてルディはアマンダを見た。
アマンダは馬車の前にいる、彼女は白いローブを深くかぶり薬の行商人の大きな木箱を背負っている。
「アマンダその農家まで案内を頼む、みんなすまないが歩いてきてくれ」
「わかりましたわルディガー様、さあ皆様必要な方は身体強化の術をかけてください」
ルディはホンザが御者台に登るのを手伝ってやる。
「貴女は馬車に乗りなさい」
アゼルが猿のエリザを馬車の中に入れた、エリザは衣装が詰まった大きな麻袋の上に乗る、そしてアゼルが馬車の扉を閉めた。
それを見届けてルディが軽く馬に鞭を当てると、馬車は轡を取ったアマンダに従い東に向かって動き出した、ベルとコッキーが馬車の動きを助けながら進む。
しばらく進むとハイネとリネージュを結ぶ大街道に出る、街道をしばらく南下して西に向かう細い道に入る、しばらく進むと森の中の少し開けた場所に人の気配の無い小さな集落が見えてくる。
「ここに来る途中で見かけました、ここはセナ村の南西二キロ程ですわ」
アマンダは雑草をかき分けて先頭を進んだ、そこは廃屋が三軒ほど集まっていたが放棄された畑は背の高い雑草に埋もれている、村が放棄されて数年は経っているだろう。
ルディは一番状態が良さそうな家に目を付けた、それは一番大きな家で平屋だ。
「ここか、なんとか住めそうだな、魔術陣地を作れるかホンザどの?」
ホンザは昼にあの闇妖精姫と闘って消耗していた、ルディはホンザの身を心配したのだ。
「できるが周囲の雑草が邪魔だ」
ホンザは農家の周囲の茂みを眺めて顔をしかめた。
「わかった、ベルとコッキーとリズは中を片付けてくれ、アゼルは・・」
「殿下私は中の浄化をしましょう」
それにすかさずアゼルが答える。
「よし俺とアマンダで草刈りだ」
ルディは爽やかな笑顔でアマンダに微笑んだ、ベルとコッキーはさっそく箒を馬車から取り出すと新しい住処に飛び込んで行った。
「・・・ええわかりましたわルディガー様」
アマンダはルディが差し出した草刈り鎌を受け取った、だが彼女の美しい顔からその内心はわからない。
ルディは空を一度見上げる、すでに日は傾きかけあと二時間もすると西の空は赤く染まるだろう、急がなければと茂みを鎌で切り払い始めた。
アマンダは下草を綺麗にしながらホンザの魔術術式の構築を手伝う。
「あのルディさん、マティアスは大丈夫かな?」
作業の手を休めてルディは声の主のを見た、そこにリズが立っていた。
「魔術陣地を作ったら彼を探すつもりだ、まずはジンバー商会から探る、俺はすぐに彼の身に何かあるとは思っていない」
「解っているけど、そうだね仕事に戻るよ」
そう言い残してリズは廃屋の中に駆け込んでしまった、去って行くリズの顔はルディからは見えなかった。
マティアスは会頭室から連れ出され本館の小さな一室に閉じ込められた、だが質素なベッドと机と椅子が用意されている、予想より小綺麗な部屋で少し安心した。
この部屋がジンバー商会のどの当たりか確かめようと外を見てから眉をしかめる事になる。
窓に鉄格子が備え付けられていたからだ、慌てて部屋の隅を調べると移動式のトイレまで用意してある、ここがそういう用途の部屋だとすぐに理解できた、だが地下牢の様な犯罪者を閉じ込める部屋では無い。
「まあ最悪ってわけじゃないか」
焦っても無駄と思ったので小さな丸椅子に座ると体を休める事にする、そして頭を休めようと目を閉じた、だがまったく休む事ができなかった、かえって頭の中に浮かぶのはリズの自信のなさげな少し媚びるような笑顔だ、奴らがリズを連れて北のコステロ商会の別邸に向かったのは間違いない、そこで何かが起きたはずだ。
マティアスは目を見開く、リズは中位の死霊術師だがあの規格外の連中とくらべるとどこまでも普通の女性にすぎない。
戦いに巻き込まれ怪我をしたかもしれないし、最悪命を落としているかもしれないのだ、それを知るまでは機会があってもここから逃げ出す気になれなかった。
一人になると新市街の『死霊のダンス』の地下の暗闇の中で見たリズの生霊の姿が記憶から蘇る、ギルドマスターのメトジェフの術で召喚されたリズの生霊は神秘的なまでに美しかった、か細く痩せ過ぎていたが幽玄の美しさだった。
死霊のダンスのリズの同僚の魔術師が後で教えてくれた、魔術師で無くても感受性の強い者が稀にいると、そして人の生霊が視える者がいるらしい。
どのような姿で見えるかは相手との相性で決まる、影や雲の様に見えたり光の様に視える事もある、そしてお互いに同調し合う者ほど鮮明に本質を見る事ができ、お互いに強く惹きつけ合うのだと。
あれが彼女の本質なのだろうか、いやもしかしたら俺にとっての本質にすぎないのかもしれない。
「無事で居てくれリズ、頼む精霊王!」
マティアスが神に祈るのは博打の時だけだった、そんな男がリズの無事を精霊王に祈る。
「マティアス」
ささやくような小さな声が聞こえてくる、声が耳の近くで聞こえた様に錯覚させられた、マティアスはこんな不思議な声を発する事のできる者達を良く知っていた。
それに透明感のあるこの声は黒い長髪の若い女性の声だ、仲間からベルと呼ばれる美しき化け物の声に間違いない。
マティアスとリズは彼らの中で彼女と一番親しくなっていた、リズがあの小柄な金髪の少女コッキーを恐れていたので、ベルが二人の世話をする機会が多くなった。
マティアスは声がどこから聴こえてくるのかわからず周囲を見渡してから天井を見上げる。
「そこにいるのかよ」
強い気配を天井から感じたからだ、だがそれもすぐに消え去った、だが再び声が聴こえてくる。
「そうだよ、もっと声を落として外に聴こえる、リズは無事だ」
マティアスは一段と声を落とした。
「よかったあいつは無事なんだな、あんたは俺を助けに来たのか?」
「そうだけど、一応確認を取るよう言われているんだ、リズとこの国から本当に逃げたいの?」
「あいつはもうこの国にはいられないぜ、あんたらのせいだろ?」
「死霊術師は他の国だと死刑にされても不思議じゃないでしょ?でも僕たちは約束は守るつもりだ、だから僕が来たんだ」
「わかったよ、俺はアイツを護りたい、リズは死霊術師の掟に反したんだ強いられたとしても逃れられないとアイツは言っていた、本を読まれただけでもヤバイらしな、あんたらが封じていた魔術防護を総て破壊して持ち出してしまったせいだ」
マティアスの声にはどこか責めるような響きがあった。
「僕たちがここの死霊術を滅ぼしてしまえば、もう追手の心配はいらなくなるよ」
マティアスはその恐ろしい宣告に絶句したが、奴らならもしかするとやってのけるかもしれないと思った。
「今さら考えはかわらんさ、少しでも早くテレーゼから出ていきたい、俺たちはもともとテレーゼの人間じゃないからな」
「わかったよ」
「なあ、そう言えば闇妖精は倒したのかベル?」
「肉体は破壊したみたいだ」
ベルの言葉は歯切れがいくぶん悪かった。
「真紅の淑女を滅ぼしたのか?いや何かあるのか」
「復活の手がかりを残しているはずだと考えているみたいだ」
「みたいだとは何だよ?」
「僕は魔術に詳しいわけじゃない、復活の手がかりが無くなっても魔界に追い返す事しかできないらしい」
「不死身だな、手が付けられないな」
「でも闇妖精が一度根絶されると復活にとても長い時間がかかるんだ、現実世界に再び現れるのはもっと難しいってさ」
「しばらく真紅の淑女の動きは無いわけか、どのくらい時間がかかるんだ?」
「数ヶ月から数年かかるってルディ達は考えているみたい、だから今の内に暴れるつもりだ」
マティアスは内心首をすくめた、こいつらが暴れたら恐ろしい事になるだろう、敵として対峙するのだけはまっぴらだ。
「ねえマティアス引っ越しでもあるの?馬車がたくさん並んでいる」
「何の話だ俺は知らねえぞ、しばらくここから離れていたからな」
「わかったよ僕は一度帰る、真夜中になったら助けに来るから」
「どうやって?お前はともかく俺は・・・」
「ここを攻める、ドサクサに紛れて助け出すから」
「まて俺を助ける為に騒ぎを起す気か?」
「違う、ついでに助けるんだ」
マティアスは呆れて何も言えなかった、奴らは正面からここに攻め込むつもりなのだ。
「今夜また来るよ」
そう言い残す声が聴こえた、窓の外は日没が迫っていた。