拳の聖女の因縁
「今の爆発なに?」
「外が明るいわ、どうするのエルマ?」
薄明るくなった別邸の二階の居間で呪われた子供達が混乱に陥っている。
「みてドロシーが外にいる!!」
勇気を出して窓際に近づいたヨハンが叫んだので、半分腰を抜かしたエルマとマフダも床をはいながら窓に向かった、三人の目に蒼空を背景にしながら空に浮かぶ白い修道服姿が目に飛び込む。
「あっ!!」
ヨハンが叫ぶとドロシーが漆黒の矢を撒き散らした、その直後にドロシーの姿が消え黒い長髪の女性が漆黒の細身の剣でドロシーがいた空間を切り裂く。
「・・・見えなくなったわ、満月から日がたっているわよ」
「エルマ、ドロシー大丈夫かしら?」
エルマが横にいたマフダを見つめて頭を振った。
「わからないわ」
視界から消えた姉の身を心配しながら子供達は空を見上げた。
ドロシーは上空から我が家を見下ろしていた、自慢の魔術陣地が壊された事に驚いた、屋敷の前に集まる幽界の神々の眷属達に向かって内心舌打ちをする。
そして挨拶代わりに小さな瘴気の矢を大量にばら撒いた、あのいけ好かない黒髪の女が女魔術師を抱いて飛びのくのが見えた。
「どうやって壊した?」
それは小さな一人言だ、真紅の瞳が小柄な少女が握りしめるトランペットに引き寄せられる、そして薄汚れた謎のローブの人物に視線が向いた。
「この僅かな気配・・・」
そして死霊術師らしき女性に気づいた、小さな力だが彼女が中位以上の術師なら魔術陣地を探る事ができるはずだ。
「あいつ・・でも壊す力は無い」
そこでドロシーはまだ彼らに挨拶していなかった事を思い出した。
「お久しぶり、みなさん」
優雅にカティシーを披露した、でも思い通りの言葉にならない、いつもおかしな言葉使いになってしまうのだ、おかげでいつの頃からか最小限の言葉しか使わなくなってしまった。
だが挨拶の返礼とばかりに黒い髪の女が軽々と飛び上がり斬撃を叩き込んでくる、それを軽くかわすと距離を保った。
今度は素早く屋敷の中の気配を探った、妹達は全員無事な様だ他の使用人達の気配も感じられる、どうやら全員無事らしので一つ不安が減った。
万が一の時の逃げ方は子供達に教えてあった、まさかそれを使う事は無いと思っていたのだが。
そんな迷いが僅かな油断を生んだ。
漆黒の大剣を振りかざし長身の男が正面から襲いかかる、人間を越えた跳躍力でドロシーの高さに迫り、魔術で迎撃しようとしたが間に合わないと見切る、すばやく直剣で大剣を受け止めた。
この剣はエルヴィスから借りた精霊変性物質の剣だ、もともと二振りの剣で彼の二刀流の片割れだった。
そして小柄な金髪の少女が棍棒で殴りかかってくるのを視界の片隅に捉えた、だが少女の動きは予想より重い、危険な爪に気をつけながら棍棒を得意の体術を駆使して足で受け止めてそのまま少女ごと地面に叩き落とす。
その反動で体が浮いた、突然背後に精霊力の爆発を感じる、黒い髪の女が機会を伺っていたのだ。
それと同時に大地から蔦が生えて昇ってくるのを視界の隅に捉えた、更に水精霊術師が氷の槍を放つ。
大剣の男はそのまま落ちて体制を整えるのが見えた。
ドロシーが意識を集中し加速し一気に高度を上げた、直後ドロシーがいた空間を黒い髪をなびかせながら女が通過し魔術攻撃も空振りに終わる。
修道女服に隠した魔術道具に触れて子供達に合図を送った、それは避難命令の合図だ、上位眷属の彼らでも神々の眷属の相手は危険すぎる、そして今は太陽が出ている時間だった。
遥か地上に強力な精霊力を三つの点として感じていた、それは忌々しい黄金の輝きを帯びている。
そして近くに二つの小さな光を感じた、そして死霊術師の小さな気配を感じる。
「ここで戦うとお屋敷が壊れる、とりあえず数を減らそうかしら・・・」
ドロシーはゆっくりと高度を下げながら北に向かって飛行する、敵もそれに合わせて追跡してきた、これで彼らを屋敷から遠ざける事ができるドロシーは薄く微笑む。
そして更に加速しながら高度を下げそのまま召喚術を三度連続行使した、大地が盛り上がり森の下草を割って朽木の巨人が三体這い出しドロシーの前方に壁を作る、そのまま後ろにとびながら更に術を行使した、巨大な瘴気が集まり収束するとドロシーの足元に大きな黒い沼が生まれた、幅三十メートル程の丸い沼の真ん中にドロシーは浮いていた。
沼はガスが湧いているのか激しく泡立つ。
そこに奴らがやってきた、神々の眷属と二人の魔術師がいる、あの女死霊術師の姿が見えなかった戦力外と判断したのだろうか。
敵は沼を見て戸惑っていた。
そんな彼らの背後の丘の上にコステロ商会の別邸が遠く見えた。
ドロシーはその女死霊術師は後で対処すれば良いと考えた、今は彼らを始末する事に専念する。
「魔術師が邪魔、あの地精霊術師を仕留める」
小さな声でささやく様に一人言をつぶやいた、いつも一人で狭い勉強部屋に閉じ込められていたその時の癖が治らない。
「みなさん、毒の空気が出ています!!」
小柄な少女が大きな声で叫んだ、どうやら沼の罠が見破られた、だがこの沼はそれだけではないのだ有毒な気体は『アヌラーダプラの沼魔蛸』の力の一部にすぎなかった。
老魔術師が術式構築を始める、ドロシーは精霊術と死霊術に長けていた、そして闇妖精の頂点に立つ力を持っていつ、術式を素早く解析した、その答えは魔術陣地の構築だった、力ずくで破壊できるが力を大量に浪費させられてしまう構築される前に防止する。
朽木の巨人に心で命じた、人の精霊召喚術と違い言葉に頼らずともそう思うだけで精霊を使役できる。
三体の朽木の巨人が神々の眷属に向かって突進して行く、それと同時に沼から巨大な蛸の足が三本飛び出すと神々の眷属達に襲いかかった。
若い水精霊術師も詠唱をはじめたが反応が遅い、つい笑みを浮かべた、その瞬間一気に加速すると老魔術師に迫る、こいつを確実に仕留めたい、誰かが叫んでいるそして老魔術師の目が驚きに見開かれた。
剣が老魔術師を貫くと思われたその瞬間、巨大な精霊力がドロシーの左手側で爆発した、今まで何の気配も無かったその場所で巨大な精霊力が生じたのだ、それは神々の眷属達に劣らなかった、刹那の時間ドロシーの左目が動いてその力の源を捉えた。
そこに長身の美しい波打つ黒髪の女性がいた、薄汚れた白いローブが彼女の後ろで舞っている、服の上からも彼女の肉体が極限まで鍛え抜かれている事が解る、そして悪夢の様にゆっくりとその女が迫る、危機意識から闇妖精の感覚が加速し相手の動きが遅く感じられる、だが自分が早く動けるわけではない、剣は間に合わない左手でその女を迎え撃つ。
即時に高速術式展開を始める、速度を優先するため不完全で己に負荷がかかるが構わなかった、肉体の破壊と再生が並行して始まる。
思わずドロシーは歯をむき出しにして食いしばった。
「聖霊拳!?」
ドロシーは目をみはった、女性の内なる力が良く知っている拳の聖女に似ていたからだ、忘れようとしていた記憶が押し寄せ心が乱される、迎撃に専念しなくてはと気を立て直した、その大柄な女は全身に精霊力を漲らせ目の前に迫る。
破城槌を遥かに上回る破壊力を秘めた剛腕が精霊力を漲らせて闇妖精に叩き込まれようとしていた、そして術式が完了した瞬間それを左の手の平で受け止めていた。
拳はドロシーの手の平を押し返し胸に直撃した、何かが折れる不気味な音を立てドロシーの体は森の中に吹き飛ばされていた。
そして彼女の剣は地精霊術師に届く事は無かった、直剣は宙に舞い森の奥に消えて行った。
「ホンザさんご無事ですか?」
老魔術師を案じる聖霊拳の使い手の声が聞こえてくる。
ドロシーは大木に叩きつけられ激痛が体中に走る、皮膚を覆う防護結界ですら吸収できなかった力がドロシーの体を砕いたのだ、だが凄まじい速度で折れた骨が繋がり再生していく、破裂した内蔵もすでに再生を終えようとしていた。
防護結界はあえて皮膚より僅かに浮かせて展開してあったのだ、それも死者の軟膏の被膜を守る為だった、だが纏っていた修道女服は無事では済まない、白い修道女服はボロボロになり服の用を果たしていない、だがむしろ清々とした気分だった森のひんやりとした空気が心地よい。
「今の衝撃で久しぶりに主導権を握れました」
そのまま空に舞い上がった、下で叫び声があがる、朽木の巨人は既に倒され魔界の蛸が彼らの相手をしていた、その直後に巨大な精霊力が解放された。
無数の白い魔氷の塊が沼に降り注ぐ、その猛爆撃で魔界の蛸が叩かれ沼が氷結していく。
「まあ『ミュディガルドの氷の軍勢』ね、水精霊術の上位攻撃術だわ」
思わず漏れた言葉は喜びと僅かな感動すら滲ませていた。
それにしても風が心地よい、闘いなんて放っておいて風になって遠くに飛んで行きたいそんな気分になった。
ボロボロの修道女服を脱ぎ捨てた、白いボロ切れが舞いながら下に落ちていく。
すると日の光の下に白さを通り越し青白い裸体がさらされる、そして全身油を塗りたくった様にテラテラと日の光を反射して輝いた。
それでも精緻なアラバスター細工の人形の様に非人間的なまでに美しい。
空を漂いながら身にまとう服すら奴隷の鎖の様に感じられて、何もかも捨てて消えてしまいたい、そんな遠い記憶に囚われる。
両腕を広げ風を感じようとした、だが腕がそれを拒んで足も動かないドロシーは眉を顰める。
下界の敵が呆れた顔をして見上げている、見られていると感じた瞬間、頬が熱くなり例えようの無い羞恥心が湧き上がる。
だが不思議な何かに満たされ幸福を感じていた、誰でもいい在りのままの私を見てほしい、そんな奇妙な感情に満たされて行く。
だが心の奥底から怒りが湧き上がりそれに心が塗りつぶされていく、やがて幻想の中から感情の巨大な波のうねりが押し寄せて波間から無数の腕が突き出した、そこから無数の半身が現れる、無数のドロシーが手をうねらせてドロシーをつかみ取ろうとしている。
次の瞬間無数のシーリ=アスペルとドロシー=ゲイルにそれが変わった、不気味な無数の手がドロシーを絡め取ると総てが一つになった。
うつむいていたドロシーは真っ直ぐ前を見た、そしてふたたび下界に目を転じる。
「貴女は拳の聖女ね、お名前はアン、いえアンネローゼ?」
アンネローゼとは高名な聖霊教の拳の聖女として知られる聖霊拳のグランド・マスターの名前だ、その聖霊拳の使い手は驚き戸惑っていたがやがて答える。
「いいえ違いますわ・・・残念ですが」
大きな声ではないが不思議と良く通る声だ、ドロシーは精霊力により声を伝播していると見抜いた、これは聖霊拳の技かもしれない。
「とても残念ね、彼女と一度あって見たい」
だが魔術で宙に浮き続けるのは力を浪費する上に集中力が求められる、そろそろ作戦を変えて下に降りなくてはならない。
羽を生み出すことを考えて諦めた今は昼間なのだ、羽が持ちそうに無い。
ドロシーは無言で両腕で膝を抱えた、巨大な瘴気が集まると頭上の空間に黒い穴が生まれる、そこから黒い糸が吹き出した、繭をつくる芋虫の様に黒い繭がドロシーを包み込んで行く。