深き夜の始まり(異邦の難破船)
「俺たち以外だれもいないんですかね?」
階段の底の暗闇を見つめていたジムは耐えきれ無くなり沈黙を破る、まるで黄泉の世界に続いているような錯覚に陥っていたからだ。
バートが思い出した用に魔術道具を点灯し階段の底を照らし出す。
「どうやら下の階が見える・・・行くぞ」
ローワンを先頭に階段を降りた、階段は狭い通路に繋がっていた、ジムは軽い目眩を感じて思わず壁に手を付けて体を支えた。
「暗いぞ気をつけろ」
先頭を進むローワンが警告した。
天井に灯りはなく真っ暗で通路の壁は暗い青みがかった色をしていた、そして前方に扉が見える、扉の金属が魔術道具の光を鈍い光で反射した。
「変だな、白墨の書き込みが無い、エルニアの連中がここに気づかないはずがない」
「それに、ずいぶん深いですねローワンさん?」
バートが通路の周囲を見回している、何か不審を感じているようだ。
「大きな船だからな」
「俺たちが中に入ったのは船の下の方ですよ?」
「ねえ静かにして、何か音がしない?」
そう呟いたラミラが足を止めて扉を見つめた、全員慌てて足を止め聞き耳を立てた。
ジムも心を落ち着かせて耳の感覚を研ぎ澄ませる、すると何かが唸るような無数の羽虫が羽音を立てるような音が聞こえてくる。
「なんだこれは?」
デミトリーの低い落ち着いた声だ、だが彼の声は僅かに震えている。
「この扉の向こう側から聞こえる」
ローワンが慎重に扉に近づた、扉には取っ手が無かい、どのように開くのか見当がまったく付かない、ローワンは一度立ち止まってゆっくりと手を扉に伸ばす、すると小さなため息の様な音が聞こえると扉が音も無く開いた。
みな思わず数歩後ろに下がった。
「勝手に開いたぞ?」
だがローワンの目はまっすぐ扉の向こうに注がれていた、その向こうは大きな部屋で部屋全体が薄暗く天井に小さな青白い光源が等間隔に並んでいる、壁は艷やかな紺色で材質は見当がつかない。
その部屋の中心にガラスの様な透明な巨大な円筒形の柱が鎮座している。
その唸るような音は部屋の円筒から聞こえてくるようだ。
部屋の中を見ると奥の壁に複雑な魔術陣の様な記号が白い何かで描かれてあった、だがジムには魔術の知識はない。
そして透明な円筒の柱の周囲の床にも複雑な魔術陣が幾つも描かれていた。
「なんですかね?」
ジムは無意識に疑問を口にしていた。
「ラミラ、魔術陣をメモしてくれ」
我に帰ったローワンがいち早く命令を出す。
「わかったわ」
彼女は壁に近づくと羊皮紙を懐から取り出し短い奇妙なペンで壁の魔術陣を描き写し始める。
何かゴソゴソと背後で音がしたので振り返ると、バートが新しい石版を取り出し部屋の内部の素描を初めていた。
残りの三人はローワンを先頭にゆっくりと中央の透明な柱に近づいて行く、柱の太さは人の背ほどあるだろうか、やがてそれが中空の柱だと解ってきた。
柱の中が透明な液体で満たされていた、そして柱の中心の床と天井に銀色に輝く円盤がはめ込まれている。
「なんすか、これ?」
ローワンもデミトリーも顔を横に振るだけだ。
「俺たちじゃあ手が付けられない、情報をジンバー商会に持ち帰るしかない」
ローワンはそう呟くだけだった。
しばらくその柱を眺めていたが、羽虫の様な音は床と天井から聞こえてくると見当がついた。
「壁の魔術陣はメモしたけど、何が書いてあるかアタシにはわからないよローワン」
ラミラが魔術陣を書き写した羊皮紙を皆に見せに来た。
「心配するな俺にもわからんさ」
ローワンは剽軽な端正な顔に苦笑いをうかべて肩を竦めてみせた、班長に少し余裕が出てきたようだ。
ラミラは今度は柱の周りの床の小さな魔術陣を書き写し始めた、作業の邪魔にならないようにみんな後ろに下がった。
その時部屋が大きく揺れた、嵐で大波が叩きつけられたのだろうか?
すると羽虫の様な音が一段と大きくなった、皆不安になり周囲に視線を走らせた、すると部屋の中が急に明るくなる、透明な柱の中の天井と床の銀の円盤が白く光輝き始めた。
「光ってます!!」
ジムは自分の声が裏帰るのを感じた、のどが渇き声がうまく出ない、何かが始まろうとしている。
その直後大きな振動と共に傾いていた船体が水平に戻る。
「いかん!全員出口に戻るんだ!外に出るぞ!!」
ローワンが叫び命令を下した。
ラミラを先頭に急いで部屋から飛び出す、ローワンが最後尾を進んだ、また目眩を感じたがそのまま一気に階段を駆け上がって亀裂に向かって走る、みんな恐慌に陥らず冷静だった。
船体が細かく震え天井から埃がこぼれる、船体が左右に振れると体がよろめき壁で支えた、そして何かが裂け弾ける音があちこちから聞こえて来た。
すぐに先程の大きな亀裂が見える所までたどりつく、再び船が振動すると加速を感じ体が前によろめいた。
「まさか動き出したのかしら?」
「とにかく急げ」
先に亀裂に到着したローワンが外を見て口をあんぐりと開けた、ジムも何が起きたかと亀裂までたどり着くと、魔術道具の光に照らされた嵐の波がゆっくりと後ろに流れていくところだ。
「ローワンさん船が動いてませんか!?」
「クソ、いそいで船を押し出せ、そして海に飛び込むんだ」
ローワンとデミトリーとジムでオールを掴むと小舟を外に押す、だいぶ緩くなっていたのかもうすぐだ。
その時何かが擦れるような耳障りな音が近くで聞こえ始めた、ジムがその音の元を探そうとして上を見る、すぐに音の犯人がわかった、亀裂を塞ぐように板がゆっくりと成長している、だがしばらく何が起きているのか理解できなかった。
あまりの事に声を出したくても声が出ない、そして自分の臆病さを呪う。
「ローワン、何か来るよ」
ラミラが叫んだ、彼女らしくない激しい警告の叫び。
「何だありゃ」
それはデミトリーの野太い大声だ、ジムも上から目を引き剥がしてそちらを見た。
通路の向こうから人の形をした何かがゆっくりと向かってくる、全体が灰色で処々銀色に輝いていた、頭らしき部分があるがそこに目も鼻も口も無い。
「船を急いでだすんだ!!」
ローワンの声は緊迫していた、ジムの視線はまた成長する壁に吸い寄せられていた、そこでやっとジムが声を出せる様になった。
「ロ、ローワンさん上を見てください、穴が!!」
「なんてこった穴が塞がって行くぞ」
ローワンが慌ててオールを力いっぱい船を梃子の原理で押す。
「くそ少しきつくなりやがった」
デミトリーの叫びの通りにもう少しで抜けそうなのに、抵抗がきつくなって来る。
「奴が来る」
灰色の人形が目の前に迫ってきていた、デミトリーが覚悟を決めたのかオールでその得体の知れない人形を食い止めた。
「もう少しだ押せ!」
ローワンの合図でバートとラミラも手で小舟を押した、小舟の船材が軋み嫌な音を立てた、外の嵐は激しく風雨が亀裂から吹き込んでくる。
擦れるような耳障りな音は止まない、ジムの視界の隅で亀裂が塞がって行く、このままでは小舟が壊され中に閉じ込められるのでは、それに恐怖を感じた。
デミトリーがなんとか人形を押し留めている、幸いな事に複雑な攻撃はしてこないようだ、なんとか彼は耐えていた。
船の底の方から聞こえる音が次第に大きくなってくる。
「人形が!!」
誰の声だろうか、灰色の人形に変化が現れた、灰色の部分が白銀の鏡面の様な美しい光沢に変わり広がっていく。
デミトリーがついに押され始めた、人形の腕が動いてオールの柄を掴んだ、全員の掛け声を合わせて小舟を押す、小舟は軋みながらついに亀裂からはずれ海に落ちていった。
「海に飛び込め!!」
ローワンが叫んだ。
バートが真っ先に海に飛び込むと同時にラミラが悲鳴を上げた、彼女のスカートを人形の手が握りしめていた、ローワンがナイフを取り出すとスカートを切り裂いた。
ジムはデミトリーを助けるべく彼の方に向かう、人形の片腕が五本の指でデミトリーの腕を掴んでいる。
シムは迷ったが人形の手を引き剥がそうと人形の手を掴む、それは氷の様に冷たかった。
だが人形の手はびくともしない。
「ラミラ先に行け」
「わかった先に行くよ、みんな無事で」
ラミラは最後に何が言いたげにこちらを振り返ったが、そのまま海に飛び込んで姿が消えた。
「デミトリー!!」
ラミラを助けたローワンがナイフで人形を攻撃した、だが金属的な音を立てるかわりに切っ先が人形の腕にめり込んだ、ローワンの目が驚きで見開かれた。
「何だ抵抗がない水銀みたいだ、奥に硬い骨がある」
「力が強くなって来た」
デミトリーが苦痛で顔を歪ませた、オールが床に落ちる音がした、人形は全身がいよいよ美しい銀色の光沢に包まれる、そしてもう片方の腕でデミトリーの肩を掴んだ。
ローワンは今度は人形の指を攻撃した、硬い金属同士がぶつかる音がする。
「クソ硬いぞ」
擦れるような耳障りな音は止まず、ジムはまたそちらを見ると先程より亀裂が狭くなっている、この船は自ら修理する力がある、そんな恐ろしい考えに思い至った。
「亀裂がふさがりますよ!!」
「だめだまた来た、もう先に行ってくれ!」
デミトリーが絶望の叫びを上げた、通路の奥から同じ銀の人形が二体こちらに向かってくる。
「デミトリーすまん!!」
ローワンの苦渋に満ちた声、ローワンは呆然としているジムの背中を叩き腕を引っ張る、そして閉じようとしている亀裂に飛び込んだ、ジムは最後に銀の人形と闘うデミトリーに声をかけた。
「すみませんデミトリーさん」
そう叫ぶとそのまま暗黒の嵐の海に飛び込んだ。